第四話 暮夜

 花子が自室で目を覚ますと外は強い日差しが差していました。もう凍える季節に差し掛かっています。そのため、これほど日が強いとお昼過ぎです。

 

「え? 今何時?」

 

時計は正午を回っていました。


「花子〜。起きてる?」


ノックをしながら母親が部屋に入ってきました。


「中々降りてこないからどこか遊びに行ったのかと思ったわ。いつも休日でも九時に起きているのに、珍しいわね」


お昼ご飯の準備ができた事を伝えに来た母は、不思議がりながらも戸を閉めました。


「疲れていたのかな」


そう信じて花子は下へと降りました。

 花子は休日には試験の勉強をしていました。もっと身近に芸術があれば楽しいだろうなと、淡い思いを胸に持っていました。心のどこかで、公務員になって芸術推進する部署に入りたいと願っていました。作るのも楽しかったのですが、それ以上に周りが笑顔でいてくれたらなと思っていました。しかし、これも公務員を目指す口実でした。花子は言い聞かせていたのです。「こう言えば親が安心するから」と。日々は相変わらず進んでいきました。



 大学で一番大きなホールにて、冷たく鋭い隙間風が建物の隙間から小さな音を立てて吹いています。花子は温かい日差しが射している窓側の席に座ろうとしましたが、プレゼンテーションスクリーンが見えにくくなるため、ホールの真ん中の冷えている席にコートを足に巻いれて座りました。

 この授業は一年生から四年生まで受けられる授業です。しかし、大学一年生はこの時期になると大学の勝手がわかるようになります。花子が受けているこの『数学と芸術』の授業は年末になるにつれて出席者が減っていました。大きなホールでプレゼンテーションスクリーンを見ているのは花子と数えるほどの生徒だけでした。

 授業の内容は数学という完成された事象を世界に当てはめていき、そこから美を見出すもの。「宇宙生誕から今までの中にいくつの数学が使われているのか」、「直線というのは本当に存在しているのだろうか」といった哲学をも交えた授業であり、この世の広さを身をもって味わえる授業でした。現に受けている生徒で寝ている者や他の作業をする者はいませんでした。出席せずに単位が貰える授業だからと休んでいる人はもったいないなと花子はいつも思っていました。


「では一番前にいる君!」


壇上にいる教師がマイクが割れるほどの声量で花子に質問します。


「君はこの映画の主人公のように芸術やその先にある知識を知らない人に自分のやっていることを否定されたらどうする?」


先週授業で流していた映画の主人公についての質問でした。教師はスクリーンの前をゆっくりと歩きながら語り始めました。


「この主人公は当時役に立たないと言われ続けたが、現在の私たちに必要不可欠な機械を作り上げた。パソコン、スマートフォンなどだね。数学の中にある規則性を見つけ、それに魅入られた主人公だからこそ成せたこと。今だから歴史に名を遺した人物としてされているが、当時は本当に無意味だと思われていた。それでも主人公は突き進んだ。結果的に精神障害を負ってしまったが、主人公にとってはそれが自分の中にあった惹かれるものだったからそれでよかったのかもしれない。数学という美しい規則に感情が動いたんだ。感動したんだ」


教師は教壇から降り、綺麗な靴音を鳴らしながら花子に近寄り、マイクを差し出しました。


「辛くても惹かれたものを突き進みたいかい? 芸術学部に来た君の答えは?」


その時の花子は迷わず答えました。


「好きなことを、やりたいです」

「世界に必要ないと言われても?」


教師の微笑みは悪意がなく、芸術を一度でも志した者が見れば、誰でも奮い立たつ微笑みでした。これから言葉を放つ花子の答えがわかっているようでした。


「はい」


曇りのない返事に教師は軽く頷き、口角をさらに上げました。


「芸術学部に来ている君たちは絶対そうだよね」


後に座っている生徒に教師は目を向け、授業の締めを始めます。


「世界は『意味はあるのか』と問い続ける。でも、意味のある物だけで感情は動くかな? 感情で腹は満たされないが、人生は満たされる。君らが惹かれ、感情が動いたそれを大事にしてほしい」


