第17話
朝食を部屋でとっていると、ガウスがまたジュリアを迎えに来た。
今日は割と早起きだ。昨日はもしかしたらルーナの番で、ガウスは独り寝をしたのかもしれない。
(なんて、下品な想像だったわね)
ジュリアは1人自嘲し、ガウスに付いて家を出る。てっきり今日は1人で勝手に行けと言われるものと思っていた。まさかガウスと一緒に行くことになると思わず、何か話題はないかとジュリアは考えを巡らせる。
だがジュリアが声をかけるより先に、ガウスが口を開いた。
「昨日、ルーナを早く休ませたそうだな。何故そうした」
「え? 何故って……特に理由は。体調が悪い人を休ませるのは、当然のことではありませんか?」
「……そうか」
ガウスはじっとジュリアの顔を見たかと思うと、それ以来何も喋らずに黙々と歩き続ける。
ジュリアは不思議に思いながらも、付いて行った。心なしか昨日よりも歩みが苦ではない。もしかしたら、きちんと食事をしたために体力が少し戻っただけかもしれないが。
事務所に着くと、相変わらずにこやかにユアンが出迎えた。
「おはようございます。今日はきちんと始業時間にいらっしゃいましたね、ガウス様。いつもこうだといいのですが」
「うるさいぞユアン」
ガウスはムスッとすると、自身のデスクへと向かった。
「ジュリアさんもおはよう。昨日は疲れたんじゃない? よく眠れた?」
「はい、お陰様で。ご心配いただきありがとうございます」
「それなら良かった。それで、昨日考えたのだけれど、ジュリアさんには下の店舗の手伝いをお願いしようかと思うんだけど、どうかな?」
「ええ! もちろんやらせてくださいませ!」
ジュリアは嬉しくなった。
実は実際にセンダン商会のハーブやスパイスが人々の手に渡る瞬間を、一度見てみたいと思っていたのだ。
だからユアンの申し出は願ったり叶ったりだった。
「ガウス様もそれでよろしいですね?」
「ああ。ただし今いる職員の言う通りに動けよ。余計なことをして現場を混乱させたら、ただじゃおかない」
「畏まりました。もちろん、心得ておりますわ」
「ふん。どうだか」
ガウスはそう吐き捨てると、早々に自身の前の書類に目を通し始めた。
仕方なくジュリアは失礼します、と一声掛けると、ユアンに付いて下へ行った。
「ガウス様にも困ったものだよね。でも、これは私の勘だけど、しばらくするとガウス様はジュリアさんの事が気に入るんじゃないかな」
「そう、でしょうか……」
「ああ女性としてというより、人としていう意味だよ。変な風に思わないでね。あ……いや。奥さんにそう言うのも変だね」
ユアンは困ったような笑顔を浮かべた。
昇降機で一階に降り、表へ回る。
「あの、ヒッコリー様。1つ、お願いがあるのですが……」
途中、ジュリアは立ち止まりユアンに声を掛けた。
「おや。一体なんでしょうか」
「店舗の皆さんに、私がガウス様の妻だと伝えないで頂きたいのです。きっとそう伝えると、きちんとした仕事をさせて貰えないと思うのです。それでは意味がありません。ガウス様は私に『役に立て』とおっしゃいました。私もそうしたいのですわ」
ジュリアが真剣な顔で言うと、ユアンはふっと笑った。
「やはりあなたは噂とは随分違う人のようだ」
ユアンはついとジュリアから視線を外す。
そして、何とも言えない表情をした。
まるで残念そうな、もしくはどこか苛立っているような。
しかし次の瞬間、ユアンはパッと笑顔になり、ジュリアに顔を向けた。
「そうだね。そうしようか。ジュリアさんは、あくまで事務方で雇った一般の子ってことにしよう。実際、店舗で慣れたら事務方の方に移ってもらうつもりだしね」
「はい。よろしくお願いします」
ジュリアはお辞儀をすると、指輪を通したネックレスをドレスの襟の中に隠した。
ユアンとジュリアが店舗に入ると、中には数人の従業員と思しき男が開店準備を行っていた。
「やあ。みんないいかな。今日からこの店舗を手伝ってくれるジュリアさんだ。事務方の方で雇ったんだけど、研修も兼ねてしばらくはここで経験を積んでもらうよ。いいかな」
ユアンが声を掛けると、数人が顔を上げた。
中でもでっぷりと太ったお腹を揺する男が、前に出る。ジャンやトビーと同じ年代だろうか。
男はジュリアのことをジロジロと眺めた。
「副会頭。会頭はまた趣味が変わったんですかい? これまでと随分毛色が違いますなぁ」
「ジュリアさんは純粋に職員として採用しただけです。そういう勘ぐりはやめなさい。ジュリアさん、挨拶を」
「今日からお世話になります。ジュリアです。精一杯頑張りますので、よろしくお願いします!」
ジュリアは敢えて、まるで町娘のように元気に挨拶をした。
令嬢らしさを出してしまうと、きっと距離を置かれるだろう。
ある程度上流階級と付き合う経営陣とは異なり、現場でカーテシーは逆効果だ。
