第13話

 ジュリアが厨房から帰ってさして間をおかず、カンナが部屋に入ってきた。

 間一髪だったと、ジュリアは一息つく。


「おはようございます。どうなさいましたか、奥様」

「い、いえ。何でもないのよ」


(勝手に部屋を抜け出して厨房に行っていたなんて、知られたら何を言われるか分かったものじゃないわ)


「朝食はこちらにお持ちしてよろしいでしょうか。ガウス様はまだお休みになられています」

「まあ、でしょうね」

「? 今何か?」

「いいえ。何も。じゃあ朝食はここで食べるわ。あと……疲れているのかあまり食欲がないの。朝食は少なめで構わないわ」

「……畏まりました」



 どうも、昨日と比べてカンナの対応が丁寧になっている。

 カンナの前で号泣してしまったから、同情されているか、関わると面倒だと思われているか。どちらか分からないが、昨日のように悪意をぶつけられるよりはよほど良い。



 しばらくして、カンナがワゴンを押して入ってきた。

 ワゴンからテーブルに朝食を並べる。

 サラダとふわふわの白パン、それからフルーツだ。


(さっき食べたばかりだから、流石にお腹いっぱいだわ。でもトビー、気を利かせて別のものにしてくれたのね。有難いわ)


 目の前の朝食を食べられるか不安だったものの、ジュリアは存外全て平らげてしまった。

 しかしお腹ははちきれんばかりだ。完全に空っぽだった胃が急に膨らみ、負担がかかっているのを感じる。


「ねえカンナ。申し訳ないのだけれど、胃薬をもらえないかしら。この家でも常備されているでしょう?」

「……はい、ございます。奥様、調子が悪いのですか?」

「そういう訳ではないのだけれど、ここ3日ほどほとんど食べていなかったから、久々のちゃんとした食事が胃に重たくて……」

「そう、ですか」



 カンナは静かに、失礼します、と言って部屋を出て行った。やはり昨日の勢いはどこへやら、どうにも大人しい。

 ジュリアは首を傾げる。

 またしばらくして、カンナがトレイに薬包と水の入ったコップを持ってきた。ジュリアはカンナから薬を受け取ると、口に含み一気に飲み込んだ。


(ううう……昔から薬は苦手だわ……。あまり病気をしたことがないから、慣れていないし)


 ジュリアが顔を顰めて水を飲み干していると、カンナがポツリと呟いた。


「お兄様に無理矢理船に乗せられたとおっしゃていましたね。ご自身で逃げて来られた訳ではないのですか?」

「……信じて、くれるの?」


 ジュリア一瞬キョトンとした後、驚きで目を見張った。

 カンナがそんなことを言うとは思わなかったから。


 カンナはキッとジュリアを睨んだ後、ふいっと視線を外した。


「信じた訳ではありません! でも、昨日のあなたは嘘をついているように見えなかった。あれが演技だというなら、相当な女優なはずです。そんな演技力があるならば、あなたは婚約破棄などされていないでしょう。破棄されるのが目的でなければ。

 だから、少しだけ話を聞いてみようと思っただけです」



 ジュリアを見ないまま、カンナはそう告げた。

 ジュリアの話を信じた訳ではないまでも、聞いていた話と何か違うと感じたようだ。

 カンナはきちんと自分で考え、判断できる人間なのだとジュリアは思った。今のジュリアにとって、カンナの存在は貴重だ。


「ありがとう。話を聞いてくれるだけでも、とても嬉しいわ」



 そしてジュリアは話し始めた。

 兄の変化、婚約者の変化、ジュリアの知らない間に、全て両親が不在の間に兄が独断で行ったこと。

 最後の最後まで、ガウスとの婚姻について知らなかったこと。

 何の荷物も、路銀さえ渡されずに船に乗せられたこと。

 父の死は、オルガの事業所で初めて聞いたこと。


 ジュリアはできるだけ主観を入れずに、事実のみを話した。その方が説得力があるだろうと思ったからだ。

 カンナはじっとジュリアを見つめ、黙って話を聞いていた。


 そして話が終わると、カンナははーっと深い溜息をついた。


「私には、あなたの話を信じられるだけの材料がない。だから、これだけでは信じません」

「っ……そう……」

「ですが、全てが嘘という訳でもなさそうだと、これは勘ですが思います。なので、昨日の態度については謝罪します。申し訳ございませんでした」

「カンナ……」

「ですが、私はあなたの味方になった訳ではありません。もしも、やはりガウス様の奥様に相応しくない方だと思ったら、それ相応の対応を致します。……失礼いたします」


 カンナはそう言うと、お辞儀をして部屋から出て行った。

 どうやらカンナは一旦態度を保留し、中立に立つということのようだ。

 本来なら、メイドがそのような尊大な態度を取ることは許されないだろうが、ジュリアは今この家で誰にも当主の妻と認められていない。それに、ジュリアは実家とも縁が切られ、貴族令嬢でも何でもない。

 カンナのこの姿勢は、むしろ良かったと喜ぶべきだ。


 カンナと、コックのトビー、そして庭師のビル。

 彼らのジュリアに対する態度に、嘘はないように見える。


 皆この家ではあまり発言力がある訳ではなさそうだ。

 しかし穿った見方をしない人がいるだけでも、この場所でジュリアがやっていける活路が、細く小さいながらも開けた気がした。

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