第22話 side カンナ

 

 カンナはバーチ商会を営むバーチ家の一人娘として生まれた。

 バーチ商会は元々造船事業を行っていたが、ティンバーで巻き起こったコンテナによる物流改革の波を受け、カンナの祖父の代から海上輸送を専門的に行う商会へと変貌した。

 小さな商会の中には、自前の船を持たない商会も多い。そうした商会を対象に、海上輸送を請負う事業を展開していたのだ。

 幼い頃はそれなりに裕福で、クルメル商会とも対等に渡り合う程の繁盛ぶりだった。

 それこそ、ガウスが若くしてクルメル商会の会頭となった当初は、カンナの父が随分と世話を焼いていたと幼心に記憶している。


 しかしそれから数年して、悲劇がカンナを襲う。


 バーチ商会所有の船が海上で火災を起こし、船に乗っていたカンナの父諸共、海の藻屑となって消えたのだ。

 その当時では最大のコンテナ船を建造し、更に最先端の技術である蒸気機関を取り入れていた。帆の要らない船は大変な注目を浴び、時代を先取った船だった。

 その船が、海上で火災を起こしたのだ。

 原因は、蒸気機関の不具合によるもの。

 バーチ商会は信用を失い、海上での蒸気機関導入の是非に、一石を投じることとなった。


 そこからカンナの人生は、坂道を転がり落ちるように転落していく。

 輸送の速さや正確さだけでなく、安全性も重要視される海上輸送では、この失敗は大きな痛手となった。商会をあげての一大事業の失敗に、資金繰りも苦しくなり、まもなくバーチ商会は倒産した。


 カンナの母は名門商家の出身で、根っからのお嬢様だった。自身で働いたこともなく、すぐに今日明日の食べ物もないという状態にまで陥った。

 バーチ商会で働いていた者は皆苦しい生活を強いられ、誰1人として、カンナたち母娘に手を差し伸べる者はいなかった。



 そんな時、カンナを引き取ると言ったのが、ガウスだった。

 カンナの父には世話になったからと、手を差し伸べたのだ。

 カンナにとってそれは、暗闇の中の一筋の光、唯一の希望だった。

 ガウスはカンナをメイドとして雇い入れ、カンナの母も邸宅に置かせてもらえるようになった。

 カンナ12歳、ガウス19歳のことである。


 カンナにとって、ガウスは命の恩人だ。

 そしていつしか、そんなガウスに恋心を抱くようになった。

 背が高く、ハッとするほどに整った顔、男らしい体つき。

 それだけでも多くの女性にとって魅力的だろうが、カンナにとってガウスはそれ以上の存在だった。

 それは、ガウスが数多の女と浮名を流そうとも、自身の母と男女の関係を持っていると知ってもなお、変わらなかった。


 カンナが15歳を迎える前に、母は病でこの世を去った。

 カンナは少しホッとしている自分に気付いていた。ガウスは母と関係を持っていたが故に、カンナには興味を示さないのではないかと思ったからだ。

 母が居なくなれば、自分もガウスの対象になれるのではないかと思った。

 しかし、それは叶わなかった。

 ガウスにとって、カンナはただ庇護する対象であり、それは妹に対するような感覚に近い。

 ある意味、それは特別な存在であるということだが、カンナの希望とは違うものだった。


 時が経つにつれ、カンナは自身の浅ましさに罪悪感を持つようになった。

「母が居なくなれば」などと考えた自分が嫌になっていた。

 カンナは自分の恋心が、ひどく薄汚れたものだと思うようになったのだった。




 そんな折だ。

 ジュリアがガウスの妻としてやって来たのは。



 ジュリアの話を聞いて、カンナは明確な敵意を覚えた。

 憎悪と言ってもいいだろう。

 奇しくも、ジュリアとカンナの父は同じように海上で命を落とした。

 カンナにとってそれは、人生最大の不運だった。ジュリアはそれを、自らの咎で引き起こしたという。

 なのにジュリアは、自分が望んでも手に入らなかった、今は想うことすら苦しいガウスの妻の座に収まるのだという。

 憎かった。カンナはジュリアが許せなかった。

 しかも初めて見たジュリアは、痩せこけ、薄汚れて、酷い有様だった。

 こんなに美しくもない、性格も最悪な女がガウスの妻になるなど、許されないと思った。



 しかし、ジュリアの口から聞いた話は、想像もしないことだった。

 ジュリアの話を全部信じたわけではない。

 だが、話に聞いたジュリアと、今目の前で泡を鼻につけ笑っているジュリアが、完全にずれているのは確かだ。


「ねえカンナ! また店がお休みの時にこうやって手伝ってもいいかしら?」

「ダメです。今回だけ特別です」

「えー! そんな!」


 カンナは自然と上がる口角を必死に下げた。

 カンナは感じていた。

 自分はジュリアという人間が嫌いではないことを。

 けれど、それをすぐに受け入れるほど、カンナの思いは単純ではない。


(いっそ、とんでもなく嫌な女だったなら、楽だったかな)


 カンナは自嘲する。

 カンナとジュリアが友好を深めるのには、まだ時間がかかりそうだ。

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