全員の脳裏にこの言葉を刻ませました。


「世界に負けるなよ。それが好きを突き進めることだ」



 街中がソワソワしだす十二月は不思議な気分です。都会は日が暮れにかかる前から陽気な雰囲気でした。花子、林、西垣はそんな都会の中にあるカラオケで放課後から集まっていました。靴を脱いで、とにかく好きな曲を三人は歌います。ジャンルが全く違う歌、好き勝手な曲ばかりですが、三人にとっては当たり前でした。


「食事の時間までまだまだあるね! 何入れようかな」


ポチポチとタブレットを押す西垣は靴を脱いでソファに寝っ転がっています。歌っている林もソファに乗り上げています。花子は何を歌おうかネットで検索しています。ヒット曲に並ぶ歌手の年齢を見て、花子はさりげなく指で隠します。


「この歌! 十八歳が作ったなんて思えないよね〜!」


次に歌う西垣がカラオケの画面を見てそう言いました。今、花子が指で隠していた歌手です。花子より歳下でヒットした歌手はごまんといます。いちいちその人間に対して一般人が噛みついても意味がありません。それでも花子は思ってしまいます。『私より歳下が立派なことをしているのに今の私は?』と。就活の時期も相まって、花子は何者にもなれない自分に嫌気がさします。


「お、新曲のプロモだ」


林の声に花子は顔を上げます。曲が入っていなかったカラオケの画面にはアーティストのPVが流れています。ブレない声に透き通る声、整ったビジュアルと楽器を演奏するバンド仲間。自分にはないモノだと天を見る目で花子は眺めていました。プロモーションビデオが終わる前にそれと同じ曲を花子は選曲しました。

花子の番が回ってきました。持っていたスマートフォンを録音に切替え、机に伏せます。花子はスマートフォンで自分声を録音していました。プロと同じにはなれないと思いつつも花子は自分の声を意識して歌います。ステージの上で大勢の前で歌っているのだと、夢見るくらいは…と。誰かに発表するわけでもないのにもっと歌が上手になりたいと花子は思っていました。それは自分が納得するか否かが重要なのです。他人の意見はとてもありがたく、褒め言葉は受け取る花子でしたが、向上心は止められませんでした。

 歌い終わると花子は録音した自分の声を聞いて、違和感がある音域を確認しました。その姿を林が選曲をしながら素朴な疑問を投げます。


「録音して何かに使うの?」

「自分用」

「へー。でもどうして?」

「もっと上手くなればもっと楽しいかなて思って」

「確かに。私も意識して練習してみようかな」


日が沈み、三人はダラダラと居酒屋に向かいます。お酒を殆ど飲まなくても騒げる三人は時間を忘れるほど楽しく過ごしました。周りの人たちと変わらず、居酒屋の片隅でも、それは一つの幸せでした。



 エルナが受注した依頼は狩が中心でした。魔族の獣が増えており、生態系に乱れが生じているのです。ポラリスとして四人で行きます。最初は慣れていなかった花子も、徐々に戦闘に慣れてきました。

 依頼の帰り道で、突然、ウェイズが花子に楽器を弾けるか聞いてきました。アリエッタはよく楽器で遊んでいたと言います。今日の戦闘中に太鼓で鼓舞をしていた魔族を見て思い出したようです。


「こっちの楽器はわからないかな」

「歌は?」

「歌は……」

「アリエッタは上手かったな〜。プロかと思ったぜ」


花子は言葉に一瞬詰まりました。友人と行くカラオケでは下手と言われたことは一度もありません。音を外したらすぐ指摘してくれる人たちなので、音痴ならすぐ反応してくれるはずです。歌は好きですが、胸を張って上手いと言えるか怪しかったのです。それでも花子は自分に自信を持ちたい願望がありました。「私は上手いんだ、だってずっと好きなんだ」「ずっと歌って、夢みてきた」と花子は自分を鼓舞させました。


