第四章 Under Dog Howl①

 数千匹の蛆が這うような激しい痒みと激痛が全身から湧き上がる。時間が経つにつれてそれらはより鋭敏に激しくなり、やがて鈴蘭は耐えきれず叫んだ。


「ぐう、うあああああああッッッ!」


 そして意識が覚醒する。

 しかし視界は真っ黒で何も見えず、身体も動かなかった。無理やり身体を捻ろうとしたとき、低い女性の声が鈴蘭の耳に届いた。


「――動くな」

「ウア、ドウア、ダア……」

「喉も焼け焦げたか。何を言いたいのか分かんねェな」


 瞼を開けることができず、誰から話しかけられているのか鈴蘭には分からなかった。彼女が抱く不安を知ってか知らずかその人物は高圧的に言葉を続ける。


「テメェが聞きたいことは分かる。ここはどこか? 自分は今どうなっているのか? そして一体誰に話しかけられているのか?」


 一拍置いて、その女性は言葉を続けた。


「ここはUDHアンダードッグハウルの医務室だ。そしてテメエはあのクソ野郎に焼かれて全身重度の火傷を負い、いつ死んでもおかしくない状態で二週間眠り続けていた。ひとまず峠は越えたが、皮膚は焼け爛れて右手は焼失し、髪すらない。だから動くな、喋るな、じっとしてろ」

「ジ……ダイ」

「喋るな、つってんだろ」


 UDHとは何か? 結局貴女は誰なのか? 


 鈴蘭の疑問が晴れたわけではなかったが、しかしそれ以上に拙いながらも声を出せると知って、心の中に巣食うこの激情を鈴蘭はどうしても口に出したかった。


「ゴロジ、ダイ……。スペース、ガールズ、ヲ、ヒトリ、ノコラズ……」


 その人物は鈴蘭の言葉を聞いて押し黙り、何も言わずに部屋を後にした。


 ***

 

 全身に走る激痛が止むことはなく、身体の内側に籠る不快な熱が収まることはなく。あるときは腹部をナイフで刺されたような痛みと共に意識を覚醒させて、またあるときは内部で蠢く不快感に何時間も眠れない夜が続く。


 何も見ることができない闇の中で、鈴蘭はただひたすらにスペースガールズたちの姿を鮮明に思い起こしていた。

 シャネル・アダムズ。

 アヌシュカ・ミルザ。

 マリア・ハーパコスキ。

 そして、アレクシス・アッカーソンと朝日小羽根。


 何度も何度も脳内でその名を呼び、その姿を脳裏に焼き付ける。


 ――許さない。ノノを奪ったアイツらを。絶対に。


 しかしその憎悪とは裏腹に身体は動かず目も見えず、激痛でまともに思考すらできない。復讐を為すにはあまりに程遠い現状に焦りと苛立ちが積み重なっていく。


 激情が臨界点を超えようとしたとき、医者を名乗る人物が現れて「容体が安定してきたので手術を行う」と告げた。それから数日おきに皮膚移植や眼球移植といった様々な手術が鈴蘭の身体に適用されていった。

 長期間に渡る連続手術は過酷を極めたが、医者から術後の報告を聞くたびに、復讐に一歩近づいている気がして鈴蘭は少しだけ癒された。


 そうして幾度にも渡る手術を経て、ついにその日がやってきた。


「そ、それじゃあ、術後具合を確認するために眼帯外すにぇ? はーい、オープンー」


 久しぶりに飛び込んできた光が眩しすぎて鈴蘭は照明から顔を逸らした。何度も何度も瞬きを繰り返し、眼底に響く鈍痛を徐々に慣れさせていく。


 しばらく経ったあと、彼女は部屋を見渡した。

 白くて殺風景な部屋。ゴミはないが古びた壁のせいで清潔さは感じない。


 そんな部屋に設置されたベッドの上に鈴蘭はいて、そんな彼女のことを深い隈が特徴的な少女がじっと覗き込んでいた。


「きひひひ、見える? 見えるかな……? ど、どう?」

「ア……あ、ミエ、る……」

「ひひ! な、なら良かった! あ、まだ無理して喋らなくていいぜ。喉の手術はしたけどまだ喋りにくいだろうからにぇ」


 きひひ、と不健康そうな外見の少女が笑う。

 青とピンクに染色されたサイドツインテールの髪型をした少女だった。毛先が荒れており、瞳の下に刻まれた隈は信じられないほど深い。なぜか白衣を纏っているがその下に着込んだTシャツは襟元がだるだるで胸元がちらちらと顔をうかがわせる。

 清潔感とは真逆の要素がてんこ盛りだった。


 しっかりした生活さえを送れば美少女に見えなくもないはずのその少女は、ひひっ! と口端を歪めて卑屈そうに笑った。


「な、なにか失礼なこと、考えてる?」


 鈴蘭は何も答えなかった。


「まあいいや! そ、それにしても本当に良かったにぇ。あんな重傷から復活するなんて奇跡だよぉ。ふ、普通の人間なら間違いなく死んでたよ?」


(……普通の人間なら?)


