第10話

 

 夜。

 晩餐の少し前に、ガウスが帰ってきた。

 マルタからそれを聞いたジュリアは、エントランスホールまで出迎えに行く。


 マルタを始めとしたメイドが総出で出迎える。ジュリアは先頭で頭を下げていた。

 やがてスチュアートによって開かれた扉から、ガウスが入ってくる気配がした。


「お帰りなさいませ、ご主人様」

「……今帰った」


 その声にジュリアは頭を上げた。

 するとそこには、記憶よりも更に背が高く、そして雄々しく成長した男が居た。

 黒髪をかなり短くしているのは変わらないが、より筋肉が付きがっしりしている。

 金の瞳はどこか危うい色香を感じさせ、整った顔と相まって大人の魅力を感じさせる男だった。


 ジュリアは納得する。

 なるほど、これはたとえ遊び相手の1人でも構わないと、女が寄り付くのは分かるような気がした。


 ガウスは、全身黒い服を着ていた。

 これは喪服だろう。

 ジュリアの父の喪に服しているのだろうか。


 ジュリアが観察していたのと同時に、ガウスもジュリアを値踏みしていたのを、はっきりと気付いていた。

 そしてジュリアは見た。

 ジュリアが顔を上げた途端、ガウスは明らかに落胆し、顔を顰めたのを。


(どうやら私のことは、あまりお気に召さなかったようね。幸運にも、と言うべきか、残念にも、と言うべきか分からないわ)


 複雑な気持ちを胸に押し留めて、ジュリアは努めてにこやかな笑顔を返した。


「遅くなってしまい申し訳ありませんでした。私がマホガニー家が長女、ジュリアでございます。ガウス様、お久しぶりでございますね」

「無理に引き取ってやるというのに、こちらを随分と待たせてくれたな。それでそのように笑顔で返せるとは。よっぽど面の皮が厚いらしい」

「それは……本当に申し訳ございませんでした。しかし嵐の影響で思うように馬車が動かず、どうしようもなかったのです」

「言い訳はいい!」


 ガウスは眼光鋭くジュリアを睨みつけた。


「ティンバーでやらかしたらしいな。ジョシュアから聞いたぞ。だから貰って欲しいとな。お前も国を出たがっていると。

 だから娶ってやることにしたんだ。慈善事業のようなもんだな。ジョシュアはどうしようもない妹だから、どう扱っても構わないと言っていたが、それでもあいつの妹だ。それなりに扱うつもりだったさ。

 だが、事情は変わった。

 お前のせいで会頭が死んだなんて……」


「ご存知なのですね……。ですがガウス様は、何をもって私のせいだとお」


「全てお前の自業自得だというのに、平民に嫁ぐのが嫌で逃げただと? お前が貴族になったのは、お前の功績じゃないだろう! 思い上がりも甚だしい! そんな身勝手なお前を追いかけて、会頭は海に沈んだんだ! これがお前のせいじゃなくて何だと言うんだ!」


 ジュリアが言い終える前に、ガウスが激しい勢いで凄む。元々背が高く頑強な男だ。普通の令嬢なら恐怖で震え上がっただろう。

 しかしジュリアはそういう男に慣れていた。港の屈強な男たちを見て育ったジュリアは、毅然とガウスに言い返した。


「ガウス様。その話は間違いだらけです。私はティンバーで何もやましいことはしていませんし、一度たりとも平民に嫁ぐことを嫌がったことはありません。どうか、話を聞いてください」

「うるさい! つまりジョシュアが嘘をついていると言うのか! 兄さえも侮辱するとは、最低の性悪女だな! 恥を知れ!」

「違うんです! 違うんですガウス様!」

「言い訳はいい! ではなんだその服は? 自分の父が亡くなったというのに自分の見た目が1番か? 俺はお前を愛することも、心を許すこともない決してないぞ!

 3年経ったら、この家を出ていけ!!」


 そう言うと、ガウスは荒々しい足音を立てて階段を登っていった。

 それに合わせて、使用人たちも散開する。




 ジュリアははぁっと溜息をついた。

 3年経ったら、とガウスは言った。

 ホルツでは基本的に離婚が認められないが、3年間白い結婚であった場合には、夫婦の合意の元、離縁が認められる。

 つまり、そういうことなのだろう。


 ジュリアは仕方なく自室へ帰ろうと一歩踏み出した、途端。

 ジュリアは何かに躓き、盛大に転んだ。

 更に、近くにあった花瓶を衝撃でひっくり返し、全身ずぶ濡れになってしまった。


「あら、大丈夫ですか奥様」


 くすくすと含み笑いをしながら、黒髪のメイドが見下ろしてくる。

 メイドの割に髪をきちんと結わず、右肩から前に垂らしている。緩やかなウェーブを描く黒髪と同色の瞳、そしてメリハリのある体付き。

 いかにもガウスが好きそうだ。

 どうやらこのメイドが、ジュリアの足を引っ掛けたらしい。


(良かった。花瓶は割れていないみたいね)


 ジュリアはハーブとオリーブの目利きには自信があるが、陶磁器には疎い。けれど、素人目に見てもとても良い品なのが分かる。

 どこかの誰かが情熱を持って作り上げた物は、商人の娘として粗末にしたくなかった。


「あなた、自分が何をしたのか分かっている? 危ないじゃない。花瓶が割れる所だったわ」

「ええ? 私のせいだって言うんですか!? ご自分で転んだくせに、なんて酷い!」


 メイドは両手を頬にやり、わざとらしく嘆いた。


「そう。自分は何もしていないと言うのね。良いわ。でも良く考えなさい。自分の行動で何が起きるのか。

 もしもこの花瓶がウォルナット家の由緒あるもの、そうでなくても思い出の詰まっているもので、それが割れていたら、あなたどうするつもり? もし私が怪我をしていたら? ずぶ濡れになったことで発作を起こすような病気を、私が持っていたら? あなたどうするつもり?

