第28話 sideビル?

 

「私です。失礼します」

「ロイドか。入れ」


 ビル……もとい、ロイド・ビルマチークは、重厚なドアを押し開け、とある部屋の中に入った。


 正面には、ドアと同じく重厚なデスクに座っている1人の男が居た。

 歳は30を1つか2つ越えた頃だろうか。ロイドの輝くような栗色の髪を、少しくすませたような色合いの髪を一括りに結んでいる。

 吊り上がり気味の瞳は翠色で、薄い茶色の垂れ目がちなロイドとはあまり似ていないはずなのに、どこか纏う雰囲気の似ている2人だった。



「報告します。シャーロット・メイプルが使用していた香水は、東洋のキクの亜種を使用した物の可能性が高いと考えられます。ジュリア・マホガニー……いえ、ジュリア・ウォルナットより証言を得ました。先日入手したシガレットの成分と状況から見るに、間違いないかと」

「なるほど。やはりな」


 男はデスクの上に両肘を突き、指に顎を乗せ考え込んだ。

 ロイドはそんな男を見つめ、続けた。


「だとするならば、アーク・ティンバー王太子を始めシャーロットの信望者たちが正常な思考を完全に取り戻すまで、あと1年はかかるかと思われます。薬が完全に抜けるまでは無理でしょう。かなり強力な薬物の様ですから」

「そうか。陛下が聞いたら小躍りして喜びそうだ。流石だな、我が弟は。ビルマチーク伯爵家の歴史の中で、最も優秀だと謳われるだけある」


 そう言って男、アンドレイ・ビルマチークは微笑んでみせた。





 ビルマチーク伯爵家は、ホルツ王国で諜報活動を行なう一族である。

 表向きは、ほどほどの領地を持った、ほどほどの地位に属する貴族である。しかし国の中枢に近ければ近いほど、その脅威を知っている。

『ビルマチーク伯爵家に嗅ぎつかれたが最後、全て丸裸にされる』

 それが周囲のビルマチーク伯爵家に対する評価だった。



 今回、ビルマチーク伯爵家の当主であるアンドレイは、ホルツ国王から密命を受けていた。


 ティンバー王国の混乱の原因と影響を、正確に探れ、と。


 ティンバー王国は、周辺国からすれば喉から手が出るほどに欲しい国だ。

 ティンバー王国で採れる農作物だけでなく、現在はソルムの港がある。ソルムは今や、世界で最も重要な物流拠点へと変貌した。

 あらゆる国から、様々な貨物がソルムに集まる。ティンバー王国内で消費されないものでも、一度ソルムに運び、別の船に積み替えられてから他国へ向かうことが多い。そうした貨物をトランシップ貨物というが、船の係留料、水や食糧の供給への対価、船員の宿泊費など、それだけでもソルムの港に落ちる利益は大きい。

 最早ソルムの港はドル箱だった。


 これが地続きの国であれば、ソルムの港だけを手に入れるという方法もあっただろう。

 しかしティンバー王国は島国だ。立地的に、他国がソルムだけを手に入れるのは難しい。

 それならば、豊かな農作物を孕む国土全体ごと手に入れようと思うのは、自然なことだろう。


 これまで、ティンバー王国は国防軍による「鉄壁の盾」に守られ一度も他国の侵入を許したことはなかった。

 王家も賢王と名高い王を多く輩出しており、ティンバーの王家の優秀さは伝説として語られるほどである。

 建国以来500年、周辺国に隙を見せたことは、一度たりとてなかったのだ。


 しかし、ここに来て転機が訪れた。

 ティンバー王国の王侯貴族が大いに混乱しているという情報は、周辺国からすれば降って湧いた好機以外の何物でなかった。

 どの国が、どれだけ早く、正確な情報を仕入れられるか。

 各国の首脳たちはみな、血眼になり探っていた。


 ホルツ国王も同様に、すぐさまアンドレイに密命を下した。

 そこでアンドレイは、弟であるロイドに情報を集めるように指令を出したのだった。






「最も優秀って……。兄さん、それ嫌味? 今回は明らかに義姉さんの助言のお蔭じゃないか」


 ロイドはそれまでの仕事口調を崩し、普段通りの口調で話す。

 アンドレイが「弟」と口にするのが、仕事の話は終了という合図だ。


「義姉さんが、ウォルナット家にあのコンテナ男爵の娘が嫁いで来るっていう噂を教えてくれたんだろう? 当主のガウス・ウォルナットは結婚の事実しか周りに話していないらしくてさ、相手が誰だかほとんど知られていなかったのに。港の船乗りたちの間では実しやかに噂されていたようだけれど、どこで仕入れたのやら……」