「まぁ、それなりには大丈夫か、かな?」

「お! 本当か? 最近さ、ギルドとかティーモの店で演奏するけど、歌う人がいなくてさ〜。みんな恥ずかしいって嫌がるんだ。エルナだって嫌がるし」

「は、恥ずかしいだろ。ステージに立つなんて。私は剣だけでいいんだ」


エルナは、ハナコに周りから見られる恥ずかしさについて語り始めました。それを隅に置き、ウェイズとメイザはエルナがステージに立ったことがあると花子に教えました。ポラリスの四人は今日も笑いあいながら街に帰りました。

 ティーモの酒場でいつものように夕食を済ませます。食事の最中にウェイズが花子に楽譜を渡します。楽譜は見慣れた五線譜でした。ただ、下に書かれている歌詞らしき文字が花子には読めません。


「それが楽譜。渡しておくよ」


花子は譜面の文字が全く解読できません。譜面とにらめっこしていた花子にウェイズは「どうした」と声を掛けます。


「あの、ごめん。文字が分からなくて」

「ウェイズは字が汚いからな」

エルナが先ほどの仕返しと言わんばかりに、重ねてきました。

「んな訳あるか!」

「僕も読めませんね」

「メイザも乗っかるな〜!」


話が違う意味でとらえられていると、花子は訂正しました。


「見た目のことじゃないんだ。そもそもこっちの世界の字が読めなくて。言っていることはわかるけど、読解ができなくて」

「そーゆーことだ! 俺の字が汚いとかじゃない!」


三人は花子が指差す文字に対して言葉を発しました。それを花子は楽譜にメモしていきます。


「これは?」

「あ」

「こっちは?」

「み」

「一緒に見える……」


書き方をメイザ教わりながら花子は一生懸命に読めない字を尋ねます。ふと酒場のメニュー表を見ては「あれと同じだね」と楽譜以外にも読めるようと花子はキョロキョロしました。


「勉強熱心だな〜」


ウェイズは花子が楽譜以外の紙にもメモしていたことに気がつきました。花子は別の用紙に、日本語との対応表を書いていたのです。


「これからもこっちの言葉は見るから、表あった方がわかりやすいかなって思って」

「辞書とかの方がいいんじゃね? ティーモ! 確かその辺の本棚に無かったっけ?」


大衆の中、ひょっこりと顔を出したティーモが元気よく返事をしました。酒場の奥片隅に見える本棚から、綺麗な辞書を持ってきてくれました。


「これだね! 私が小さい頃に使ってたいの。見る人あまりいないから、新品同様だよ」


辞書をパラパラとめくると、子供用なため大きな字で書き方まで書いてありました。花子はとてもわかりやすいとティーモにお礼を言います。


「えへへ、良かった。その楽譜って前に歌っていたやつだよね。私、賑やかな曲よりそれみたいに静かな曲が好きだな」

「へっへーん、俺が作ったんだぜぇ。もっと褒めていいぞ」


鼻を高くしてニコニコとするウェイズにティーモは信じられないようです。

譜面は地球のと大差ないため、花子も鼻歌でリズムをとります。


「その曲は確かに騒がしくないやつだな。故に酒場で歌っていたことは無かったな。しかし、静かな夜こそ聴きたい歌だ」

「エルナもお墨付きだな。いろんな人にいいなって言われるのは気分が悪くねぇ」

「ハナコの歌っている声早く聞きたいです! ウェイズの文字が読めなくなったら遠慮なく聞いてくださいね!」

「俺本人に聞けばいいじゃんか!」


四人は茶化しあいながらも文字の勉強を楽しみました。

 一週間という長さが花子にとって、えらく長く感じるようになりました。また新しい景色や、新しい世界が広がっていると思うと自然に顔が緩みます。



「花子ちゃん! この被写体、どう撮影しようかな」


大学のとあるスタジオでは写真学科の授業が行われていました。大型のフィルムカメラでの撮影は、中々個人でできません。そのため、豊富な機材で行える写真学科の授業を花子は履修していました。大型カメラは準備の工程が多く、撮影者とストロボ移動の助手が必要になるため二人組になって行っています。担任曰く「仲良い人同士だと考えが固まる」とのことなので、ペアはランダムで決められました。花子は嫌われていることはありませんが、ペアを組もうと言える友人はいなかったのでありがたいと思っています。


