第一章 新たなる生命②

 布団とタンスしか置いていない四畳一間の安部屋で、黒猫と真っ白な肌の少女が「シャーっっ!」と威嚇し合う。かれこれ二時間は続いているその喧嘩を見ながら鈴蘭は頭を抱える。


「……どうしてこうなった」


 二時間前。

 男たちを惨殺した後、謎の少女は鈴蘭へと触手を突きつけながら『オマエ、ノノと一緒にくらせ』と愛の告白のようで実際はただの脅しである台詞を吐き、どこかへ監禁しようと移動しはじめた。

 どう考えても社会的生活を送っていない彼女に監禁されればシャワーすらまともに浴びられない生活を送ることになってしまう。それだけは嫌だった鈴蘭は彼女を過度に刺激しないように気を付けながら抗議した。


『お、お願いだから家に帰して。明日も工場で働かないといけないし、猫に餌あげないと』

『なら、オマエのスミカにイク』

『え!? いや、それは……ちょっと……』

『オマエはノノのもの。逃がさなイ。ノノのスミカにイキたくないナラ、ノノがオマエのスミカにイク。ドッチにすル?』


 有無を言わさない最悪の二者択一を迫られた鈴蘭は、住処を知られることになってでもまだ安心できる家に帰ることを選び――その結果、今に至る。


「あの、お願いだからこの部屋にいる猫は殺さないでね」

「ネコ、ってコレのコト?」


 えげつないほど爪を立てられながら、その少女は猫を自身の胸のなかに抱いた。


「どうしてダメ? オマエ、アトでコイツ、クうの?」

「食べるわけないでしょ! その、なんでダメって、その子はあたしの大切な子だからよ」

「どうしてオマエのタイセツならコロしちゃダメ? ノノにとってタイセツじゃナイ」

「なんで、って。うーんと、その、大事にしてる物が壊れたり、大切な人が死んじゃうのはとても悲しいことだから。誰かが悲しむようなことはしちゃ駄目。その猫が死んだら、あたしはとても悲しい。きっと死んじゃう」

「……ソレは困るの。ノノ、コイツらクわナイ、コロさナイ」


 はー、っと鈴蘭はため息を吐いた。

 路地裏で出会ったこの少女は日本語に怪しい部分はあるけれど一応意思疎通はできる。しかし決定的に倫理観や常識が欠如している。そのためどんな会話をするにしても、その意味や理由を説明しなければならなかった。


(この子、何者なんだろう?)


 肌の色はニュースでよく見る地球外生命体BIOSに似通っているが、奴らはトカゲのような姿をしているし、何より、太陽光を浴びていなければ動けないという致命的な弱点が存在する。しかし目の前の少女は陽光の差さない深夜でも問題なく動いていた。


 その正体についてあれこれ考えるが、ただの一般市民にわかるはずもない。


 諦めて思考を放棄すると、鈴蘭は狭い部屋の片隅にあるタンスから服を取り出した。そしてそれを未だ衣服の一つすら纏わずに全裸で胡坐をかいている少女へと向かって突き出す。


「ほら、とりあえずこれでも着て。それじゃ寒いでしょ」

「さむくナイ」

「寒くなくても、その、裸でいるのはあまり良くないのよ! さっきからチラチラどころかガッツリ見えちゃってるから!」


 そう言って、ガーリーな感じのワンピースを無理やり彼女の頭から被せた。

 最初は犬のように嫌がっていた彼女だったが、しばらくすると衣服を纏うことに慣れたのかその場で一回転し、部屋に置いてあったスタンドミラーで自身の姿をまじまじと見つめはじめた。


「どう? 気に入ってくれた?」


 その問いかけに、美しい少女は鈴蘭のことを上目遣いでじっと見つめて小さく頷いた。


「きにいっタ。ありがとう、オマエ」


 あまりにも率直な返答に思わず狼狽えつつも、鈴蘭はどこか温かみを感じながら頷き返す。


「どうしたしまして。あたしは宵野鈴蘭っていうの。次からはそう呼んで」

「スズラン? わかっタ。ノノは、ノノ」


 そう告げるや否や、彼女は黒猫を抱きしめてその頭を撫ではじめた。どうやら猫が気になるらしい。激昂した猫に指を噛まれているが平然とした様子で撫で続ける。


「ねえ、教えて。貴女は何者なの?」

「わからナイ」

「分からないって、じゃあどこからやってきたの? 家族とか仲間はいるの?」

「カゾク?」

「えっと親とか兄妹とか、あとは同じ家に住んでる人のことかな」

「ノノはずっとヒトリ。だからカゾクいない。ノノはトオイところからキタの。とてもトオイところ。だけど、ドコからか、わからナイ。きづいたらヒトリだった」

「……そっか。じゃあもう一つ質問。貴女は今日の二人以外にも人を殺したことある?」

「コロした? うん、いっぱいタべた」


 その返答に鈴蘭は思わず息を呑む。

 しかしそれとは対照的にノノは穏やかな表情で告げる。


「デモ、スズラン、教えてくれたの。コロすのよくない。だからもうコロさナイ」

「そんな簡単に決めちゃっていいの? というか人間を食べなくても、その、お腹空いたりしないの?」

「ダイジョウブ。かわりに、スズランからウマイミズをもらう」


 ご馳走を目の前にした犬のように瞳を輝かせながら、ノノが鈴蘭へとにじり寄る。


「そ、それって、やっぱり必要?」

「ヒツヨウ。だから、イタダキマス。アーン」

「ぎゃああああああっっ! ちょ、直は駄目だって! 直は駄目――――っっ!」


 ***


「……恥ずかしすぎて死にたい」


 いろんな意味で襲われた鈴蘭は羞恥心のあまり死にたくなりながらも、一旦心を落ち着かせるために部屋の外に出て一人で夜風に当たっていた。


(本当は、今すぐにでも彼女を警察に突き出すべきなんだろうな。だけど)


 彼女は今後、人を殺さないと約束した。

 彼女は家族も仲間もおらず一人ぼっちだと言っていた。きっと人間を殺しちゃいけないなんて誰にも教わってこなかった。


(あたしが間違っているのは分かっている)


 ノノの事情なんて関係なく、彼女が人を殺していたのなら通報するべきだ。

 しかし、家族も仲間もいないと言っていたときの彼女の悲し気な表情がどうしても頭をよぎって離れなかった。鈴蘭は夜空を見上げて嘆息する。


「ノノも、あたしと同じ独りぼっちなんだもんね」


 数えきれない星々が輝く夜空の中心に一際大きな一つの球体が座している。

 

 地球唯一の衛星であり、人類が初めて到達した地球外天体――月。

 

 一〇年前まで、月面には十八万人もの人々が移住し生活を営んでいた。

 だけどある日、数千匹にものぼる地球外生命体BIOSが来襲し人類は撤退を余儀なくされた。アレクシス・アッカーソンを中心とした一期生と呼ばれるスペースガールズ一〇人のおかげでエリアⅠからⅩに住む人々は地球へと帰還できたが、エリアⅪに住んでいた二万人余りは脱出できず、たった一人の生存者を除いて全員が死亡もしくは行方不明となった。


 ――通称、月の悲劇。


 鈴蘭は思い出す。

 月の悲劇によって両親を失った、あの日のことを。

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