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 母の言葉が、容赦なく胸に突き刺さる。ずしりと重くなった心は先程よりも痛く、思わず手元に視線を落とした。

 “婚姻に関わる”。

 そうだ、貴族令嬢の最大の仕事は、自身の家の為に、命じられた家へ嫁ぐ事。


「だから、それが心配で」


 母の心配する先が、私の身体では無く婚姻の事だという事は心の何処かで分かっていた。自分の身体を心配してくれているのかもしれないなんて、淡い期待を抱いてしまった自分が馬鹿みたいだ。

 だが不思議と、傷付いたり、悲しんだり、なんて感情は湧かない。

 ――あぁ、やっぱり。

 私の中に浮かんだのは、諦観にも似た感情だけだった。

 今も胸が痛むのは、きっと愛しても居ない相手の元へいずれ嫁がなくてはいけないから。

 きっとそうに違いない。


 それよりも、今はメアリーの傷の方が重要だ。


「メアリーは大怪我をしたの。お医者様は、2カ月もすれば完治すると仰っていたそうだけど、傷跡が残る可能性も低くは無いんですって」


 出来れば、彼女には傷が残らない様に腕のいい医者の元で治療を受けさせてやりたい。

 この家を出入りしている医者も腕は良いが、内科や精神科を主に担当している医者であり、外科は専門外だそうだ。現在は、止血と消毒のみの、最低限の治療しかしていないと聞いた。

 使用人の立場でその様な治療を受けるのが、難しい事だとは理解している。だが怪我をさせたのは紛れも無く父であり、そして“それ”を招いたのは私だ。十分な治療を受けさせる理由にはなるだろう。


「……そう」


 だが、母の返答はたったそれだけ。

 まるでメアリーには興味が無いとでも言う様に、「貴女に怪我が無くて良かったわ」と呟く様に繰り返した。 

 私の身体を心配しない母が、使用人の身体を心配する訳が無い。それは充分に理解している為、今は同情や心配を求めている訳では無い。

 だが、怪我の治療位まともに受けさせるべきだ。それが、貴族の口癖である“高貴なる者の務め”なのではないだろうか。

 沸々と沸き上がる苛立ちに、勢い良く振り返り私の髪を梳く母の手を振り払った。


「メアリーが、大怪我をしたと言っているのよ! 専門医の治療を受けさせるべきだわ!」


 自身の声が、想像以上に大きく部屋に響く。部屋の外に迄聞こえてしまったかもしれない。

 もし今の言葉が父の耳に入ったら、叱られてしまうだろうか。

 だがもう、後に引き返す事は出来ない。怯むこと無く、真っ直ぐ母の瞳を見据える。


「――どうして?」


 部屋に響く、母の落ち着いた声。

 母の表情は、恐ろしい程に変わらない。


「命に関わる怪我じゃない筈だわ。どうして、わざわざ“物”の為に専門医を呼ばなければならないのかしら」


「……そんな……」


 ふふ、と母が奇妙な笑みを漏らした。


 母のブルーの瞳は、サファイアの様に美しく、社交界でも評判高い。私も、そんな母の瞳が美しく、羨ましく思っていた。

 だが今の母の瞳は宝石なんて綺麗な物では無い。まるで底の無い深海の様で、見据えた物全てを飲み込んでしまいそうな恐怖を感じた。

 思わず、母の瞳から目を反らす。

 

「……でも……怪我をさせたのはお父様で……せめて治療だけでも……」


「でもそれは、メアリーが招いた事でしょう?これが命に関わる怪我ならヘクターも何か考えたでしょうけど、あの人が何もしてないなら、それが正しいのよ。大丈夫、心配しなくても社交界に変な噂が立つなんて事はないわ」


 言動に合っていない、幼い子供を諭すような、優しい声音。

 自身の鼓動が、耳奥で低く響く。それに合わせてぐらりと眩暈が起こり、目の前が真っ暗になるような絶望感に襲われた。

 昔の母は、これ程残酷な事を言う人では無かった。分け隔てなく優しく接し、花が咲いた様に愛らしく笑う母が、私は大好きだった。――筈なのに。


「……違うわ……、私が、悪いのよ」


 まだ母に、何処か期待をしているのか。それとも絶望故の言葉なのか。自分でも分からない。


「……全部、私が悪いの……。私が、メアリーに……」


 だがその言葉は、最後まで言い終わる前に止まる。


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