第21話
中庭から戻ると、ジュリアはダイニングルームに向かった。
ガウスがジュリアと食事をとらないと宣言しているため、普段ジュリアは自室で食事をとっている。だが今はガウスが居ない。心置きなくダイニングで食事をすることができる。
ダイニングには、マルタとエマが居た。エマが明らかにジュリアを睨みつけている。
ジュリアは憂鬱になった。
カンナはクチナシの花を自室に運んでいるため、この場に居ない。エマに席を引いてもらい、椅子に座ろうと腰掛ける。
すると、エマはガタッと音をたて更に席を引き、ジュリアは尻餅をついてしまった。
「ちょっと、何をするの」
「やだ〜わざとじゃないですよ〜。ちょっと引きすぎただけじゃないですか〜」
変に間延びする喋り方で、エマはニヤニヤと笑う。
ジュリアはイライラする気持ちを何とか落ち着かせ、自分で椅子を動かし席に着いた。
その間、マルタは沈黙している。傍観することにしたようだ。
「つまらない嫌がらせはやめなさい。何をしても、あなたの立場は今と変わらないわよ」
「っ! どうぞ! 昼食のスープです!」
エマはドンっとジュリアの前にスープを置く。衝撃で中身が飛び散った。
どうやら今日のスープはガスパチョだ。トマトをベースに夏野菜をふんだんに使った冷製スープ。ジュリアの好きな料理の一つであったが、今はそれが飛び散りトマトの赤が白いクロスを汚している。運よくドレスは汚れていなかった。
「ねえ。これはどうするつもり?」
「どうとは? まだ少し残ってるじゃない。クロスにパンを擦り付けて食べたら?」
「このスープはあなたが作ったの? 違うわよね。このクロスはあなたが洗うの? その綺麗な手を見ると、洗濯はあなたの担当ではないのでしょう? あなたは私に対して怒りをぶつけられてスッキリするかも知れないけれど、それで他の人に迷惑をかけるのはおかしいのではなくて?」
ジュリアは立ち上がり、キッとエマを睨んだ。
エマはそんなジュリアに鼻を鳴らす。
「エマ。いい加減になさい。あなたはもう下がっていいわ」
それまで沈黙していたマルタが、エマに言った。
エマは愕然としてマルタを見る。
ジュリアも目を丸くして驚いた。
「え、あのマルタさん……」
「あなたの行動は目に余ります。あなたがここにいられるためには、立場を弁えなさいといつも言っているでしょう。もう下がりなさい」
「っ……はい。失礼します……」
そう言ってエマは頭を下げ、ダイニングルームを出て行った。
頭を上げた一瞬、こちらを睨んだのをジュリアは見逃さなかった。
ジュリアは毅然とその視線を受け止める。
しばしの沈黙が流れた。
「ありがとう、マルタ」
「いえ。メイド長として当然の注意をしたにすぎません。申し訳ありませんが、クロスを交換します」
「ああ、じゃあ席をずらして頂戴。洗濯物が増えてしまうでしょう」
ジュリアはマホガニー家に居た時、よくメイドに混じって洗濯をしていた。シャボンの泡が弾ける様を見るのが、存外好きだったのだ。
その分、こういった大物を洗う大変さは知っている。
トマトのシミは落ちにくい。しかももう昼だ。
誰が担当かは分からないが、苦労するだろう。
マルタは少し目を開き驚くと、畏まりました、と先程ジュリアが座っていたところから1席空け、左隣にカトラリーを移す。
そこで、カンナがダイニングルームに入ってきた。
おかしな位置に用意されたカトラリーに変な顔をするものの、汚れたクロスを認め、何となく事情を察したようだ。
「遅くなり申し訳ありません。丁度いい花瓶を探すのに手間取りまして」
「いいのよ。食事はこれからなのだし。スープがガスパチョで良かったわ。温かいものだったら冷めていたわね」
「いえ、奥様。新しいものをお持ちします」
皿に残ったスープに手をつけようとするジュリアをマルタは止め、皿を下げようとする。