もちろん、特別扱いをされたいなら別だが。
「これはこれは元気なお嬢さんだ。しかし随分と細いなぁちゃんと食べてるのか? 店頭に立つならもっと肉を付けてからだな。お前じゃ来る客も来ない。最初は奥で商品の仕分けをやってくれ」
店長はでっぷりとした顎に指を当て、ジュリアにそう言った。
全身を舐め回すように見られ、不快感が迫り上がる。しかし店舗を任されている者ならば、当然店員の容姿も重要な判断要素だ。
仕方のないことだとジュリアは飲み込む。
それにハーブの仕分けはむしろ得意分野だ。良かったと思うべきだろう。
(でも、ちゃんと見た目を元に戻す必要がありそうね。トビーの料理を食べていれば、問題ないと思うけれど)
ジュリアは考えながら、笑顔で店長の言葉に従う。
ジュリアを気にかけながらも、店長に任せてユアンは事務室へと帰っていった。
店頭にはありとあらゆるスパイスが陳列され、小瓶に分けられたものや量り売り用の大瓶に詰められたものが並んでいる。
ハーブやスパイスは香りが命だ。
乾燥させたものは空気に触れたその時から徐々に香りを失っていく。そのため、ハーブやスパイスの輸出には神経質なまでに密閉に気を遣う。商店の中にはスパイスやハーブで小山を作り、量り売りをする店もあるが、クルメル商会では品質に拘っているのだろう。空気に曝されているものは、生で使用するもの以外には一つもない。
店舗の陳列状況を横目に見て、ジュリアはバックヤードへ行く。
一歩バックヤードに入ると、そこにはあらゆる種類の箱が
ジュリアは心が浮き上がるのを感じた。
「今日はこの列の箱を店に出す。最終検品はこのマシューがやるから、お前はマシューの作業を手伝え」
そう言って店長は、また表に出て行った。
マシューと呼ばれた男は、赤毛のもじゃもじゃ頭で、前髪に隠れて目が見えない。背がひょろりと高く、猫背気味だ。
マシューの視線がどこを向いているか分からず、困惑しながらもジュリアはにこにこと笑顔を作り挨拶をした。
「マシューさん、今日からお世話になるジュリアです! よろしくお願いします!」
「……そんな大きい声出さなくても聞こえる。こっち」
そう言ってマシューは挨拶も返さずに、作業台へと向かった。
口が悪い割に、不思議と敵意は感じない。こういう性格なのだろうとジュリアは思った。
(見た目は全く違うけれど、少しマルセルを思い出すわ)
ジュリアは切なげに笑むと、箱に手をかけた。
「マシューさんが最終検品をされるということは、私はどの部分をやるのが良いでしょうか。箱の中から出して種別ごとにまとめますか? それとも検品後のハーブを店頭に待って行きますか? いや、それは両立できそうですね」
「……上の箱を俺が下ろす。あんたは箱の中身出してまとめて。そこにあるトレーに3つ分纏まったら、店頭に持ってく」
「はい、分かりました!」
ジュリアは言われた通り次々と箱から出し、種別ごとに分類していく。
かつてマホガニー家でよく見ていたセンダン商会の紋章入りの瓶を見ると、何だか込み上げてくるものがあった。
「ハーブの目利きが出来るんだな」
しばらく作業をしていると、マシューがぽそりと呟いた。
どうやらジュリアがきちんと種別ごと、状態ごとに分類して置いていたことが分かったのだろう。
「素人じゃこれの違いも分からない。どこかで経験が?」
そう言ってマシューはディルとフェンネルを指差した。
確かにディルとフェンネルはよく似ている。羽のような細い葉がわさわさと生えていて、用途も主に魚に合わせるものと同じだ。どちらも生でそのまま使うことが多いため、紙の帯で一括りにされているだけである。
「実家がハーブやスパイスを扱う商家だったんです。だから見慣れていて……。こっちの葉が密な方がディル、匂いの強い方がフェンネルですよね。私のちょっとした特技です」
ジュリアは照れたように笑った。
ティンバーではフェンネルはよく使うが、ディルはあまり使わない。
だから確かに、2つをすぐに見分けられる人間は少なかっただろう。
「……ん。作業が早くて、助かる」
マシューはジュリアの顔をじっと見てから、自分の手元に視線を戻した。
そしてその後は黙々と作業を進める。前髪で隠れていて表情がよく分からないが、どうやらジュリアのことを好意的に受け入れているようだ。
そのまま開店までに最終検品を終わらせ、品出しを終えるとそのまま在庫のチェックと整理を行う。
マシューは無口だが作業が早く、話すことも端的で分かりやすい。ジュリアは快適に作業を進めることができた。
やはり、クルメル商会の本店ともなると職員も優秀なのだろう。
これは自分もしっかりしなければならないと、ジュリアは襟を正す心持ちだった。
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