第23話

 

 それから数週間が経ち、ジュリアは変わらない日々を過ごしていた。


 ガウスは相変わらず毎朝ジュリアと出勤を共にする。

 夜には愛人たちに会っているようだが、どうやら寝過ごすことはなくなっているようだ。お陰で最近のユアンの機嫌はとてもいい。



 時々ジュリアは朝部屋を抜け出し、厨房へと足を運んだ。

 ジュリアとしては、トビーやたまに会うビルとの会話を楽しみに行っていただけなのだが、トビーが気を利かせて焼き菓子やプディングを用意してくれることもあった。

 ジュリアはトビーの作るポルボロンが好物になった。

 ポルボロンとは、小麦粉とアーモンドプードルなどを円形に丸めて粉砂糖を振った焼き菓子のこと。口の中でほろほろと崩れる食感が絶妙で、全て溶ける前に「ポルボロン」と3回唱えられたら願いが叶うと言われている。

 トビーの作るポルボロンはとても繊細なため、1回でも言い切るのが難しいとジュリアが言うと、トビーは真剣な顔で「もっと固く作りましょうか」と言った。

 トビーがあまりに真剣な顔で言うため、ジュリアは思わず笑いながら「それでは美味しくない」と答えたのだった。


 ジュリアはビルに会うことを楽しみにしていた。

 会えた日にはとても幸運な気分になった。

 ビルはいつ会えるかどうかも分からないのに、必ずクチナシの花を用意してくれていた。

 クチナシの花の香りを嗅ぐと、ジュリアはとても幸せな気分になった。本当に喜びが運ばれてきたような気がした。

 しかしビルはやってくる日がまちまちのようで、ここしばらくは全く顔を合わせることがなく、今日も会えなかったと日々落胆していた。




 トビーの料理のおかげで、ジュリアの容姿はかなり元に戻った。痩せこけた頬はふっくらしてきたし、髪も元の通り艶がある。

 だが、マルセルに婚約破棄を告げられた時のこと、ジョシュアに船に乗せられた時のことを夢に見て、何度も夜中に起きてしまう。

 それ故、両眼の下の隈はなかなか取れず、化粧で隠す毎日だった。






 ある日の朝、ガウスと共に邸宅を出ると、珍しくガウスが話しかけてきた。


「お前、いつも同じ服だな。何故そればかりを着る」

「ええと……黒い服がこれともう一着しかないので……」


 ジュリアは驚き、言い淀んでしまった。ガウスからジュリアに話しかけることなど、これまで一度もなかったからだ。

 そんなジュリアの言葉に、ガウスは眉間に皺を寄せる。


「なら買えばいい。お前が服を何着か買ったところで、ウォルナット家は傾かない。それとも、そんなに高価な服を買おうというのか?」

「いえ、そんなことはありませんが……よろしいのですか?」

「良いと言っている。何度も繰り返すな」


 そう言ってガウスは黙り込んだ。

 視線をジュリアに合わせず、話は終いだと言っているようだ。

 しかしジュリアは素直に喜んだ。

 帰ったら、カンナに仕立て屋を頼むようお願いしよう。


「ありがとうございます、ガウス様!」


 ジュリアはにこにことガウスに笑いかけた。

 ガウスはちらりとジュリアを見ると、すぐに視線を外した。

 ガウスにとっては、仮にも自分の妻が見窄らしい姿では困る程度のことだろう。それでも一つ問題が解決し、ほっと息を吐いた。




 そのまま無言で店舗まで着くと、事務所へと上がるガウスに一礼し、店舗の中に入る。

 ジュリアは平民の娘モードに切り替えた。

 店舗のカウンターにマシューの姿を認め、ジュリアは声をかけた。


「おはようございます、マシューさん!」

「ん。はよ」


 マシューの口数は相変わらず少ないが、ジュリアは何となく親交が深められている気がしていた。

 マシューは誰より早く店舗に来ているのだが、いつも眠そうにしている。どうやら少しバックヤードで寝ているようだ。

 今も眠そうに目を擦っており、そのせいで前髪が乱れ、手を離した瞬間に前髪から瞳が覗いた。


 少し釣り上がった三白眼で、瞳は夕焼けのようなオレンジ色。

 何故顔を隠すのかと思う程、なかなかの男前だった。


「わ! マシューさんの瞳って綺麗なオレンジ色なんですね! 初めて見ました!」


 ジュリアが下からマシューの目を覗き込むと、マシューは慌てて前髪でそれを隠した。


「なんで隠すんですか? 綺麗なのに」

「うるさい。ほっといて」


 そうしてマシューはバックヤードに下がっていった。

 心なしか、耳が赤いように見える。


(悪いことを言ってしまったかしら……。でも本当に綺麗なのに)


 ジュリアは釈然としないながらも、バックヤードへと向かった。

 すると、そこで店長が店のドアを開け大きな腹を揺らしてやってきた。


「あージュリア。お前は今日から店番だ。裏は他のやつに行かせる。その黒い服着替えてこい」

「えっ! 本当ですか!」

「店長、それ無理」


 ジュリアが喜びの声を上げたと同時に、マシューが声を掛けた。


「無理とはどういう意味だ、マシュー」

「こいつ、目利きもできて仕事が早い。だから楽。他のやつにするなら2人寄越して」

「おいおいそれは無理だ。なんだ? 随分評価が高いな?」

「……別に。本当のこと言ってるだけ」


 ジュリアはマシューにそんな風に思われていたとは知らず、嬉しくなった。

 けれど、ジュリアは販売の仕事もしてみたかったのだ。マシューの評価は嬉しいが、ここは食い下がらなければならない。


「マシューさん、ありがとうございます。とても嬉しいです。でも、私実際に売る仕事もしてみたいんです。だから、開店前の最終検品が終わったらで構わないので、表の仕事をしてもいいでしょうか……?」

