黒猫のクロ〜優しい魔女に拾われた僕のちょっとした恩返し〜

水都ミナト@【死にかけ公爵】配信中

第1話

 僕はなんの変哲もない可憐な黒猫さ。


 名前はまだない。

 だけど恐らく数秒後には名付けられるんだろうな。かっこいい名前を頼むよ。


「うん、アナタの名前はクロ。黒猫のクロ、どう?」


「…にゃー」


 どうと言われましてもね…黒猫だからクロって、短絡的過ぎないかい?黒から取るなら…うーん、ノワールとかどう?我ながらなかなかイカしてると思うんだけど。


「クロ…うん、決まり!クロ、これからよろしくね!」


「…んにゃあ」


 …どう足掻いても僕の名前はクロらしい。


「うふふ、魔女の相棒は黒猫って相場が決まっているでしょう?アナタと出会えたのもきっと運命ね」


 そうなの?初耳なんだけど。


 まあいいや、なんだか嬉しそうだし。僕も寝床と食事の心配がなくなる。まさか魔女に拾われるとは思いもよらなかったけど、何だか楽しそうだしついて行ってあげる。


「ああ、私の名前はノエル。これからよろしくね、クロ!」


「にゃ」


 握手を求めてか差し出された手に、よろしくの意味を込めて肉球をむにゅっと押し当てると、君は本当に嬉しそうに頰を桜色に染めた。




◇◇◇


「にゃ、にゃ、にゃ〜〜!?!」


「はぁー気持ちいいねぇ、クロ」


 出会った森の奥深く、君の家は周りを泉に囲まれた浮島にぽつんと建っていた。三角屋根の可愛いお家。僕は日当たりも良くて自然の音が心地いい君の家をすぐに気に入った。陽がよく差し込む窓際に僕専用のベッドを置いてもらって、今ではすっかり特等席さ。


 君との暮らしには満足してるよ?でも、箒で空を飛ぶのはなかなか慣れないなぁ!ちょっと、スピード下げてくれない?落ちそうなんだけど…


 っていうかこの細い柄に掴まれってさ、猫がいくら器用でも吹きっさらしの中それは酷なんじゃない!?落ちたら死ぬよね?それに風が強過ぎて目が乾くんだよ!


 びゅううっ


「にゃ、にゃぁぁぁぁぁ!」


「わっ」


 ほら言わんこっちゃない!

 僕は呆気なく突風に攫われてしまった。悪戯好きの秋風さんやい、いくら僕が愛らしいからって、攫うのは良くないなぁ。ほんと、短い人生、いや猫生だったよ…


「クロっ!」


 ふわっ


 僕がこの世と別れを告げようとしていたら、身体が温かな光に包まれてふわりと浮いた。そしてそのままふよふよと君の元へと回収されていく。


 そうか、君は魔女だもんね。魔法を使えるんだった。


「ごめんクロ、もっと気をつけるべきだった」


「んなー」


 そうだよ、僕はいつもそう訴えていただろ?

 ちょっぴり不服な声で答えたからか、君は少ししょんぼり肩を落としてしまった。


 帰ってから、君は箒に乗る時に羽織るローブをしつらえて、胸元には大きな内ポケットを作ってくれた。そう、僕の身体がすっぽり収まるぐらいの大きさ。僕はここに入ってローブの首元からひょっこり顔を出すって作りらしい。


 完成してから早速箒に乗って空を飛んだけど、ローブに包まれてるから振り落とされることもないし、君の体温を感じてぽかぽか温かい。なんだか安心して眠くなっちゃうな。


 僕は空を散歩するときは、ポケットの中で丸まって寝ているか、首元から顔を出して景色を眺めるかのどちらかの過ごし方が定着した。




◇◇◇


 君は植物の知識が豊富で、三角屋根のお家にはいつもゴリゴリと薬草をすり潰す音や、調合した怪しげな液体をコポコポと火にかける音に満ちていた。

 僕からすれば、そんな生活音?も眠気を誘う導眠剤。窓辺の特等席で丸くなり、楽しそうに調薬する君を眺めながら眠りの国に赴く。


「ふふっ、クロはいつも寝てるね。とっても気持ちよさそうで見てるこっちも眠くなるよ」


 君はたまに、脚の下にカーブした板がついた奇妙な椅子に座って、ゆらゆら揺れながら僕と一緒に微睡んだ。ろっきんぐちぇあ?とか言うらしいんだけど、その揺れがなんとも気持ちよくて、僕は君がこの椅子に座ると膝の上にお邪魔して背中を撫でてもらう。サラリとした君の長い黒髪が鼻先を掠めてくすぐったい。

 

 僕の艶々の毛並みを撫でる手はとても優しくて、ついついゴロゴロと喉を鳴らしてしまう。そうすると今度はその喉を撫でてくれて、なんともたまらない。最高だにゃあ。





◇◇◇


 そんな平和でのんびりとした君との生活。

 一人で生きてきた頃に比べて、時間が過ぎるのはあっという間。




 気付けば君と僕が出会って百年が経過していた。




 百年のうちに森の側に小さな町が興った。たまに君と一緒に町へと出掛けているうちに、薬屋の店主と親しくなって、風邪薬や傷薬、軟膏なんかを店に卸すようになった。

 君の作る薬の効果は市販薬とは比べものにはならなくて、瞬く間に人気商品になった。


 この町の人間は君が魔女だと明かしても、態度を変えることなく差別することもなく、みんな平等に接してくれた。金銭的には豊かな町ではないけれど、この町に住む人間はみんな心が豊かだった。