 私のせいだと言い逃れれば、それで良いと思っているの? そう言う問題じゃないわ。それとも、そういう問題でしかないと思っているの?」

「っあなたには言われたくないわ! 失礼します!!」


 憮然とした顔で、黒髪のメイドはそう言い捨てて踵を返し去っていった。

 ジュリアははぁっと息を吐く。


(私、このまま自分の吐いた溜息に埋もれて死ぬんじゃないかしら)


 ジュリアは自嘲して、重たくなったドレスの裾を持ち上げ、自室へと続く階段を登る。室内用の簡易なドレスとはいえ、布が多く、濡れると重たい。

 なんとか2階まで上がると、階段ホールに置かれた大理石の彫像に手をついて、上がった息を整えた。

 この彫像は神話に登場する富を象徴する男神だ。商売を営む家には飾られることが多い。


(こういう時3階は嫌ね。まあ、そう何度もあって欲しくはないけれど)


 ジュリアは男神を見上げながら思った。


 ドレスを引きずりなんとか自室へと戻ると、カンナが控えていた。ひどく憮然とした態度で、ジュリアを睨みつけている。


「ねえカンナ。新しいドレスを用意してもらえる? あ、今度こそ黒がいいわ」


 そう言い置いて、ジュリアは浴室へと入った。

 カンナはそれを無視して、ワードローブから適当な服を取ると浴室の棚に放り投げた。

 ジュリアはまたもや溜息をつくと、1人で風呂にお湯を張り、体を温めた。

 再度汚れた体を洗い流し、ドレスに袖を通す。

 気分とは真逆の、明るい黄色のドレスだ。

 奇しくも、サイズはちょうど良さそうである。前をボタンでとめるタイプのもので、1人で着ることができた。



 浴室から出ると、意外にもカンナはまだ部屋にいた。

 てっきりもう下がっているものとジュリアは思っていたのに。


「……あんたなんて、喪に服する資格も、悲しむ資格もないわ。全部自分のせいじゃない! せっかく素晴らしい家族が居たのに、自分で全て壊しておいて、被害者面しないでよ!」


 その時の表情が、ジュリアにはどうも気になった。

 まるで自分にも思い当たる節があるような、自分の傷を抉られたとでも言うような。


(彼女も……家族を亡くされたのかしら)


 ジュリアはぼんやりとそう想像する。


「違うわ。確かにお父様が亡くなったことに私も責任がある。私がうまく立ち回れなかったせいだわ。けれど、ガウス様のおっしゃった様なことは何もないのよ。お兄様に無理矢理船に乗せられてここに来たの。

 ……信じてもらえないかもしれないけれど」


 話しながら、ジュリアは思った。

 ジュリアは誰かに聞いて欲しかったのだ。

 自室に軟禁され、船の食材庫に押し込められ、1人馬車に乗ってやってきた。

 これまで誰にも、ジュリアの話をして来なかった。


(そうよ、伝えなければ誤解されたままだわ。そんなの当たり前よ。聞いてもらえなかったとしても、きちんと話さなくちゃ)


「何故かお兄様の想い人を虐げたと勘違いをされて、お兄様を怒らせてしまったの。全くそんな事実はないわ。私は彼女とほとんど話したことだってないのに。

 けれどいつの間にか私が彼女に怪我をさせたことになっていて、婚約破棄までされた。私の元婚約者も、彼女に惚れ込んでいたのよ。私は必死に無実を訴えたけど、お兄様は聞く耳を持たなかった。

 ガウス様との縁談の話も、本当に何も知らなかったし、船に乗せられる直前に聞いたのよ。それも全部、お父様とお母様が居ない時に起こったこと!

 お父様は何も知らなかった! だからお父様は、きっと、きっと私を心配して慌てて追いかけてきてくださったのよ!

 ああ! 私がもっと上手く対応できていたらこんなことにはならなかったのに!

 お父様! お父様!!」


 ジュリアは話している内に涙が溢れてきた。

 きちんと話さなければと思うのに、感情を堰き止めていた何かが外れたように、溢れて止まらない。

 何故父は死んでしまったのか、何故誰もが兄の嘘を信じてしまうのか、もう訳がわからなかった。

 そんなジュリアをカンナはしばし眺めると、鼻を小さく鳴らして去っていった。

 ジュリアは溢れて止まらない涙を拭うのに必死で、気付かなかった。


 カンナの瞳が、僅かに揺れていたことに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る