第14話

 その後、カンナが替えのドレスを持ってきてくれた。きちんと黒色だ。

 しかし事前に用意していた黒いドレスはこれともう1着だけらしい。

 今後1年は黒いドレスを身に付けるので、新しく仕立てた方がいいかもしれない。


(と言っても、この状況でそんな話をするのは難しそうよね……。船乗りの彼から預かったお金はまだあるけれど、既製品が1着買えるかどうかかしら。平民の服なら、まだもうちょっと買えそうだけど……)


 とりあえず、今はこの2着を着回すことにして、早くガウスの誤解を解くことを考えた方がいいという結論に達した。

 今手元にある金が、ジュリアの全財産だ。何も持ってきていない為、売れる物もほとんどない。


(売れるとしたら、マホガニー家の紋章の入った指輪と、このネックレスだけね……)


 胸元のアメジストのネックレスを、ジュリアは握りしめた。

 成人のお祝いに、マルセルが顔を赤くしながら渡してくれたネックレス。


 17歳の誕生日にはダイヤの指輪をくれたが、パーティー用の華やかなデザインだったため出て来る時には着けていなかった。

 マホガニー家のジュリアの自室にあるだろう。

 ジュリアは春生まれだ。

 18歳の誕生日には、マルセルからは、何も届かなかった。


 ジュリアは決してマルセルに恋をしていた訳ではない。

 だがこのネックレスは、幸せだった頃の象徴のような気がして、手放す気にはなれなかった。


 ジュリアは指輪を外し、ネックレスのチェーンに通して首から下げる。

 部屋にはジュエリーボックスがなく、アクセサリーを置いておくのは気が引けたので、ネックレスは常に身に付けることにする。

 もうマホガニー家の紋章を堂々と付けることも憚られ、指輪は首から下げることにしたのだ。


(ああ。何か仕事がしたいわ。ここに居ても何もやることがないし。クルメル商会のお手伝いは……させて貰えないかしら)