「この帽子はこの羽の部分がポイントじゃん? そこがこの帽子の特徴で、売り出したい所だと思うよ。全体を撮るカタログ写真じゃなくて、広告写真が目的だからアップで見てみたら?」

「ほ〜確かに。じゃあライトの位置も変えて……」


花子は相手の指示通りにライトを動かします。どうなるかなと覗き込みながら、相手の反応を伺います。


「いい感じ! すごーい! これでやってみるね!」


喜んでいる相手を見て、花子はほっとしました。撮影中は撮影者以外することがないので、花子は自分のフィルムを準備します。スタジオの端にある暗室に入り、一寸先も見えない部屋で、感触だけを頼りにフィルムをケースに入れます。この時間も花子はすごく興奮しました。手の感覚だけで作業をし、ちゃんと入っているか確認できない状況で電気をつける瞬間は小さな挑戦でした。

 撮影後、現像の作業に入ります。ひたすらバレットと向き合いながら、暗室で時間を測ります。携帯機から音楽を流しながらただただ測り時計を見つめます。

 用紙に焼く時間は授業内になったため、現像が終わり、花子は美術学科の棟へと戻りました。そしてすぐにロッカーから自分の描いた絵を用意し、ゼミの教授が待つ教室へ入っていきました。


「鈴木さん、大学の課題以外の絵ある?」


花子の絵を広げている机に向かって悩んでいる教授が声をかけてきました。ハッとして、花子は真剣な表情で教授に答えます。


「あるにはありますけど、本当に趣味で描いているものなので」

「どんなの?」


花子はいつも持っている小さなイラスト本を教授に見せました。


「でもこれならゲーム会社とか、アニメーターとかなら行けるんじゃない?」

「で、でも就く気は……、辛い職業ですし」

「それでも就活の練習として受けてみるだけやってみたらいいじゃない。自分の絵の力量を測ってくるのもいい経験よ。早くから始まる会社あるから教えるわ」


教授は自身の手帳をペラペラとめくり始めました。花子は机に広がる絵を薄目で見ていました。どれも課題で仕方なく描いたものばかりでした。


「今度の金曜日は?」

「その日は文芸学科の授業があって難しいです」

「じゃ、来週の火曜日」

「火曜は演劇学科の授業でして」

「水!」

「音楽学科の実習授業入れています」


教授は感心して、また手帳をペラペラとめくります。

 花子の大学は芸術学部として他の芸術学科が揃っています。他学科の授業も取れるため、花子はいろいろな芸術学科の授業を履修していました。一年、二年は自学科の必修で履修しにくかったため、三年から履修を取れるだけ入れたのです。そして学芸員資格の授業も重なり、大学四年であっても空きコマはありませんでした。今までの学年では必修の授業で取れなかった授業も沢山あるため、聴講している授業も花子にはありました。


「まだ受けたい授業あるので、大変です」

「そう? 授業をたくさん取るのは構わないけど、休み取らなきゃいけないわよ?」


 教授のこの台詞を聞いた瞬間、花子は握り拳に力が入りました。この「休まないといけない」というセリフが花子は大嫌いでした。「なぜ大学に来て、好きな授業を、好きに履修することすら満足に出来ないのか」と言おうとした花子は、抑えて口を閉じました。だから大学は就職予備校と言われてしまうのだと、花子は全て自分の心に叫んでいました。しかし、教授言ったところで解決はしません。


「勉強が好きなら院行かないの?」


そんなお金は無い。じゃあ死ぬ気で夜にお金を稼げばいいのでは。院を卒業すると年齢の壁が襲ってくる。院に行って何をするのか。花子の脳内で自問自答が始まります。新卒一括採用の波にならなければ、名のない会社に入れば親が心配する、体は壊したくない、自分が大事だから、だけど自分の好きは自分のままでやっていきたい、しかし好きを否定されるようなことはされたくない、誰に何を言えばいいのかわからなくなるほど花子は悩んでいました。考えれば考えるほど、喉元が熱くなりました。