「…………ん。あんたがやりたいなら、いいよ」

「よしよし! 話は決まったな! じゃあ開店時間の10分前になったら表に来てくれ。なに、難しいことじゃない。お前最近綺麗になったからなぁ。売り上げ向上に役立ってくれよ! あっはっは!」


 大きなお腹をさらに揺らして、店長は言った。

 褒められているのだろうが、何となく不快な気持ちでマシューとバックヤードに向かう。


「……店長も言ってたけど、あんた、本当変わった」

「そうですか? きっと毎日賄いを食べているからですね!」

「ん。いいと思う」


 マシューは穏やかに口角を上げた。

 不器用だが、とても優しい人だ。

 店長と同じことを言われたはずだが、マシューに言われると素直に嬉しい。ジュリアは、マシューと居ると心が穏やかになる気がした。


「よし! 今日も頑張りしょう! マシューさん!」


 ジュリアは笑顔でそう言って握り拳を突き上げ、マシューはそれに、相変わらず「ん」とだけ返した。




 ジュリアはいつも通り箱から商品を取り出すと、種別、状態別に分類し、マシューの前の作業台へと並べていく。

 もうこの作業にも慣れたものだ。

 マシューとの息も合っていて、流れるように作業をすることができる。

 先程マシューにも褒められたが、自分でもなかなかに相性の良い2人だと思う。確かに難しい仕事ではないが、それでも重要な仕事だ。ジュリアは仕事を楽しんでいた。

 それにこれから売り子の仕事もできると言う。ジュリアは上機嫌だった。




 しかし、とある箱から商品を出している時、ふと気づいた。


(このサフラン……若干色が不自然だわ)


 サフランはセンダン商会でも扱っている非常に希少な香辛料だ。

 サフランの花の雌しべを乾燥させたもので、一つの花からたった3本の雌しべしか取れない。

 そのため、非常に高価だ。

 しかしこの辺りの国では、よく米料理に使われたり、血の巡りが良くなることから生薬のように使われたりと、馴染みは深い。


 このサフラン、色や香りによって等級が存在する。

 最高級のものは赤く、匂いがしっかりとしているが、下位のものだと黄味がかっていて匂いはあまりない。

 センダン商会では利用する層によって欲する等級が異なるため、等級ごとに価格設定を変え販売している。


 ジュリアの見つけたサフランは、「上級」と記載されている。

 確かに一見上級サフランのように見えるのだが、ジュリアにはどうにも違和感があった。




「あの、マシューさん。このサフランなんですけど……何かおかしくないですか?」

「ん?」


 作業をしていたマシューが椅子からのっそりと立ち上がり、ジュリアからサフランの入った小瓶を受け取る。軽く眺め、マシューはジュリアにその小瓶を返した。


「別に、どこも変じゃない。悪くなってる訳でもないし、量も適切」

「いえ、そうでなくて。何だか色に違和感があります。なんというかこう、異質な物が混じっているような……」

「そう? これ、うちのオリジナルブランドのやつ。西の地方の農家を纏めてる組合から直で仕入れたもので、副会頭も店長も最初に確認してる」


 そう言いながら、マシューはもう一度サフランの小瓶をジュリアから受け取り、じっくり眺める。

 マシューは半信半疑ながらその小瓶の封を切り、鼻を近づけた。

 そして、目が隠れているためはっきりしないが、しかし段々と驚愕の表情に変わるのが分かる。


「……匂いが違う。これは上級サフランの香りじゃない」


 ジュリアはマシューからサフランの小瓶を受け取り匂いを嗅ぐ。

 確かに、上級の割に匂いがない。

 ジュリアは一つサフランをつまみ上げ、指で強く擦ってみた。すると、赤い色素が指に付着し、黄色が現れた。

 そして先端まで擦りあげると、雌しべの先端部分、少し膨らんだ部分がごっそりと剥がれ落ちたではないか。


「これ……偽装されてる……?」


 雌しべの先端部分の方が色が濃く、匂いも強い。先端の膨らみがなく真っ直ぐなものは、その品質の高い部分を摘んだ後の、雌しべの付け根部分のものだ。


 思わずジュリアとマシューは顔を見合わせた。

 はっと我に返ったマシューは慌てて表へと駆けていく。ジュリアも小走りにそれを追った。


 ジュリアが表に顔を出すと、マシューが店長に耳打ちしている所だった。

 しばしマシューの話を聞いていた店長は、「なにぃ!」と大きな声を出して、マシューを連れてバックヤードに戻ってきた。ジュリアの前を店長たちが通り過ぎると、ジュリアも後に続いて作業スペースに戻る。


「こいつが気付いたんです。何だか色がおかしいと。それで瓶を開けて確かめてみたら……」

「……本当だ。この香りは上級じゃない……一体いつ……どうやって……」


 そこで店長がバッと顔を上げてジュリアに顔を向けた。


「今すぐ店頭の同じ商品を回収して来い! 全部だ!」

「分かりました!」


 すごい剣幕で唾を飛ばす店長に向け一つ頷くと、ジュリアはトレーを持って店頭へと駆け出した。


「すいません! ここの商品、一旦預かりますね!」


 そう周りの従業員に声を掛け、サフランの小瓶をトレーに乗せていく。

 もう少しで開店の時間だ。

 早くしなければと、令嬢らしからぬ慌ただしさで回収していく。

 すると、カランカランと店の扉が開く音がした。


「……お前、何をしている」


 唐突にかけられた言葉にジュリアが振り向くと、そこには眉間に皺を寄せ、鋭い視線を投げかけたガウスが居た。

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