 ジュリアはそんなことを考えながら、カンナに手伝ってもらい、黒いドレスを着た。

 このドレスは後ろにボタンが付いているため、どうしても手伝って貰わなければならない。

 ドレスを着終わって、一息つく。すると途端にやることがなくなってしまった。

 ジュリアは手持ち無沙汰に、何かできることはないかカンナに聞いてみた。カンナには、読書と刺繍を勧められた。

 ジュリアは刺繍があまり好きではない。不器用で細かい手作業が苦手なのだ。

 ジュリアは読書をすることにした。

 カンナの案内で、図書室へと向かう。

 図書室は南棟の中央部、ちょうどVの角のあたりにあった。思ったよりもかなり蔵書が多い。


「すごい。これはどなたが集められたものかしら」

「ガウス様は読書家でいらっしゃいます。ここにある書物はガウス様のご両親が集められたものも多いですが、半分はガウス様のものです」


 ジュリアは驚いた。

 どうもガウスの印象とここにある蔵書が結びつかない。かなり難解な専門書もあるようだ。

 若くして商会を背負うことになったガウスは、想像以上の努力を強いられたのかもしれない。

 ジュリアは、自身もたった一面だけで相手を判断していたのだと、反省した。


 いくつか興味をそそる書物を手に取り、中央にあるテーブルに着く。

 そして思いの外熱中してしまい、カンナに昼食の確認を取られるまで読書に没頭してしまった。ほとんど動いておず、あまり腹も減っていない。

 カンナに軽いものを持ってきてもらうよう伝えた。


 ジュリアは野菜とハムの挟まったホットサンドを食べ、また読書を始めると、ガウスが図書室にやってきた。


「おい。支度をしろ。お前を商会に連れて行く。ただ家で遊ばせはしないぞ。せめて少しは役に立て」


 そう言ってさっさと部屋から出て行ってしまった。

 ジュリアは本を戻すようカンナに言い添え、慌ててガウスを追いかけた。


 邸宅から商会の事務所まで、徒歩で10分と掛からない距離だ。と言っても、貴族ならば皆馬車で行く距離である。

 だがガウスは徒歩で行くつもりらしく、ジュリアを気にせず、ずんずんと歩いて行く。どうやら供は付けないようだ。

 背の高いガウスは歩幅も広い。

 女性としては背が高い方であるジュリアも、小走りにならないと追い付けない。


「あの、ガウス様っ、もう少しだけゆっくりお願いします!」

「ふんっ。俺に意見するつもりか! とっとと付いて来い!」


 そう言ってちらりとジュリアを見ただけで、ガウスはまた前を向いて歩いて行く。

 仕方なく、ジュリアは小走りのまま追いかけることになった。


 事務所に着く頃には、ジュリアはクタクタだった。

 普段のジュリアなら貴族令嬢としては珍しく余裕で歩く距離であるが、ここ最近きちんと休めていない。体も動かしていなかったので、当然のことだった。


「軟弱だな。貴族のお嬢様としてぐうたらしていた証拠だ。これからはそうはいかない。覚悟しろ」


 荒い呼吸を繰り返すジュリアをひと睨みし、ガウスは事務所に続く扉を開いた。



 クルメル商会の事務所は王都の目貫き通りに面した一等地にある。5階建ての建物のうち、1階は店舗になっていて、2階以上が事務所になっている。

 クルメル商会はハーブやスパイスを扱う商会だ。センダン商会の質の高いハーブを始め、様々な地域の珍しいものを扱っていることもあり、とても人気が高い。

 最近ではそうしたハーブなどを使った料理や菓子を出す飲食店をホルツ国内に5店舗ほど展開しており、どれも行列が出来る人気ぶりだ。

 中でも目貫き通りにあるこの店舗は、本店として国内一の売り上げを誇る。

 実際に商品を売る店舗が事務所の一階にあり、隣の建物の一階にレストランがある。

 客の好みに合わせてスパイスとハーブを調合し、オリジナルのミックススパイスを作るスタイルがうけており、店舗にもレストランにも人が溢れている。

 通りにまでハーブやスパイスの香りが漂い、もしも昼食を食べていなければ腹の虫が鳴いていたかもしれない。

 よくセンダン商会でも嗅いだ懐かしい香りだった。


 店舗の脇にある扉を潜ると、右手に重厚な木の階段があった。

 正面には、3人がぎりぎり入れる小部屋がある。小部屋の扉は引き戸のようで、ガラスが嵌め込まれていた。扉は二重構造になっており、内側には金属の蛇腹式の扉があるようだ。

 ガウスはその扉を引いて、中に入る。

 ジュリアはどうしていいのか逡巡していた。


「とっとと乗れ。それとも階段で行くか?」


 ガウスがジュリアを鼻で笑った。

 ジュリアはよく分からないながらも、ガウスに続いて小部屋に入る。

 ガウスはまた2枚の扉を閉め、壁に付いたハンドルを右に倒した。

 すると、なんと小部屋自体が上に上り始めたではないか。


「これ……昇降機……!」

「初めてか。まぁ、ティンバーにはまだ入っていなかったな。ホルツでも入れているのはごく僅かだ」


 ガウスはどこか誇らしげに言うと、はたと気付いて顔を顰める。

 相手がジュリアであるにも関わらず、つい話してしまったようだ。

 そんなガウスに気付きつつも、ジュリアは続けた。


「話には聞いていましたが、こんなにも揺れが少ないものだとは思いませんでした。力もあまり要らなそうですね。それとも、ガウス様が力持ちなのでしょうか。

 しかし昇降機をご自身でお持ちだなんて……財力もさることながら、最先端の技術を積極的に取り入れる決断力は、流石ですわ!」


 ジュリアは興奮気味に話す。

 お世辞でも何でもなく、初めて実際に見る昇降機に感動し、それを導入したガウスを本心から流石だと思ったのだ。

 これはジュリアの持論だが、自分が感じた好意的な印象は、相手に伝えて悪いことはない。

 全く出鱈目のごますりは、人の心を動かさないばかりか相手を不快にさせることすらある。だが、実際に自分の感じたことであれば、それはきちんと相手に伝わるし、相手も悪い気はしないはずだ。

 ジュリアはそう思っていた。

 ガウスは何も応えないが、満更でもなさそうだ。

 ジュリアはふうっと安堵の息を吐いた。


 昇降機を降りると、目の前にこれまた重厚な扉が現れる。

 扉の枠には精緻な細工が施され、そうしたことにあまり頓着しないマホガニー男爵家の執務室より立派かもしれない。

 ガウスはその重厚な扉を押し開いた。

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