「院に行くほど研究する気はないです」


そう吐いて、流れで教授と別れました。部屋を出ると立花がよその友達と待っていました。


「あ! 何言われた⁈ 何聞かれる?」

「普通に就職の話だよ」


面談の順番で次は立花でした。緊張している立花は他の友達とからかいあっています。その空気は自分がいるものでないと察した花子は、そそくさと図書館へと向かいしました。そんな花子を立花は目で追っていました。

 気を紛らわそうと、花子は図書館で貸し出し禁止の本棚へと速足で向かいしました。ここには普段買うこと、見ることすら難しい本が並んでいます。


「この前読んだ本はこれだったかな」


リュックサック並みに大きな本を花子は広い机に持っていきます。放課後になっても人が増えない冬の図書館は、堂々と本を広げられます。花子は筆記用具を出し、その本に書いてあることで必要なことをメモし始めました。

 その頃、立花は面談が終わり、授業以外ではあまり寄らない図書館に足を運びました。時刻を見れば二十時程で、もう人はいない様子でした。立花はそっと図書館を歩き回ると、図書館の奥にある大きな机で花子が本を積み上げて何かを書いているのを見つけました。本の背表紙をよく見ると『図説 占星術事典』『●●●●●、宇宙を語る』『数と音楽』と哲学や宇宙といった果ての知れない本ばかりです。それを心から楽しんでいる表情で読んでいる花子を、立花は見たことありませんでした。あんな風に学科や就職に関係ない、自分の好きなことに夢中になれる花子を見た立花は、尊敬に似た思いを感じ、顔を伏せてしまいました。

 閉館の音楽が流れ始め、立花は花子に気づかれる前に急いで図書館を出ました。花子は絵や文字を描いたノートを閉じ、本を名残惜しく見つめながら閉じました。


「お話、だいぶ書けたかな」


 図書館を後にし、電車内で花子は書いたお話をネットに投稿しました。コメントがつかない自分の他の小説でも投稿は辞めませんでした。間違えて閲覧としてもその中にきっと楽しんでくれる人がいると信じていました。願っていました。



 花子はポラリスとして依頼をこなしており、その依頼の中に写真館のお手伝いがありました。集合場所の噴水広場で、ポラリスは普段着で集まっていましたエラセドでは月に一回、家族や友人と写真を撮る習慣があるとエルナが花子に教えました。


「理由か? 考えたことなかったな。昔から仲が良ければ写真館にすぐ立ち寄るくらいには馴染みの存在だな、ウェイズ」

「そうだな。俺も友達多いからよくお世話になるな! アリエッタが来た時も撮影したし、今度ハナコも一緒に撮ろうぜ!」


日常的な話をしていると、写真館のスタッフが迎えに来ました。

 写真館は周りの建物より白く、清楚な佇まいです。玄関を抜け、控室を抜ければ中に入れば2階以上の吹き抜けで、壁際には機材が綺麗に並んでいます。ほとんど地球の写真スタジオと変わりありません。花子はその機材らが、写真学科で使用されているものと似ているなと思いました。店主がもうすぐ来るので、このスタジオで待っていてくださいとスタッフがポラリスに話します。スタジオを抜けようとしたスタッフに花子が話しかけます。


「あの、あそこにあるカメラはどうやって撮影しているんですか?」

「カメラ? あ、写真機のことね。気になるなら教えてあげるよ」


花子以外の三人も釣られて、写真機の説明講座が始まりました。


「これは写真機。そんで、ここにフィルムをぶち込んで……」


地球と全く同じ要領の大型フィルムカメラでした。花子は魔法ではやらないのか、と聞くと、細かい調整が難しくて機械に頼っているとのことです。


「現像って言う作業があるんだけど、どうしても秒数や振る強さがフィルムごとに違うからね。難しいんだよ」


 説明の途中で店主がやってきました。今日はとても多くのグループが撮影の予約をしているとのことです。魔族との戦いが始まる前に、と思う人が多いみたいです。それに応えようと店主はキャパを増やして予約を受け入れたようです。そのため依頼として発注していたのです。

 最初はお客さんの服の準備や、スタジオのセッティングをポラリスは手伝いました。お客さんも家族が多く、普通のアルバイトと変わりありませんでした。そのお客さんの中に、ギルドの壁に絵を描いていた一人の少女がいました。


