第45話


 ジュリアはこれ以上涙が出ないのではないかというほど涙を流した後、徐々に自分を落ち着かせていた。

 意識的に、思考を事務的なものに切り替える。

 そうしなければ、以前のガウスのように動けなくなってしまうと思ったからだ。

 物理的には、今自分は動くことが出来ない。しかし、自分にもできることはあるはずだ。



 まず手紙を届けてくれたという船乗りのこと。特徴を聞くに、もしや自分がホルツに渡る時に路銀を渡してくれた、あの船乗りではないだろうか。もしも彼ならば、恩を返す時だ。


 ジュリアはガウスに頼み、彼を探してもらうことにした。

 もう彼がウォルナット家にやってきてから2週間以上が経っている。今はどこに居るだろうか。ジュリアは不安だったが、案外と早く彼は見つかった。王都の宿屋に宿泊していたのだ。

 彼は今回の事件の事情聴取に何度か呼ばれていたため、まだ王都を離れていなかった。


 ジュリアは彼を再度屋敷に呼び、嫁いできた時のこと、今回のことについて謝罪し、感謝を伝えた。


「あなたの心遣いがなかったら、私は今ここにいないかもしれないわ。あの嵐の中野宿する道しかなければ、きっと命が危なかったもの」


 そう言って、この2年で築いたジュリアの個人資産の1割を渡した。

 それは、ジュリアが船乗りの男から渡された路銀の10倍の額だった。


「お嬢! だがこんなには……!」

「いいえ、これでも安いくらいだわ。どうか、これからもセンダン商会を、お願いね」


 そう言ってジュリアは、男の手に金子の入った袋を握らせた。

 男はジュリアを見つめ、頷いた。




 ガウスが聞いて来たところによると、センダン商会はジュリアの父であるジャンの妹の夫、つまりジュリアの叔父が継ぐことになったようだ。元々マホガニー家はソルムの港の運営を任されていたため、商会の実務は叔父が担っていることも多かった。想定通りの結果だろう。

 だがこれまでセンダン商会の事業は、ジャンやジョシュアへの信頼で成り立っていた部分も大きい。

『ジャンさんが言うならやってみよう』『若がそう言うなら任せるよ』

 そうした言葉をジュリアは何度も聞いてきた。

 いくら事業が拡大し、商会が大きくなっても、商売とは人と人との繋がりで成り立つものなのだとジュリアは思う。叔父とて優秀な人だ。しかしただでさえ今回の騒動でガタガタになってしまった商会を立て直すのは、一苦労だろう。

 ジュリアは今の自分の立場で、何もできないことが酷くもどかしかった。




 もう一つの問題として、ソルムの港をどうするか。


 港の運営は、商会ではなくマホガニー家が行っている事業だ。各家門に課された責務を果たせなくなった場合、その事業は通常国が采配する。

 他の家に任せるのか、はたまた国営とするのか。

 今回の場合、ティンバー大公の決定を、ホルツ国王の承認をもって実施することが予想される。


 だが港の運営は特殊性が強い。

 ここでたとえ大公が自ら運営すると言っても、その技術や知識が足りないだろう。今それを有していて、かつ大公家に助言できる人物は、思い上がりではなく、自分しかいないだろうとジュリアは思った。


(現在残っているマホガニー家の人間は私だけ。他の皆も知識や技術はあるのに……大公家に話せるだけの地位がないわ)


 ジュリアは思い出す。

 かつて父や兄と話した、ある計画のことを。



 ジュリアはベッドの上で手紙を書いた。

 宛先はアーク、そしてエミリアだった。








「ポートオーソリティ?」


 ガウスはジュリアの話を聞き、首を傾げる。

 聞き慣れない言葉だ。


「ええ。ティンバーの古語で『知識の集合体』という意味ですわ。元々お父様やお兄様と話していたことだったのです。港の運営は、今では国力に直結する重要な業務と考えられます。それを一家門で担うなど、前時代的ですわ。これからの時代、運営形態を変えるべきなのです。

 港ではたくさんの人々が働いていますわ。

 センダン商会のような貿易を行う商会もあれば、造船を行う商会、船の建造や修繕のための船渠ドックを運営する商会。船乗りもいれば、船乗りに港内の道案内をする水先案内人もいます。

 それらをまとめているのが、マホガニー家のような港の運営を任されている貴族なのです。

 けれどそうした体勢から脱却し、港で働く人々の代表で1つの共同体を作り、港を運営する。家門に縛られず、安定した港の運営を行う。これがポートオーソリティですわ」



 ジュリアはポートオーソリティの提案を手紙に認めた。

 正気を取り戻したアークなら、そしてエミリアなら、真剣に検討し大公に助言してくれるだろう。



 ジュリアはその手紙を、ガウスに託すことにした。動けない自分の代わりに確実に手紙を渡してもらい、そして今どうしているか、その目で見てきてもらいたいと思ったのだ。

 ガウスは、それを快諾した。


「もちろん、君の代わりが務まるかは分からないがな。商会の方も、今ならば1週間程度不在にしても問題ないだろう。急ぎの場合は、君もいることだしな。ああ、だからと言って無理をするなよ。君は放っておくと、寝ることも忘れて仕事をしてしまうことがあるからな」


 それは半年程前、ジュリアが仕事に集中しすぎる余りに、夜が明けたことにも気付かず、翌朝出張から戻ったガウスに見つかった時のことを言っているのだろう。


「もう! そのことは忘れてくださいまし!」

「ははは。だが本当に、今は安静にしていなきゃ駄目だ。もう2週間経つが、頭だって強く打ったのだから」


 ガウスはそう言ってジュリアが寝ているベッドに腰かけると、切なげに微笑み、ジュリアの頭を撫でた。

 ジュリアはそれを、振り払おうとは思えなかった。



 ジュリアが目覚めてからのガウスの献身は、本当に目を見張るものがあった。

 ジュリアを気遣い、少しでも体調が悪そうにすると本気で心配し、ガウスの生活は全てジュリアを中心に回っているようだった。

 元々はガウスの行いのせいだ。

 分かっている。

 だがガウスがそれらを心から反省していることも伝わってくる。ガウスとは確かに、仕事上ではあるけれど軽口を交わせるほどの関係を築いているのも確かだ。重要な手紙を託そうと思えるほど、信頼もしている。

 自分自身が弱っているために、絆されてしまったのだろうか。



 ガウスは心から愛しいものを見るように目を細めると、立ち上がった。


「他でもない君の願いだ。必ずや叶えよう。しばし家を離れるが、どうか気をつけて」

「ええ、ガウス様。本当にありがとうございます。よろしくお願いいたします。私の方はお気になさらないで下さい。カンナやスチュアートも居ますし、商会の方もマシューさんたちが居ますから」


 マシューはこの1年で、本店の店舗から商会本部の経営側に移った。元々勤勉な性格で、バランス感覚もいい。商品を見る目もあることから、これまでユアンが担っていた商品の仕入れ業務の一部を任されることとなったのだ。



「……それが一番心配なんだがな」

「ガウス様? 今何かおっしゃいましたか?」

「いや、何でもない。くれぐれも、人を中に入れないようにするんだぞ。商会の人間が来ても、必ずスチュアートを介すんだ」

「ガウス様、それは流石に失礼ですわ。ご安心ください。きちんと副会頭として恥ずかしくない格好で出迎えますから」

「そういう意味では……。いいか、絶対に中に入れるんじゃないぞ。いいな? ……では、行ってくる」

「いってらっしゃいませ。本当に、本当にありがとうございます」



 こうしてガウスは、ティンバーへと渡ることとなった。

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