第二章 いつかたどり着く場所②


 ゴウンゴウン、と耳が壊れそうな轟音とともに、よくわからない形状の金属部品が次から次に流れてくる。鈴蘭は他の作業者と横並びになり、その金属部品の濁流へとこれまたよくわからないプラスチックの棒を差し込んでいく。


 今日の工程はどうやら遅れているらしくアジア人の工場長が怒鳴り散らしている。工場長は鈴蘭の隣にいた女性に近づいて集中的に喚きはじめた。しかし異国の言語だったために女性は何を怒られているのか分からず首を傾げる。それに対して工場長は更に語気を荒げる。


「あ、わ、えっと……その、」

「プラグの差込順序が違うから遅いんだ、って言ってます。細い部分を右から左へ入れろって」


 耐えかねた鈴蘭は女性へと助言し、そして背後で怒鳴る工場長へと視線を向けた。意図が伝わったことに納得したのか、工場長が鈴蘭たちの近くから離れていく。


「凄いね、まだ十代? だよね? あの人の言葉分かるんだ」

「毎日聞いてれば嫌でも覚えますよ。ていうか日本語だけじゃ生きていけないし」


 そんな軽口を叩きながら、よくわからない部品によくわからない棒を差し込む作業をかれこれ十二時間近く行い、鈴蘭は今日の仕事を終えた。


 工場の出口に設置された装置に腕輪型デバイスを接触させることで、その日の日給が即時振り込みされる。デバイスに表示された数字を鈴蘭はちらりと見た。

 

 本日の給与、九六〇〇円。

 一方、帰り道のスーパーで手に取った総菜パンは、一つ二五〇〇円。


「あたしの価値はパン四つ以下か?」

 

 悩んだ末に、鈴蘭はパンを二つ購入して帰路についた。


 ***


「おかえり、スズラン」


 工場から帰宅した鈴蘭を出迎えたのはノノの可愛らしい笑顔だった。誰かが家にいるという感覚は未だに慣れない。

 ノノの手元に置かれている旧来式タブレット端末へと鈴蘭は視線を向けた。


「今日は何を調べてたの?」

「波長理論について。知ってる? イルミナっていうスペースガールズが考案した理論で、この世界はいくつかの波が重なり合っテできていて、あらゆる物体やエネルギーは特定の波長の中に存在するって内容なの。ニンゲンを構成する物質が1000Wmの波長で存在するなら、900Wm~1100Wmの物体は認識できるけど、10000Wmの物体は波のスケールが違いすぎるから知覚できないの」

「へ、へー、ふーん?」

「この理論のおかげで、宇宙の95%を占めるダークマターとダークエネルギーを解き明かす可能性が生まれタの。スゴイ」


 イルミナというスペースガールズが一〇年前に凄い理論を導き出したのは知っていたが、その中身を聞かされても鈴蘭はまったく理解できなかった。


 一週間前の時点では猫や家族といった単語すら知らなかったのに、鈴蘭がインターネットの使い方を教えてからというものの、ノノは尋常ではない速度で自ら調べて学習し、今や鈴蘭を遥かに上回る知能を有している。


 この子、本当に何者なんだろう? 

 そう考える鈴蘭の内心を知ってか知らずか、ノノは人間離れした美しい顔を鈴蘭の身体にこすりつけはじめた。


「もう、ちょっと。今から着替えるから離れてってば」

「ヤダ。スズランが帰ってくるの、ずっと待ってタ」


 かつてはノノに近づかれるだけで恐怖を覚えていた鈴蘭だったが、今は抱き着かれても何も感じない。あえて言うなら構われたがりの親戚に襲われている気分だ。


 二人が出会ってから一週間。

 その間、鈴蘭が監視している限りにおいてノノは本当に人を殺していないようだった。それどころか、ネットを駆使することで常識や道徳心、社会マナーといった今まで知らなかった事柄を自ら理解していっている。


 ぎゅーっと抱き着いていたノノが、鈴蘭のお腹を大事そうに撫でながら眉を寄せた。


「帰ってくるまで何時間かかっタ? おしっこ溜まってない? ノノが飲んであげる」


 スカートに手を突っ込んでパンツを脱がそうとしてくるノノの顔面に鈴蘭は膝蹴りを叩き込んだ。うぎゃっ! と可愛らしい声をあげて、大してダメージも受けていないくせに大げさに転げまわる彼女を見て、鈴蘭はため息を吐く。