 にへへと笑う彼女へと質問しようとしたとき、視界の隅で何かが動いた。

 そちらに視線を動かすと、眼帯をつけた長身の女がソファに腰かけて鈴蘭を睨みつけていた。


「…………っ」


 思わず、気圧されて鈴蘭の姿勢が伸びる。

 急に動いたせいで痛みが走った。


「スペースガールズのガキどもを襲撃して瀕死のテメェを奪い取ったとき、オレはオマエを救うつもりなんて毛頭なかった。オレたちにとって重要だったのは、オマエの身体に残ってるかもしれねェレベルⅢの細胞だったからだ」


 その女は、どこか怒っている風に淡々と事実を告げる。


「血液採取して判明した結果だが、テメェの身体にはレベルⅢの細胞が残っていた。だがそれはオマエ自身の細胞と完全に融合してやがった。ガキでも分かるように言い換えるなら、テメェの身体はレベルⅢの細胞によって作り変えられてやがった。だからテメェはあれほどの火傷を負っても死なず、生き延びた」


 鈴蘭を見下ろすように、眼帯の女が立ち上がった。


「レベルⅠやレベルⅡの細胞を馴染ませたスペースガールズは数多いるが、レベルⅢの細胞を取り込んだヤツは今までいない。テメエが初めてだ。レベルⅢの細胞を得た人間が一体どうなるのか誰にも分からねェ。明日死ぬか、もしかしたら真っ赤なクソ野郎を殺せるほどに成長するのか――――」


 その言葉を受けて、鈴蘭は瞼を大きく開いた。


(……ノノの細胞があたしのなかにある? そういえば、どうしてあたしに唾液を飲ませてくるのか聞いたとき、彼女はこう答えていた)


 ――スズランの身体を、書き換えてるの。


(それは文字通りの意味だった。ノノは、例え自分がいなくなってもあたしが生きていけるように身体を書き換えてくれていた。あの子は何度も『何があってもスズランを守る』と言っていた。その約束を守ってくれたんだ)


 鈴蘭の頬を涙が伝った。

 溢れてくる涙を抑えきれず、嗚咽しながら泣いた。


 青とピンクの髪が特徴的な白衣の少女が、鈴蘭の様子をしばし見守った後に口を開いた。


「そ、そういえば自己紹介がまだだったにぇ! 姫ちゃんはニーナ・パヴローヴィチ・コローリョフ。このUDHで天才科学者として日夜研究に勤しんでるってわけ。気軽にニーナ博士って呼んでくれると嬉しいにぇ。で、こっちはパーシヴァル・ローウェル。月の悲劇にも参戦してたスペースガールズ一期生なんだよぉ」


 そう告げながらニーナ博士は眼帯の女を指さした。


 一七五センチほどのすらりとした背丈に、一匹狼のように精悍ながらも険しい表情。そして美しく艶やかな黒い髪が特徴的な女性だった。

 どこかで会ったことがあるような気もしたが、今の鈴蘭にその違和感を深堀する余裕はなく。


「ニーナ、人のことを紹介するなら正確にやれ。オレは月から帰還した後、スペースガールズを辞めた。だから正しくは元一期生だ。理解できたなら、その手を下ろせ」


 ハサミを握りしめた鈴蘭の腕を押さえつけながら、ローウェルは冷ややかな視線を向けた。


「よほどスペースガールズを恨んでるみてェだな。リハビリもしてない身体を動かして、刃物を振り下ろすとはな。だがさっき言った通り、オレはもうスペースガールズじゃねェし、むしろ奴らを殺すために行動している」

「どうして、元スペースガールズがスペースガールズを?」

「テメェには関係ねェだろうが」


 ローウェルは鈴蘭をベッドに押し倒した。


「テメェこそ、一体、あのクソ野郎どもに何された?」

「…………」

「ハッ、まあ大方の察しはつく。テメェがレベルⅢと寝食を共にしてたことは調査済だ。どんな仲だったかは知らねえが、大切な相棒を殺されて恨んでるってとこか?」

「だったら何? あ、あなたも、ノノは人類の脅威だから死ぬべきだったって言うの?」


 喋れるようになったからといってまだ本調子ではない。

 呂律もあまり回らない掠れた声で、それでも鈴蘭は愛おしい家族を貶すことだけは許さない、と語気強く威嚇した。


「いや、そんなことはどうでもいい」


 ローウェルは興味なさそうに首を振ると、鈴蘭に背を向けた。


「レベルⅢの細胞には興味があったが、それも摘出困難な以上、オマエに興味はねェ。テメェが回復しきるまではこの組織で面倒を看てやるが、元通り動けるようになったら出ていけ。ガキの面倒をいつまでも看れるほどオレたちも暇じゃない」

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