「通いの商人たちの話を方々から聞いて、自分で情報を総合して判断したらしい。さすがはビルマチーク伯爵家の嫁だろう? 私のレイアは」


 どちらかと言えば冷たい印象を受けるアンドレイだが、妻であるレイアの話をする時は目尻が下がり柔らかい印象になる。

 アンドレイは愛妻家なのだった。


「はいはいご馳走様。それにしても、今回の義姉さんは本当に冴えてたね。シガールームのシガレットと、シャーロット・メイプルの香水の化学変化だなんて。確かにそれならば男性だけに効果があるし、単体だけ調べても結果は出ない」



 実はロイドたちビルマチーク伯爵家が、他に先んじて真実に辿り着いたのは、アンドレイの妻、レイアの言葉のおかげであった。

 普段、ビルマチーク伯爵家の仕事にほとんど口を挟まない彼女が、今回ばかりは熱心にアンドレイに仕事の話を聞いてきたのだ。

 というのも、ジュリアがガウスの元に来るのではないか、との推測にレイア自ら辿り着いたことが発端だった。レイアはジュリアがホルツ王国に来た際に入港した、ラシーヌの港の管理に携わる子爵家の出身である。そのため、元よりコンテナ男爵の逸話に関心を持っていたのだ。

 ジュリアがガウスの元に嫁ぐことになった経緯が、どうやらアンドレイの仕事と関係がありそうだと知り、気になったのだという。


 そしてレイアはあることを閃いた。

 社交界において、男性だけが集まる場所。それはシガールームではないか。シガールームで燻らせるシガレットに細工をし、薬物を葉に混ぜたのではないか、という推理をアンドレイたちに聞かせたのだ。

 しかしそれだけならば、まだ他の人間でも考え付くかもしれない。

 だがレイアは、更に一つの推論を2人に聞かせた。

 曰く、単体では多少感情を荒ぶらせる程度の効力しかない、シガレットに含まれていてもおかしくはない物質があったとして。それが例えば特殊な成分の含まれた香水や整髪料などの匂いと混じり合うことで、何らかの化学変化が起こり、麻薬物質のようなものに変質するのではないか。

 何とレイアは、そこまでのことを推理してみせたのだ。


 レイアのこの推理の裏には、彼女が商人から聞いたという、東洋人の商店の存在がある。


 ホルツ王国はアンブル王国と北方で国境を接している。

 その国境境に、東洋人が営む小さな商店があるという。

 そこでは見たこともない薬が売られ、中には香りだけで解毒作用がある花もあるのだそうだ。しかしその花の周りで葉巻を吸うことは、禁忌とされている。

 その花には、とある言い伝えがあるからだ。


 花には女神が宿る。

 その女神はかつて葉巻を吸う男に騙された恨みから、葉巻を吸う者に呪いをかける。

 呪いにかかった者は、死ぬまで女神を賛美し、他のことが何も出来なくなるのだ。


 噂にさえならないこの話を、レイアはたまたま国境境に行った帰りの商人から聞いた。

 商人はただ面白い逸話を聞いたという話をしたにすぎなかったが、レイアはこの花が件の男爵令嬢が用いた物ではないかと考えたのだ。


 ロイドが「シャーロットの香水はあまり嗅いだことのない香りだった」という証言をジュリアから得たことで、この一見荒唐無稽な推論が信憑性を増したのだった。



 実際、既にティンバー王国の調査で、シガレットから予想通りの成分が検出されていた。

 25歳以下の未婚貴族が属するフルールの夜会のシガールームで、とある子息が外国から手に入れたというシガレットを周囲に配っていた事実も確認されている。

 しかしそれだけでは、今の状況を説明できるだけの要因にはなり得なかった。またその子息は頑としてシャーロットとの関係について口を割らず、証拠も出ていないのだった。



 アンドレイはレイアの説を有力視し、直接ロイドに確認するよう指示を出した。

 現在ティンバー王国は厳戒態勢を敷いており、件の貴族たちと接触することは難しい。それでもロイドはティンバー王国に渡り、得意の変装と人心収攬しゅうらん術で、幾人かの貴族の現状を確認することができた。



 まず、国防軍総帥の息子、ルーカス・カンファー。

 この男の状況を知ることは最優先事項であった。

 彼は現在、「シャーロットに会わせろ」と手当たり次第に当たり散らしているようで、自室の窓は割れ怒鳴り声が常に響き渡り、とても手がつけられない状況になっていた。今やかつての明るい好青年らしさは見る影もない。父である総帥は、心労からすっかり衰えてしまっているという。

 また、国防軍にはルーカス自身を始めフルール所属の若手貴族も多く属しており、彼らは軒並み使い物にならない。

 平民、または既婚者や26歳以上が属するオープストの貴族たちで何とか国防軍の体面を守っているが、一時凌ぎでしかないのは明確であった。



 次に宰相の孫、カイン・サイプラス。

 カインは幼い頃から聡明で博識であったため、神童とも称されていた。交渉能力の高さも評価され、若くして各国との外交の場のキーマンとして活躍していた。

 しかし、ここ最近は全くと言っていいほど交渉のテーブルに上がらない。彼が抜けたティンバー王国の外交担当たちは、若手の貴族男性が根こそぎ使い物にならないことも相まって、一人一人の業務量が劇的に増加し、疲弊を極めている。

