最終話


 王都の目抜き通りから何本か道を外れた、あまり繁盛していない商店が並ぶ区画。


 その一つに『宝花亭』と古く掠れた字で書かれた看板が掛かっている。

 ショーウィンドウを覗き込めば、宝飾品を扱う店であることが分かる。

 埃を被っている訳ではないが、他の店同様、あまり繁盛していないことが窺い知れる。



「しっかしボスもさー諦めが悪いよねー。いつまで女の尻追っかけ回してるんだか。未練たらしく彼女の前に現れたりしてさ。もうあれ、付き纏いって言うんだぜ」

「うるさいぞチャド。口を慎め」


『宝花亭』の中には、2人の男が居た。

 成人より少し手前と思しき赤毛の少年、そう、ウォルナット邸でジュリアとマシューの様子を伺っていたあの少年と、黒い髪を後ろに束ねた壮年の男だ。

 少年は頬杖を突きながらカウンターに座り、男はその奥の作業台で金属を削る作業をしている。


 彼らはこの『宝花亭』の従業員たちだ。

 表向きは店主の細工師と店番の少年だが、その実、優秀なビルマチーク伯爵家お抱えの諜報員である。

 彼らは主に王都内の情報収集を業務としている。

 現在は大きな任務はなく、暇をしているのだ。


「彼女はウォルナット家を出て商会を辞めるそうだ。もしかしたら、ボスの気持ちに応えるのかもしれない」

「んな訳ないだろー? 2年以上前にちょーっと会っただけの正体不明の男なんて、俺が女だったら絶対選ばないね。貴族だって知ってるならまだしもさ」

「お前に女の気持ちなど分かるものか。ガキが」

「は!? 何、今俺のことガキ扱いした訳!? ぶん殴るぞっこのでくの棒!!」


「おい、何を喧嘩してるんだ。リー、チャド」


 そう言って店の奥から出て来たのは、ロイド・ビルマチーク、その人だった。


「ボス!? もういつから居たんですかびっくりしたなぁ!」

「鍛錬が足りないんじゃないか、チャド。俺の気配にも気付かないとは」

「ボスの気配に気付けるようなったら、それもう人間やめてますよ! 無茶言わないでください!」

「それで、俺が誰の付き纏いだって?」

「最初から聞いてんじゃないっすか!!?」


 少年……チャドは、恐ろしいとばかりに頬に手を当て飛び上がる。

 そんなチャドを無視し、男……リーは胸に手を当てロイドに一礼する。


「今日はどうなさいましたか。定例報告は2日後かと思いますが」

「いや、近くまで来たから、ついでに寄っただけだ」

「またまた〜! 俺は分かってますよ! 今日はあの日ですもんね! あ・の・日!」

「チャド、お前は黙れ」


 リーはチャドの頭を押さえつけた。

 チャドはもがきながらも、また続けた。


「今日は〜ジュリア・マホガニーが離婚する日! だからもしかしたら、今日彼女がここに来るかも〜って思ったんですよねー?」

「うん、こいつはうるさいな。口を縫い付けよう」


 ロイドはこめかみに青筋を立てながら、笑顔でチャドの頬を両手で挟んだ。

 そもそも、ジュリアと彼女の周りに居る男たちとの関係を情緒たっぷりに書いて寄越した時から、ロイドはチャドに苛立っていたのだ。


(まあ、あの報告書があったから、いつも以上に早く仕事を回せた訳だが)