「はあー、ったく、もう」


 前言撤回、どうやら彼女はまだ常識を理解していないらしい。


 ***


 部屋着に着替えた鈴蘭はふとももの上に黒猫をのせながら動画を見ていた。県境を越えた先にある展望台で男女が星々を観測する動画だ。


「いいなぁ」

「行ってみたイの?」

「そりゃ行けるなら行きたいけど。でもそんなところに行くお金ないし」


 諦めたように首を振る彼女へと、ノノがずいっと身を乗り出して顔を近づけた。


「スズランは、行きたイの? 行きたくナイの?」

「いやまあ、行きたいのは確かだけど……」

「なら任せて。スズランの願いはノノが全部叶えてあげる」


 そう告げるとノノは部屋の窓を開け放った。驚いた鈴蘭は声を上げる。


「ちょ、ちょっと待って、嘘でしょ!?」

「静かニ。舌、噛むから」


 鈴蘭をお姫様抱っこしてノノは大きく跳躍した。そして無数の屋根を飛び越えて、ときに触手を電柱に巻き付けて加速しながら街を駆け抜けていく。身体に当たる夜風に恐怖を感じながら、鈴蘭は風を切る音に負けないように声を張り上げる。


「ちょっと本気なの!? ていうか、場所は分かってるの!?」

「ん、そういえば知らナイの」


 神妙な顔つきで頷くと、ノノは鈴蘭のポケットに触手を突っ込み、おそらく故意的にお尻を撫でまわした後に、タブレット型デバイスを引っ張り出して操作しはじめた。


「反対だっタ」


 おい! と突っ込む暇もなく、ノノは身体を翻すと反対方向に移動を始める。

 やがて労働者街を抜けて田園地帯に出ると彼女は触手を背中に格納して、ただただ己の脚力のみで凄まじい跳躍をしながらあっという間に田畑を超え、山を越え、川を越えていった。

 二、三時間走り続けたのちに、最後に一際大きくジャンプをして、二人は山奥の天文台にたどり着いた。広い敷地を有する天文台で、幸いなことに人影はなかった。


「わぁ、凄い」


 満点の星々が輝く夜空を見上げながら鈴蘭は声を漏らした。

 ベテルギウス、プロキオン、シリウス。オリオン座とこいぬ座、おおいぬ座を構成する一等星はすぐに見つかった。そしてそれ以外にも、数えきれないほどの名も知らぬ星々が視界いっぱいを埋め尽くす。


 しばらくの間、言葉が出なかった。

 神秘的な光景に意識が奪われた。


 やがて、ノノがぽつりと問いかける。


「スズラン、宇宙好き?」

「好きだよ。昔、スペースガールズになろうとしてたぐらいだから」

「そうなの?」

「うん。昔、命を救われたことがあって。もうその人の姿もうろ覚えだし、名前も分からないけど。それに、月からの救助船で出会った女の子と一緒にスペースガールズになろうって約束してたからね。……ふふ、バカだよね。その日の食費を稼ぐだけで精一杯なのに、どうやってそんな大それた夢叶えるんだっつー話でしょ」

「ううん、そんなコトない。前を向くコトは、きっと大切なの」


 柔らかい笑みを浮かべるノノ。そんな彼女へと鈴蘭は微笑みを返した。


「ま、スペースガールズになる夢はもういいんだ。結局、学園に通うお金は用意できなかったし、その間にスペースガールズになるための年齢上限超えちゃったし。……でも、いつの日か宇宙を旅してみたいってずっと思ってる。何にも束縛されず、自由に、宇宙を泳ぐの」

「安心して。その夢、いつか必ず叶える」


 夜空へと向かって伸ばした鈴蘭の腕にノノは自身の腕を絡ませた。


(……どうして、あたしの為にそこまでしてくれるの?)


 戸惑う鈴蘭の心情を知ってか知らずか、彼女の肩にノノが頭をのせた。

 二人はその姿勢のまま静かに夜空を見つめ続ける。しばらくして、ノノが西の空に浮かぶ一際大きな光を指さした。


「アノ大きな光。アレが偽りの月?」

「そうだよ。宇宙空間に建設された、人類史上最大の建造物」


 ――偽りの月。


 それは月と地球の中間に建設された、本物の月の半分の大きさを誇る人工物。

 BIOSから地球を守るための決戦兵器であり、スペースガールズたちが集う宇宙最前線基地でもある。


 ちらりと、鈴蘭はノノの美しい横顔を見つめた。


 かつて地球に一〇匹のBIOSが襲来したことがあった。

 そのときはまだスペースガールズが結成されていなかったため各国の軍隊が対処に当たったのだが、たった一〇匹を駆除するためだけに軍人・民間人問わず、甚大な被害を生みだしてしまった。

 

 その経験から、世界中でBIOSと戦うための兵器開発が渇望された。

 

 BIOSには太陽光がなければ動けないという弱点がある。それを利用して、いざというときに皆既日食を意図的に起こして陽光を遮断し、BIOSを食い止めようという発想で生まれたのが宇宙最前線基地――通称、偽りの月だった。

 

 しばらくの間、二人は美しい夜空を見つめ続けた。


 やがて夏虫の鈴の音も聞こえなくなった頃、肌寒い夜風が天文台から流れ落ちて鈴蘭は肩を震わせた。それに気づいたノノが鈴蘭の手を握り、小さくて美しい顔を寄せて耳元でそっと囁く。


「汗冷えシないように、スズランの身体に纏わりついた汗、全部舐めてあげる」


「気持ち悪っ! ロマンチックな雰囲気が台無しだよ!」

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