朦朧

雲はひどく朧げに見えた。

物体は落下するんだって。この前読んでた小説、衝撃的な結末だったよ。果物は落とすと痛むから。そのペンキの色、悪趣味じゃない?赤い階段を登っていく。鉄骨って結構グロテスクだよね。遠くに見えたあれ、あれは林檎の樹だろうか。遠い遠い場所の夢をみた。腐りかけが一番甘いんだ。その肉からは芳醇な香りがした。そんな頻度で焼肉行くんだ、若さだねぇ。薄い膜がその段差を隔てているんだよ。疲れちゃったんだな、上を目指すのに。私に理解できる程簡単な一節じゃないかな。ここが最重要の伏線であり、分岐点なんだ。こっちに来て、景色いいよ。ひかれていたのは手だったのだろうか、心臓では無かったか。その握手には応じられない。残念だなぁ、売り切れちゃってる。テーブルの上の林檎は濃密な影を落としている。ブラックホールが何だって?彼女は何か非道いことを言った。記憶はただ朦朧としている。黒板に何か文字を書いていた。落とした林檎は彼女の方に転がった。引力ってのは引き合う力なんでしょ。本屋大賞なんだ、たまたま目についたから買っちゃってさ。絡んだ運命の糸を引き摺って球体は回った。目を刺すような赤だった。泣き腫らした目は充血している。絶対忘れないでね、死んでしまっても。その樹は気がつけば枯れていた。あたしなんて元々そういうもんだよ。風の音かな。その音は奥の教室から響いている。林檎を啄む鳥が誇らしげに鳴いた。空を飛べない愚か者。いつだって果実は野生動物に食い荒らされるものだから。ある朝、嫌に汚れていた机。脳に埃がかかってしまった。掃除機で全部綺麗にしてしまおう。最近頭痛が酷いんだ。風邪を引いたら林檎でも剥いてあげるね。心配いらない、怪我した訳じゃないんだ。頁を捲るときに軽く切ってしまった。スカートの裾が翻った。黒い服の人ばかり歩いている気がした。その道はどこかに続いている。奥に奇妙な引力が漂っている気がした。誘蛾灯は嫌な光り方をする。羽虫がバチンと音を立てた。腐った果実には虫が群がるものだ。虫の食った頁はこの小説にはない。文字には過去が眠る。上辺からしか読み取ることができなかった。知らない方がいいことばかり。本を読むとき近くにあった果物籠。石鹸と林檎の香りが混ざった。生地を掬うように混ぜた。意識も無いようなまま歩いていた。眠ってしまいそうな中、毛布を肩にかけたのは。柔らかくてふわふわな思い出だけじゃ生きられないんだよ。林檎のシフォンケーキを焼いた。ねぇ、甘い匂いがするでしょう。失意のまま歩いていたのだ。誰もいない病室で林檎の皮を剥いている。変な夢をみた。赤いカバーを小説にかけて本棚にしまった。もうこんなに読み進めてしまった。待ち合わせ時間まで後少し。やがて柱時計は鳴るのでしょう。齧られた林檎はもう、丸くなれない。角張った階段を上っていくの。人は小説の中だけには生きられない。踏み出す勇気は持ち合わせていないんだ。ねぇ。誘蛾灯の気味の悪い稼働音。まだ動いていた。あの日落ちたのは林檎だけだったのね、先生が言うには。落ちた心臓を拾う。奇妙な魅力があるのでしょう。解らない。匂いだけ強く残っている。何も映さないんだねって。もう。林檎はひどく甘い。甘い夢をみた、景色があった。外に行きたい、夜景がみたいの。さくっと音がして果実が削れる。さっきのは冗談よ、きっとそうなの。かつん、かつん。辿り着いた白い部屋には誰もいない。腐るように甘い終着点でしょう。分岐を間違えてしまったんだ。手は未だ引かれることがない。腐った果実は自由落下する。あんまりにも脆いから砕けてしまった。これが終着点。思い出さない事が膜を形作っている。破かれる以前に存在しない頁が有る。腐った肉の味がしている。全ては気の所為だった。半分に割られた林檎。真実は割られている。

白雪姫は林檎の魔力で永久に目を閉ざしてしまう。だから。

あたしを見捨てないでね、先生。

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