第5話

 食材庫の中で1人丸まって泣いていたジュリアは、昔のことを思い出していた。


 ジョシュアはこれまで、むしろ妹馬鹿だとからかわれるほどにジュリアを溺愛していた。

 危ないことをすればきつく叱られたが、それでも最終的には笑顔で抱きしめてくれた。

 ジュリアは6歳離れたこの兄が自慢で、いつも兄の後ろにくっついて歩いていたのを思い出す。そんなジュリアをジョシュアは邪険にすることなく、優しく接してくれていた。

 自分とよく似た赤茶の髪と黒い瞳をしているはずなのに、ジュリアとは全く違う、落ちつた雰囲気を持っている青年だった。

 誠実で真面目。

 ジョシュアはよくそう称される。

 ジュリアにとって、ジョシュアはとても大人で、第二の父の様な存在だった。



(あれはまだ平民だった頃だから……私が6歳くらいの時かしら。

 私とお兄様の2人で港で隠れんぼをしていて、私が勝手に船に乗り込んでしまったのよね。そのまま眠ってしまって、気付いたら船が動いていてびっくりしたわ)


 1人で船に乗り込み、甲板で貨物の影に隠れていたが、そのまま眠ってしまい船が出港してしまった。

 ジョシュアたちは居なくなったジュリアを大慌てで捜索し、約3時間後にジェルバの港から、船に乗り込んだジュリアを発見したとの報告が入ったのだ。

 また同じ船で帰ってきたジュリアを、ジョシュアはボロボロと涙を流しながら抱きしめた。


『ジュリアが居なくなってしまったら、俺はもう生きていけないよ。

 お願いだから、もうこんなことはしないでくれ。勝手に船に乗ってはダメだ。もしも船の行く先が遠い異国だったらどうするつもりだったんだ』

『ごめんなさい……ごめんなさいお兄ちゃん……』


 憔悴したようなジョシュアの姿に、ジュリアは決して大袈裟だと笑うことは出来なかった。

 幼い2人が抱き合うのを、両親が更に抱きしめてくれた。

 ジュリアが、自分は家族から愛されているのだと認識する大きな出来事だった。


(あの頃は、確かにお兄様と仲が良かったのよ。ううん、つい最近までは、いつもと変わらないお兄様だったはずよ。

 お兄様が言うようなことは、何一つしていないわ。なのに、あんなにもお兄様が変わってしまうなんて……。

 やはり……メイプル男爵令嬢が何かしたの? でも何も証拠はなかった。

 ああ! こんなことならフルールの掟なんて気にせず、お父様とお母様に相談すれば良かった!)


 ジュリアは無意識に、ぎゅっと胸元のネックレスを握りしめた。

 そして手のひらを開き、ネックレスを見つめた。


 まだマルセルと良い仲を築いていた頃、成人のお祝いにマルセルからもらったネックレス。

 いつも花や栞、美しいガラスペンなど、どちらかというと日常使うものをプレゼントするマルセルが、身に付ける物をくれるのは珍しかった。

 普段、無口で無表情なことが多いマルセル。そんな彼が頬を赤く染めながら「気に入らなかったら、捨てていいから」と言って、このネックレスの入った箱を手渡してきたのが印象的だった。

 ネックレスのデザインはとてもジュリア好みのもので、5つのアメジストで花の形を象った物だ。

 ジュリアはその場でネックレスを付けて見せると、マルセルは顔を真っ赤にしていた。珍しい物をプレゼントしたことが、恥ずかしかったのかもしれない。

 兄や父にも似合うと褒められたし、母は「あらあら」と何やらニヤニヤしていた。




 ジュリアは激しく後悔していた。

 さりとてジュリアは何もしていない訳ではなかった。

 エミリアや側近たちの婚約者と共に、シャーロットについて調査を行っていたのだ。

 メイプル男爵家はアンブル王国との繋がりがあるのではないか、何か怪しげな薬物を入手していないかなど、各々の伝手で探っていた。


 しかし、何も出てこなかった。


 ジュリアはシャーロットが黒であると確信している。

 これはジュリアの特技であるが、ジュリアは人の悪意を察知することに長けていた。

 幼い頃から父や母に付いて商談の場に赴いていたこと、また母であるマレーナからの教えがあったからだ。

 社会での男性優位は相変わらずであり、女が身を守るために必要なことだと学んだ。現に、マレーナは社交界でひらりひらりと悪意を躱すのが上手かった。


 ジュリアはシャーロットに会った時、強烈な違和感を感じた。

 一見可憐で清純なように見えるが、どうにも悪意がチラチラと見え隠れする。

 特に、ジュリアに対する悪意は顕著だったように思う。


 だが、証拠は何も見つからなかった。


 エミリアから、アークたちもこの件を調査していること、王の耳にも入っていることを聞いていた。

 故にジュリアたちは、ギリギリまで家の力に頼らず自分たちの力で解決しようとしていたのだ。

 何故なら、フルール内のことはフルールで解決するという掟があったからだ。


 とはいえ、当然フルールで手に負えないことはその限りでない。

 つまり、ジュリアたちは状況を見誤ったのだ。王も静観の姿勢であると考えられたのが、判断の誤りを助長させた。


 何も証拠がない状態ではシャーロットを直接追求する材料がないとジュリアたちは二の足を踏んでいた。

 社交シーズンと言えども毎日顔を合わせる訳ではないし、ジュリアたちが出席するパーティー全てにシャーロットがいる訳ではない。

 シャーロットの求心力はあまりにも早く、ジュリアたちは完全に後手に回ってしまった。

 ジュリアはひたすは、あの時こうしていれば、ああしていればという終わりのない後悔を繰り返していた。


 

 ソルムの港を発ち、丸3日。

 船は、ホルツ王国のラシーヌに入港したのだった。

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