 だとして、苛立つものは苛立つ。

 ギリギリと音がしそうな程、ロイドはチャドの頬を押しつぶす手に力を込めた。

 頬の痛みもさる事ながら、そのゾッとするほど綺麗な笑顔にチャドは震え上がった。


「ひー!!! お助け〜!!」


 そう言ってロイドを振り切り、目にも止まらぬ速さで店の奥へと逃げて行った。

 チャドの身のこなしの素早さは、やはり凡人ではないことを示していた。


 ロイドは息を吐き出し、リーに向き直る。


「冗談はこれくらいにして。どうだ、その後何もないか」

「今のところ、何も出て来ませんね」

「そうか……。全く、『あのお方』はせっかちで敵わないな。我がビルマチーク伯爵家の意見を無視して、先に公表するなど」



 シャーロットとニグラ公爵の血縁関係を最初に疑ったのはロイドだ。

 しかし、どうにも違和感が拭えなかった。

 何か誘い込まれているような、罠にかかっているような。

 こういったロイドの勘は、よく当たる。

 勘というよりも、自分でも気付いていない何かがある時に働くものだ。

 シャーロットが獄中で言っていた『私は王族になる人間だ』という言葉も気になる。普通自分がニグラ公爵の娘と認知しているなら、『私は姫だ』などと言うのではないだろうか。

 その後あまりにもあっさりとシャーロットがニグラ公爵の娘であると認めたため有耶無耶になったが、やはり引っかかる。

 シャーロットは誰かを庇ったりするような性格ではないだろうに、この不一致はなんだろう。

 それに、大金を残して消えたニグラ公爵家の使用人も気になる。

 ロイドは、まだ捜査を続けたいと願い出た。


 しかし、ホルツ国王はそのロイドの願いを退け、勇足でシャーロットとニグラ公爵が親子であったと発表した。

 確かに、証拠はある。

 だが暗号文が解読出来ない限り、確かだとは言い難い。

 それにニグラ公爵の死体が上がった訳でもない。

 けれどホルツ国王は急に2か国を手にしたことで手一杯となり、早々の幕引きを図りたいようだ。


(ニグラ公爵は野心ある人物ではないが……)


 ロイドの兄であるアンドレイに、正式に国王から今回の件の任務を解くと王命が降った。

 王家のためだけに動く。

 それがビルマチーク伯爵家だ。

 王命とあらば従わなければならない。

 だが、注意はしておくべきだろう。


「は〜ボスの殺気に当てられたら身が保たないっすよ〜」


 チャドは頭を掻きながら奥から出てきた。

 減らず口が過ぎる少年だ。


「ところでチャド。あの薬はどうなった」

「はいは〜い。いい感じに仕上がってますよ。あとちょっとテストをしたら、実用化出来ると思いまーす」


 チャドは薬品類の扱いに長けている。

 彼を筆頭として、新しい薬品の開発を行うチームが存在する。

 元々そのチームで研究していた薬を王が欲したため、実用化に向け力を入れた。


 その薬とは、瞳の色を変える薬品だ。


「じゃじゃ〜ん! こちらです! 生体検査をしてますが、今のとこ副作用なし! きっかり15日で効果が切れます。元々の瞳の色を濃くして黒味を足す感じになりますね。俺みたいな明るい青の瞳では紺色、ボスみたいな薄い茶色の場合は、黒に近い茶、みたいな。彼女の赤い瞳だったら、赤茶色になるっすね〜。いや〜自分の才能が怖いな〜」

「なるほど。これなら期待通りのものになりそうだな。変装にも使える」

「髪色はいじれても、瞳の色はどうにもなりませんでしたからね。しっかしレトゥーアちゃんも可愛いとこありますよねー。『これからはダルベルギア侯爵家のレトゥーアではなく、ただのレトゥーアとして生きたい』なんてさ」