「あ! ママ、この人だよ。前に絵の描き方教えてもらった!」

「あら、ハナコさん? 何やら息子がお世話になったようで」


少女の母親は花子に感謝の礼をしました。


「そんな、ちょっとだけですから」


遠慮した花子に少女の母親は変わらず笑顔で答えます。


「この子、あれから絵を描くのが楽しい楽しいって言っているんです。あんな楽しそうになったのもハナコさんのおかげです。ありがとうございます」


花子は自然と頬が上がりました。教えた、と言うよりは一緒に描いていただけなのに、少女は楽しく学べたようです。自分のおかげで誰かが笑顔になるのは気持ちの良いものです。少し照れくさそうになった花子に、少女が問いかけます。


「ハナコ、お絵かきの先生なの?」


純粋な質問でしたが花子は先生という言葉で一瞬、就職のことを思い出してしまいました。先生にもなりたかったが、なりたくなかったのです。世間一般に学校の先生は激務です。大学の教授だってそれなりに勉強ができなければなれません。そんな理由で先生には就きたくないなと、花子は思っていたのです。自分を可愛がり、あっさり突き放した夢でした。


「違うよ。趣味」


花子は少女に微笑んで答えました。そして撮影に入るその家族を見送りました。

 お昼を過ぎると、午前が嘘だったように混み始めました。家族ではない友人などのグループが多く、予約の時間じゃないお客さんも来ていました。店主は予想外のことが続き、慌ただしくしています。


「ウェイズ! 一緒になって騒ぐんじゃない!」


ウェイズはすぐに友人を作るため、それをエルナが首根っこを掴んで阻止します。


「えっと、追加ですか? 何人ほどで……十人? 多すぎではありませんか?!」


メイザも受付で手一杯のようです。


「ハナコ! ちょっと聞きたいんだけど」


騒がしい中、疲れ切った店主がハナコに撮影はできるかと尋ねました。


「え?! どうしてですか?」


「小スタジオを今片付けた。写真機も予備があるし、撮影場を増やそうかなって思って。


大丈夫! 失敗しても予備のフィルムとかいっぱいあるから!」


店主に押されるがままに花子は小スタジオに運ばれました。

 小スタジオ入口付近には大勢の人が待っていました。それを抜けてスタジオ内はすでにセッティングされていました。店主は大まかなセットの説明をしてお客の予約リストを渡し、走って自分の仕事に戻ってしまいました。入れ替わるように、楽しそうな女子グループが入ってきました。すでに衣装やメイクの準備はバッチリで、店主の言う通り撮影するだけです。花子は指定の場所に並ばせます。女子グループはとてもお淑やかな格好をしていました。花子は何のリクエストをしているのか予約リストを見ますが、文字が翻訳できませんでした。


「どのような雰囲気で撮影致しましょうか?」


花子の問いに少女らは丁寧に教えてくれました。賑やかな雰囲気ではなく、清純な雰囲気で撮影して欲しいとのことです。

 少女らを所定の位置に並ばせて、撮影の準備をする花子でしたが、ライトの位置がどうも気に入りませんでした。トップのライトと正面からのライト、そして背景を浮かせる用のライトがそれぞれバラバラな設定でした。賑やかな写真なら構いませんが、清純な雰囲気とは違います。しかし、ライトの位置は写真機に立って、画を見ながら行うのが最適です。戸惑っても仕方がないと思った花子は、少女らに一言断りを入れてから小スタジオから小走りで出ました。

 控室の中から急いでドレッドヘアーの男を探します。


「ウェイズ! 手伝って!」


花子は大声を出しながらウェイズを探します。その声にすぐさまウェイズは答えます。


「やっほ! お困り?」


明らかに仕事をしている様子でなかったウェイズの腕を引いて、花子は小スタジオに連れ込みます。ウェイズは表情を変えず、陽気な振舞いで女子たちと会話を始めてしまいました。花子はその間に、白い板をスタジオから見つけ出し、ウェイズに渡します。