 これまで見せなかった隙を、外交の場でも見せる始末だった。

 ロイドはカインの近況も探ったが、どうやら彼は自室に引きこもって出てこないようだ。自室の中で何をしているのかは分からないが、時折夜にシャーロットの名を呼びながら、泣き喚く声が聞こえるのだという。



 彼らと共にアークの側近であったデューク・チェリー公爵子息は、ジョシュアのことを口汚く「たかが平民上がりが」と何度も公の場で罵ったことで、自室に軟禁されていた。

 しかし自力で抜け出しシャーロットに会いにこうとしたということで、現在は彼の父によって領地に送られている。



 ロイドの力を以てしても、流石にアーク王太子を実際に目にすることは出来なかったが、いくつかの証言を得る事ができた。

 アークが正気を取り戻すまで、彼は城の塔に幽閉されているようだ。

 そして未だ婚約者であるエミリアが、彼の元に日参しているという。だがそんなエミリアを罵倒し、シャーロットの名前を呼んでいるという事で、周囲の彼への評価は地に落ちていた。



 そして、ジョシュア・マホガニー。

 彼は表向き通常通りの生活をしている。

 今は亡き父に代わり、ソルムの港の運営も行っている。が、それはほんの表層に過ぎない。

 彼の仕事ぶりはあまりに機械的であり、ただ決められた事のみをこなしているようだった。効率化を図る目的で、港の管理運営スキームをきちんと整理していたことが功を奏し、表立った問題は発生していないのは不幸中の幸いだ。

 今もなおシャーロットの取り調べが行われており、王宮に留められ面会はできないようになっているが、毎日王宮に赴いてはシャーロットへの面会を求めている。



 ジュリアとジョシュアの母、マレーナ・マホガニー。

 彼女の状況はあまり芳しくない。

 夫であるジャンを亡くし、娘が遠い異国に追いやられ、しかもそれらの発端は実の息子なのだ。

 大らかで強い心を持つ女性ではあったが、元々体が強い方ではなかった。度重なる心労に倒れ、今はベッドから起き上がれないほどだという。

 なのに、ジョシュアはマレーナを気にかけない。完全にシャーロットという毒に侵されている状態であった。



 幸運なのは、ジュリアがこのことを知らないということだ。彼女が知っていたならば、どれほど心を痛めただろう。いや、もし知っていたならば、ガウスとの婚姻という契約を反故にしてでも、ティンバー王国に帰るかもしれない。

 ジョシュアの現在の状況でそんなことをすれば、次はどんな目に遭わされるか分からない。

 ロイドは、ジュリアがティンバーの人々の様子を知らないことに、むしろ安堵していた。



 シャーロットに狂った者たちは、シャーロットと会う事がなくなった今でも、いや、会う事がなくなった今の方が酷い状況であった。

 ロイド自らメイプル男爵家に赴いたが、ロイドの技術を以てしても、シャーロットの香水を得るどころか、何らの手がかりも掴む事ができなかった。




 次にロイドは、ホルツ王国とアンブル王国の国境境に赴いた。

 そこには話通りの東洋人の商店があり、目当ての花があった。


 検査の結果、その花には確かに香りだけで解毒の効果があることが判明した。予想通り、シガレットととの相乗効果によって麻薬のような成分へと変質することも確認された。

 効果は即効性があり、かつ強力であるとも。

 この花とシガレットの香りを嗅いだ時間が長ければ長いほど、効果は強くなる。


 この花は店主の故郷にのみ生息するもので、決して大量に出回るものではない。

 ホルツ王国やティンバー王国にも流通していないため、ほとんど未知の植物だと言っていい。


 だが今日。

 ジュリアから、この花の香りがシャーロットの香水と同じ匂いであるとの証言が得られた。

 この花の香りはかなり特殊なものだ。他の香りと勘違いするとは考えにくい。

 ならばシャーロットは、この店、もしくは店主の故郷から直接花を仕入れていたことになる。

 残念ながら、店主からシャーロット自身やそれに関係する人物にその花を売ったという証言は得られなかった。代わりに、アンブル王国の男が、半年以上前からその花を定期的に買って行ったとの証言が得られた。

 しかし、最近は姿を見かけないという。


 そうなるとこの一連の事件には、アンブル王国自体、もしくはその一部の人間が関わっているのではないか、という考えが自然と生まれる。

 今後はその裏付けが必要だ。

 ロイドはこれから、そちらの調査に向かうことになるだろう。

 ウォルナット家には不自然にならない程度に顔を出し、代わりの庭師をあてがい離れることになる。



 当然のことだ。致し方ない。

 しかしロイドの胸は、そのことを考えると、きゅうと音を立てるのだった。




 

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