 レトゥーア・ダルベルギアが今回の大役を務め、またこれまでの功績もあったことから、引退に伴って国王から褒賞を賜ることになった。

 彼女が望んだのは、一つだけ。

『静かに生きたい』と。

 本来ならレトゥーアの有する子爵の位は残すという話も上がったが、彼女はそれを辞した。

 これからは、ただのレトゥーアとして生きたい。

 だから、ダルベルギア侯爵家の血筋を表す赤い瞳を隠し、慎ましく生きていきたい、と。

 その彼女の願いを受け、王はビルマチーク伯爵家に薬を献上するよう命じたのだ。


「不敬だぞ、チャド。爵位はなくとも、彼女はこの国の貢献者であることに変わりはない」


 レトゥーア・ダルベルギアは大した女傑だった。

 大概の人間であれば、ロイドはその心情を計り知ることが出来るが、彼女はそれが出来ない数少ない人物だ。

 しかし彼女の言動は常にホルツ王国のためにあった。

 高潔で素晴らしい人間だと称える気はないが、尊敬には値すると思っている。


「へえへえ。すいやせんね〜」

「いい加減にしないかチャド! 申し訳ありません、ボス」

「まあ、チャドのそれは今に始まったことじゃないからな」


 ロイドは呆れて、窓の外を見る。


 一瞬、赤茶の髪が見えた気がした。

 ロイドは目を見張る。


 あれは、まさか。


 リーやチャドの声など耳に入らない。


 ロイドは思わず、外へと飛び出した。













 ジュリアは教会で体の検査をした後、確かに白い結婚だったと離縁状を受理された。

 これで、晴れてジュリアは独身に戻ったのだ。

 思ったよりもすっきりした気分にはならない。

 結婚をした当初は、この3年後の離婚が救いだった。一刻も早く3年経てと、願ったりもした。

 多くのものを失う3年間だった。

 けれど、手に入れたものもある。


 今では、決して悲しいだけの3年ではなかったと思う。



 自分の選んだ道が正しいかどうかなど、分からない。

 果たしてビルは、本当に自分を受け入れてくれるのか。

 もし受け入れてくれるとして、ビルとどうやって暮らしていくのか。

 ジュリアの不安は尽きない。

 けれど、後悔はしていなかった。

 これからどんな人生が待っていてとしても、それは自分が選んだ道だから。



 ジュリアは街ゆく人に『宝花亭』の場所を聞いて周った。

 しかし知っている人はいなかった。

 ビルは『宝花亭』がどこにあるのか言っていなかった。

 果たしてこの店は王都にあるのだろうか。しらみ潰しに探してみても、全く見つからない。

 ジュリアは途方に暮れ、広場の噴水に腰掛けた。

 本当は、もっと早く店の場所を探したかった。けれど離婚前にそうすることは、ガウスへの裏切りのような気がして、動き出す事を躊躇していた。


 ジュリアはため息をつき、それからグッと力を入れる。

 噴水の水面に顔を移して、ビルから貰った髪飾りを身に付ける。


 大丈夫。

 やれるわ。


 もしも店が王都にないならば、流石に何か言い添えたのではないだろうか。

 きっと、この街のどこかにある。

 そう思い、ジュリアはまた人々に聞いて周った。


 そして、見つけた。


「ああ、あの微妙な宝飾店ね。確かこの通りをまっすぐ行って、4つか5つ目の角を右に曲がったところだよ。あなたみたいな美しい人が、どうしてあんな店に?」


 そう教えてくれた男性へのお礼もそこそこに、ジュリアは駆け出した。

 気が急いて、足を庇ってなどいられない。


 もうすぐ、ビルに会えるかもしれない。

 きっと、もうすぐ。


 ジュリアは駆け出し、4つ目の角を曲がる。ない。

 見当たらない。

 ここではないのだろうか。

 5つ目の角を曲がる。

 どこだろう。

 どこに居るのだろう。


 ビル、ビル、ビル……!


 必死に探すジュリアの後ろで、激しく扉が開く音がした。


 ジュリアが振り返るとそこには、

 驚いたような、泣き出す前のような、必死な表情をしたビルが居た。



 髪の色が違う、服装も違う。

 けれど、彼はビルだ。

 あの最後の夜に見た、ビルに違いない。



 ジュリアは駆け出す。

 ビルも駆けてくる。


 涙が止まらない。

 視界が滲む。

 足がもつれる。

 けれど止まることは出来ない。


 お互いに手を伸ばす。



 あと一歩で、手が触れ合う。




 ジュリアが幸せを掴むまで、あと一歩。




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