「レフ板持って! 照明調整するから、指示した通りに動いて」

「レフ? この板?」

「照明を反射させたいんだ。お願いね」


ウェイズは二言返事で了承します。ちゃんと仕事する気はあるようです。

 少女らを元の位置に立たせ、花子は照明の調整を始めます。


「照度はこのつまみって言っていたな」


花子は店主の説明を思い出しながら急いで調整します。照明は手動で動かすため、ウェイズに頼みます。


「私から見て右の照明を二センチくらい奥に移動させて」

「二センチ?! むずくない?!」

「えっと、足で小さくトントンってやれば大丈夫」


ウェイズは真剣に取り組む花子に応えるように指示されたら即座に動きました。


「板をもうちょっと上向きに角度つけて。右の子の目にハイライトを……。おっけ、大丈夫。じゃ撮りますね」


少々時間がかかりましたが、少女らはワクワクしながら写真機を見ます。花子は最後に少女らに指示します。


「えっと、こちらの方。口が固くて緊張が見えてしまいますね。一回口開けて…はい、軽く閉じてください。いい感じです」


口を一度緩めると表情が柔らかくなるとポートレート写真の授業で習いました。


「真ん中の方、顔をすこーしだけ写真機の方にお願いします。あ、体ごと向いちゃいましたね。肩は移動させなくて大丈夫です」


最初の賑やかな雰囲気とは変わり、清純で静かな雰囲気になりました。変わったと感じたウェイズも同じように気が締まります。鼻の影、目の彫りの影、そして照度を体感で測って調整したカメラの絞り、花子は再度確認します。


「撮りますね」


反転した画面を確認し、花子は静かにシャッターを下ろしました。必ず二枚は撮影してと店主に頼まれていたため、素早くフィルムを入れ換えて撮影します。

 一組目が終わっても続けざまに多くのお客さんを撮影していました。ウェイズも要領がわかるようになり、後半は花子の指示をもらう前に動けるようになりました。


「そこにライトを……」

「ここだろ? それであっちのは上にちょっと向ける!」


自信満々に答える笑顔のウェイズに花子も笑顔になります。


「うん。ありがとう」

「友人と撮るのは一生もんだ。俺も存分に働くぜ!」


ふざけない心からの笑顔のウェイズに花子も答えます。

 閉店時間をオーバーして、仕事が終了しました。もう外は星が瞬いています。花子は現像作業の手伝いをしました。授業で習った通りの現像時間で大丈夫でした。他の三人が店内の片付けが終わると、花子は店主に切り上げていいよと言われます。


「ハナコ、現像できるのすごいね。この仕事に就いちゃえば?」


冗談で店主は言います。褒め言葉のように使ったその言葉でしたが、花子の手が一瞬止まります。


「そ、そうですね。はは」


暗室に入っていく店主に顔を向けずに花子は片付ける手を早めました。花子は現実でこんな仕事はないと言うのを知っています。今時、大型フィルムなんて大学の授業以外で使うことはありません。全て機械です。この世界で生きていくなら、とも思いましたが、これを一生続ける気はさらさらありませんでした。花子は大きくため息をついて、三人が待つ控え室へと向かいました。

 控え室にはスタッフと三人が話していました。何を話していたのか花子が尋ねる前に、メイザが答えます。


「ハナコ! 特別に写真を撮ってくださるようですよ!」


スタッフの人がニコニコと、今回のお礼を述べます。おまけとして特別に撮影してくださるようです。衣装も借りて良いと言われましたが、ポラリスとして撮るならいつもの服が良いと四人一致しました。

 軽くセットしたスタジオでポラリスは写真機に向かいます。


「堅苦しく撮らなくていいって!」


ウェイズは三人をギュッと抱き寄せます。


「僕が見切れちゃいます!」


小さいメイザをエルナと花子で持ち上げます。


「わわっ! 二人ともありがとうございます!」

「これならギュッとしてもみんな写れるよね」


仲良しですね、とスタッフも笑いながらシャッターを切りました。この時だけは幸せでいたいと花子は感じました。そして、やはりここにいる事は良いなと。

 ポラリスはティーモの酒場に足を運びます。相変わらず、夜になればなるほど賑やかな酒場です。しかし仕事中も騒がしかったため、花子は静かな自室で食事することにしました。他の三人は花子の体調を心配しつつ、お別れしました。花子は自室にちょっとした果物を持っていき、そのままベッドに腰を下ろします。