「あら、勿体無いわ。これはこれで頂くから、もう一杯持ってきてもらえないかしら」
「……畏まりました」
そう言ってマルタは一旦ダイニングから下がっていった。
「……先ほど、廊下ですごい顔のエマさんとすれ違いました。何かやり返したのですか?」
「やり返しただなんて人聞きの悪い。マルタが止めに入ってくれたのよ」
「……マルタさんが……」
そう言ってカンナは考え込む。
そんなカンナを見て、ジュリアはあることを思い付いた。
「ねえカンナ。もしかして洗濯ってあなたの仕事?」
ジュリアの視線の先には、カンナの荒れた手があった。
水仕事をしていないと、ここまで荒れはしないだろう。
「え、ええ。奥様付きになるまでは、1人でやっていました。でも今はルーナさんと半々でやっています」
「そう。今日の分はもう終わっているのだろうけど、これはこれから洗うでしょう?」
「そうですね。全体は今から洗っても乾かないので無理ですが、シミの部分だけは今日中に処理しておかないと落ちないので……。ですが何故ですか?」
「それ、私にも手伝わせて!」
ジュリアはニコニコとカンナの手を握った。
カンナは目をパチクリと瞬く。
あまりにも予想外のことを聞いて、理解出来ないと言った風だ。
「やる事がなくて暇なのよ。お願い」
「ええと……ですが……」
「動いてないと、嫌なことばかり考えてしまうし……。ダメかしら……」
カンナは目を瞬かせると、そこで大きなため息をついた。
「分かりました。ですが、奥様からマルタさんの許可を取ってくださいね」
「ええ! 分かったわ!」
ジュリアが笑みを浮かべると、ちょうどマルタがスープを持って入ってきた。
カンナに椅子を引いてもらい、食事を始める。
そして食べ終わると、マルタに洗濯をしたいと願い出た。
「なりません。ウォルナット家の妻ともあろう方に、そんなことはさせられません」
「あら、ウォルナット家の妻と認めてくれるのね?」
ジュリアは意地悪く笑顔で言った。
マルタは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ごめんなさい、冗談よ。でも、別に他の人に見られる訳ではないのだし、良いのではなくて?」
「そういう問題ではありません!」
マルタは頑として認めてくれず、ジュリアはいじけたように口を突き出した。
「そもそも、洗濯などしたことがあるのですか」
「あるわよ! マホガニー家のメイドたちとは仲が良くて、お母様に内緒でよく混じって洗濯をしたものだわ。見つかる度に怒られたけれど」
「そうですか……」
「でもそうしたら午後は何をしようかしら。刺繍は苦手だし、今日は本を読む気分でないし」
「……仕方ありません。いいでしょう。カンナ、奥様を洗濯場に案内なさい」
「いいの!? ありがとうマルタ!」
マルタの許可を貰い、ジュリアはカンナと洗濯場へ向かう。
洗濯場は東棟の一階にあり、中庭の一角に干場があるようだ。中庭に降りた時、視線を遮られ囲われた区画があったが、それがこの干場だったのだろう。
ジュリアがキョロキョロと周りを見ながら、石鹸の匂いを胸いっぱいに吸い込む。
するとカンナが石鹸を持ってきた。
「さ! 汚れが乾く前にやってしまいましょう! ある程度薄くすれば、トマトのシミは太陽の光で綺麗になるものね!」
「……奥様って、本当に男爵令嬢だったんですか?」
「失礼ね! ちゃんとする時はちゃんとするのよ!」
ジュリアは意気込んで腕まくりをし、洗濯に取り掛かる。
派手にシミが付いている為、やり甲斐がありそうだ。
カンナは呆れたように肩を上げると、一緒に洗濯を始めた。
しかしその顔は、どこか楽しそうに見えた。
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