011 ◉そんな理不尽が罷り通る世ならば、私が斬り刻んでやろう。〜前〜 喫茶店にて...

 時は少し遡る。


 総司が探索者登録を済ませ、初めて入ったダンジョンで煙草に火を点けた頃。

 とある喫茶店に2人の壮年の男が向かい合わせに珈琲を飲んでいた。


「相変わらず美味い珈琲ですね」

「....それは何より」


 2人を知らない人が見たら、普通に喫茶店のマスターと常連客、という風に目に映るだろう。

 肩書き上で言えば、大企業の会長である常連客の方が社会的地位を得ていて偉そうにしてもおかしくないのだが、この常連客の男はマスターの事を尊敬しており、頭が上がらないのだ。


「突然の御連絡でしたが、何事でしたでしょうか?」


「...。私に隠している事は有りませんか?」




――ゾワゾワゾワゾワッ!!!?


 九条と呼ばれた男は、突然放たれた濃密な殺気を浴び、全身に鳥肌が立つ。


「ッ!!い、いえ、隠し事などしておりません!」


 頭の中に響く警鐘が〈逃げろ〉と九条に命令するが、身体は指の一本も動かない。

 否、と、本能が理解していたが故に動く事を拒否した。

 汗が止まらず上手く息を吸えない九条は、身動ぎせずに次の言葉を待った。


 1秒1秒がやけに遅く刻まれる感覚は、地獄と呼ぶに相応しいものだった。


「...どうやら嘘はついて無いようですね」


 フッと殺気が消えると、九条はゼェゼェと慌てて呼吸を整える。


「(何故だ?何故私は突然殺されそうになっているのだ?

 この御方の機嫌を損ねるような事は本当にした覚えが無い。というか、この御方を知る人間がそんなをする筈が無い。

 引退されたとはいえ、元S級探索者で、現役当時は全国でも限りなくトップに近い立場で活躍されていた、絶対的強者達の1人だ。

 私が探索者だった頃には幾度となく助けて頂いたし、あの大災害の時も、自らの命を省みずに先頭をきって立ち向かわれた方達を知る探索者達は、今でも皆が尊敬し、敬愛してやまない)」


 だからこそ、先程浴びせられた殺気の真意を確認しなくてはならない。

 しなければ二度とお天道様に顔向け出来なくなる、と九条は思いカラカラに乾いた唇を無理矢理動かした。


時雨しぐれ様。私の不出来が有るのでしたら誠心誠意、地に頭をつけます。ですので宜しければお話を聞かせて頂けないでしょうか?」

「...良いでしょう。ですが、様付けは不要ですよ、九条。貴方は大企業の会長なのですから言葉には気をつけた方がいい」


 そう言ったマスター、時雨の目に一切の感情を読み取れなかった九条。


「分かりました。それでは時雨さん、と呼ばせて頂きます」

「...まぁそれで良いです。

 では先ず、折谷 総司という名前の青年を知ってますか?」

「折谷...総司さん、ですか?

 生憎聞いた事が無い名前かと」

「そうですか...大企業ともなれば末端の一社員まで把握出来る訳有りませんから仕方無いんでしょうが」

「え?ウチの会社の社員ですか?その折谷という者は」


 その質問応えることもせず、時雨は続ける。


「...〈ダンジョンエネルギー開発部〉。

 貴方の会社が数年前に【魔石エネルギー変換効率上昇技術】の開発した事で一気にトップ企業となったのは良く覚えてますよ」

「は、はい、ありがとうございます」

「各国との技術契約等でさぞかし莫大な利益を得たのでしょう?

 今現在でも最新の技術だとか。

 会社が儲かり、勿論貴方も儲かった。開発した部署の方々も評されたのでしょうね」

「...その通りです。会社や私だけでは無く、社員達にもきちんと還元しております」


――再び、殺気が漏れ始める。


「ほぅ...私が話とは随分と違いますねぇ?

 【魔石エネルギー変換効率上昇技術】の開発に多大な貢献をしたのに、開発者名簿から名前を削除され何一つ評されず、それ以外の成果も上司や同僚に横取りされ、与えられるのは残業くらい。搾取され続けながらも努力して働いていたのに、理由で自主退職を強制され、ヘローワークには虚偽の報告をされて再就職の望みすらも潰えてしまう」

「ち、ちょっと、待って下さ」

「九条」


 ピシャリ、と言葉を切られた。


「...は、はい」

「九条、世の中には理不尽が溢れている」

「...」

「万の人を束ねる貴様が全てを把握するなど、難しかろうよ」

「は、はい」

「(時雨さんが〈貴様〉と私を呼ぶのは探索者現役の時以来だ...何が、いったい何が起きている?)」


 訳の分からない、それでも何も言い返す言葉は口から出てくるはずもない。


「だがな、それでも私は赦せそうにも無いのだよ。

 この話が知らない誰かの事であったのならば、同情程度で終わらせていただろう。

 だがこの話は、先程から言っている折谷 総司君の身に、本当に起きた話だ。

 さっき貴様は折谷の名を知らない、と言ったな?

 折谷とはだ。

 本来の名前は〈東條とうじょう 総司〉君だ。まさか忘れた何て言わないよなぁ?」


――ガタンッ!


「と、東條!?ま、まさか真也さん、〈東條 真也〉さんの!?」

「御子息だ...〈〉の後、裕子さんの実家に引き取られたのだろうよ。だが、裕子さんの両親も直ぐに亡くなり、引き取り先の無かった彼は養護施設で育ったみたいだ。

 総司君は両親の顔も覚えていない、と言っていたからな。

 私が探し始めた頃には祖父母の家から養護施設に移った後だったみたいだ」

「そ、そんな...東條さんの息子さんがウチの会社に...こんなに近くに...」

「巫山戯るなよ、九条ぉ!!

 総司君は貴様の会社の役員の娘と結婚していたんだ!その娘も総司君を裏切りC級探索者馬鹿な小僧の子を孕み、その役員は初孫可愛いさに総司君を捨てやがった!

 幼い頃に家族を失った総司君が何故、何故に再び家族を失わなければならんのだ!?

 たった、たったの1年の結婚生活だったと、『大変な事も多かったが幸せでした』と涙を零しながら私に語ってくれたんだ!


 なぁ、九条。


 何故、総司君ばかりがこんな理不尽に遭わなければならんのだ?

 私達人類がお世話になった友人恩人の、たった1人の忘れ形見を苦しめる、そんな理不尽が罷り通る、糞みたいな世の中なら――




 再び刀を取り、



貴様も、貴様の会社の人間も、阿婆擦れも、小僧も、皆、一片のそれすら残さずに、な」


――そして私がこの世の中貴様達のの理不尽になってやろう。


 三度目の殺気は、九条だけでは無く、周辺一帯を飲み込んでを振り撒く。


 時雨は総司に仇なす存在を殺す事を、躊躇わない。


 そんな狂気のような決意を、骨の髄まで叩き込む殺気は、暫くの間、止まる事無く続いた。

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