しばらく果物を食べながらぼんやりと窓の外を眺めていると、ドアをノックする音が聞こえました。


「ハナコ〜? 俺、ウェイズ」


花子がドアを開けると髪を下ろしているウェイズがいました。


「どうしたの?」

「いや、なんか疲れているみたいで心配でさ。ハナコ、今日はすっげー働いていたし」

「大丈夫だよ。ありがとう」

「……」


ウェイズは何かを話そうとソワソワしていました。花子は、らしくないウェイズに心配の声をかけます。


「いや、大したことじゃないんだ。ハナコには言っていなかった事があって」

「立ち話もなんだし、下に降りる?」


ウェイズは人がいるところでは話したくないと、花子と一緒に街に出向きました。

 夜の街はポツポツと人が歩いていました。空は現世では見られない沢山の星があふれていました。そんな空を見つめながら歩く道は、街灯の明かりが暖かく照らしています。


「ウェイズは疲れてない?」

「俺は大丈夫! なんたって盾で守るならスタミナは必要だろ?」


腕の筋肉を見せつけながらウェイズはニカっと笑います。ですがその表情が落ち着く時、少し寂しげに見えます。

 ふたりは中央広場の噴水のまでたどり着きました。噴水の近くに街灯はありませんでしたが、遠くの光を反射してキラキラと輝いていました。いつもは賑やかな噴水周りは、静寂な場所へと姿を変えています。二人は噴水の縁に腰を下ろします。


「どうしたの? 元気なさそうだけど」


座っても、どこか宙を見ているようなウェイズに花子が心配します。


「やっぱりそう見える?」

「見えるよ」


ウェイズは無理に作った笑顔で花子に話し始めます。


「友達のこと思い出したんだ。今日の仕事で」

「友達と撮影したの?」

「あぁ。小さい頃からの馴染みで、互いとの家族とも撮ったよ」


噴水の音が大きく響きます。ウェイズはそれに負けてしまうほどの声で話し続けます。


「でも、そいつは魔族に寝返っちまった」


花子は驚きの声も出せぬほど、ウェイズにかける言葉を見失いました。


「でも、あいつの意思じゃないんだ。魔族に染まっちまったって言うのかな。明らかに様子が違うから」

「魔族と戦っていたら、出会っちゃわない?」

「そうだな。出会っちまうかもな。でも、魔族になったあいつは村を襲っているらしい。もう友じゃないさ」


花子を心配させないとウェイズは声のトーンを上げます。


「はははっ。そんなお前が落ち込むなって。俺だって最初は嫌だったけどもうケジメはついてんだ」


花子は自分の友人が人を襲うようになったらと考え、とても心が苦しく思いました。一緒に写真を撮るほど仲の良い関係であったのに、敵だったら?しかも生死をかけてしまうかもしれないのです。


「私はできない。ウェイズは線引きできているのすごいよ」


優しさによって友人とは戦えないと言う花子に、ウェイズは自信げに安心して欲しいと言います。


「ハナコがいいって言うなら俺が戦うさ。アリエッタと心までは似てないんだな」

「アリエッタは大丈夫だったの?」

「敵なら!って速攻で戦えていた。友人だからこそ悪いことしたら怒れるって言っていたな」

「私も怒りたいけど、怪我するようなことは……」

「でも、お前の魔法は浄化できるじゃん。まぁ思想までも払えるのは難しいってアリエッタは言っていたけどな」


少々重い話になってしまい、沈黙ができてしまいました。


「そうそう、歌。歌えそうか?」


花子はウェイズからもらった楽譜をポケットの中に入れていました。いつでも練習できるようにと肌身離さず持っていました。


「この歌詞さ、もしかしてだけど友達のことを歌っている?」

「わかった? 俺個人というか、他の人も友達と別れた人は多いからさ。それでも前に進めたらいいなって思って。今度楽器と合わせてみようか」

「わかった。ちゃんと歌詞覚えないと」

「練習だから、無理にしなくていいって。気楽にな」


「前に進めたら」という思いを胸に、花子は異世界を後にしました。

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