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「だめよ、エル」


 私の言葉を止めたのは、紛れも無い目の前の母だった。私の口元に人差し指を立てた母が、微笑みを湛え目を細める。


「それ以上言ったらヘクターに……、貴方の“お父様”に報告しなくてはいけなくなってしまうわ」


「――!」


 感じる本能的な恐怖。まるで呪いでも掛けられてしまったかの様に、喉奥が塞がり声が出なくなる。


「でも、そんな優しい貴女が大好きよ」


 黙った私を見た母が、少女の様に嬉しそうに笑った。その屈託の無い笑みは、いつか見たあの大好きだった笑顔と同じで、自身の顔から血の気が引いていくのが分かった。


「でもね、貴方は間違ってる」


 小さな子供をあやす様に、母の手が私の頭を撫でる。


「貴女は優しすぎるの。自分の人生は、全て生まれ持った階級で決まる。エル、貴女はこの階級制度の頂である、上流階級の人間よ。貴女を騙し、この場から引きずり落そうとする人間は必ず存在する。それが、彼等よ」


 母の手が頭から離れ、今度は頬へと伸びた。


「優しい、というのは良い事よ。でも、貴女の欠点はその優しさ。彼等に騙されない娘こそが、エインズワース家に相応しい人間になるの」


 それだけ言うと、母は私の言葉を聞かずにドレッサーに向きなおらせ、再びブラシを手に取った。

 ――彼等、とは。

 そう尋ねたかったが、きっと母は何も答えない。更には動悸も酷く、その言葉を口に出せそうも無い。

 黙って母に髪を梳かれながら、鏡越しに母の表情を顔色を伺う。


「貴女はとても恵まれていて、幸せなのよ」



 ぽつりと、母が独り言の様に言葉を漏らした。


「……お母様……?」


「幸せ、そう、幸せなの。貴女は誰よりも幸せ。私も、私もよ、幸せなの」


 まるで洗脳の様に、自分自身に言い聞かせる様に、母は私の髪を梳きながらその言葉を繰り返し続けた。

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