 人間との交流が増えた君はどこか楽しそうで、僕も君が楽しいと楽しくて、今の平和な毎日がずっと続くといいな〜なんて。柄にもなく思ってしまったよね。




 そんなある日のこと、僕は君の些細な変化に気がついた。


「どうもこんにちは、頼んでいた薬の進捗はいかがでしょう?」


 むむ、この男は最近よく家に来る、確か町長の息子だったかな。病に伏せる大事な人のためにと薬を求めて足繁く通ってくる。


「こ、こんにちは…その、今月の分は既に用意ができてます…」


「ありがとう!ノエルさんのおかげでアリスもだいぶ元気になったんだ。この間なんて数年ぶりに外に散歩に出て、あの嬉しそうな顔ときたら…おっと、ごめん。支払いを済ませないと」


「あ、ありがとうございます。ではまた来月…」


「ああ、また」


 この男と話す時、君はいつも三角帽子を目深に被り、声も消え入るほどに小さくなる。ふむ、確かに栗色の少し癖毛な髪、同じく栗色で切れ長な瞳は僕に似ていないこともないし、人の良いこの男に君が惹かれるのも分からなくもない。


 男が出て行ったあとも、君はぼーっと蕩けた視線をドアに向けていて、いつも「にゃあ」と鳴いて現実世界に引き戻してあげなきゃならない。


 つまるところ、君は今、初めて恋とやらをしているんだ。


「はぁ…マクベルさんには大切な人がいるんだもの。この気持ちは封じなきゃね」


 君はいつもそう言ってため息をつくけど、誰かを想う温かな気持ちは無理に閉じ込めなくてもいいと思うよ?その気持ちは君だけのものだから、大事にしなきゃ。


 でもね、僕は知っているんだよ。


「ねぇ、クロくん。ノエルさんは誰か好きな人がいるのかな?やっぱり魔女の相手は魔法使いじゃないとダメなのかなあ…」


 この男の大切な人ってのは妹で、その妹の病状が良くなってからもここに通うのは君に会いたいがためってことをね。


 マクベルとか言う男は、君が薬を紙に包んでいる間、ぽけっと君に見惚れながら僕にコソコソ話しかけてくる。仕方がないので「にゃあ」と相槌を打つ優しい僕。


 聞く(聞かされた)ところによると、どうやらこの男は幼い頃に君に助けられたことがあるらしい。それからずっと君に憧れていて、いつしか憧憬が恋慕に変わっていったんだって。


「でも、魔女様に僕が想いを寄せるなんて…きっと叶わない恋なんだろうね。ノエルさんは初めて出会ったあの日から全く外見が変わらない。僕たちは同じ時間を歩むことはできないんだな…」


 やれやれ、お互いに片想いだと思ってるんだから世話が焼けるにゃあ。確かに魔女と人間じゃ寿命が違い過ぎる。魔女は人間の何倍もの長き時を生きる。

 

 だけど、それでもいいじゃないか。

 

 好きなんだろう?気持ちを伝えないと始まるものも始まらないぜい?


 ちょっぴりお節介な僕は、ひらりと特等席から降りると、薬を手渡すために男に近づく君の後ろに回り込んだ。そしてぴょーんと飛び上がって、君の背中をタンッと蹴った。


「わぁっ!?」


「ノエルさん!?」


 君は転ぶまいとたたらを踏むが、大事な薬が入った袋を両手に抱えている。抵抗虚しく君の身体は傾いて男の腕の中にすっぽりと収まった。


「あ、す、すみません……ありがとうございます…」


「いえ、大丈夫ですか?」


「え、ええ…」


 抱き合ったまま熱を孕んだ目で見つめ合う二人。そして同時にハッと我に返って慌てて身体を離した。ちぇ、いいじゃないかもう少しくっついていたってさ。照れ屋な二人だねえ。


 僕のナイスな後押し(物理的に)により、この日から二人の距離は少しずつ縮んでいった。二人で薬草を取りに行ったり、町へ出かけたり、お茶をしたりと楽しそうだ。僕は留守番する日もあれば、二人について行く日もある。


 そんな日々が半年ほど続いた頃、留守番をしていた僕に頬を上気させながら慌てて帰宅した君が駆け寄ってきた。


「クロ…!マクベルさんに告白されたわ…!」


 ほほう、よかったじゃないか。これで晴れて恋人同士だ。


 めでたい知らせのはずなのに、君はどこか寂しげな目をしていた。どうかしたのかい?


「にゃ?」


「ふふ、ありがとうクロ。クロは何でもお見通しだね…実はね、告白への返事は保留にしてもらっているんだ」


「んな!?」


「そうだよね、私の気持ちもマクベルさんと同じなんだから受け入れれば済む話なんだけど…私たちは魔女と人間だから、時の流れが違うんだ」


 切な気に瞳を揺らす君の目には薄っすらと涙の膜が張っている。


「私はマクベルさんと一緒に老いることはできない。私よりずっと早くマクベルさんは死んでしまうわ。愛する人を失う悲しみに耐えられる気がしないの」


 とうとう君のアメジスト色の瞳からはボロボロと大粒の涙が溢れてしまった。仕方がないので僕はその涙を舐めて拭ってやる。しょっぱい。


「人間になれたらいいのに…」


 涙が収まった頃、不意に君が呟いた言葉は確かに僕の耳に届いた。


 

 ――君との付き合いも、もう百年。

 ようやく心から愛する男ができたんだよね。


 僕は君に拾われてから、毎日幸せだった。だから、ここらでちょっとした恩返しをしようと思う。ずっと考えてたんだよ?何がいいかなーって。


 

 ――ねぇ、人間になったら魔法を使えなくなるよ?

 調合の知識はそのままだから趣味の調薬はできるね。

 もう空も飛べないし、水中歩行もできない、それでも、本当にいいんだね?


 

「例え魔法が使えなくなっても、空が飛べなくても、私は人間になりたい。もう何百年も生きたんだもの。大好きな人に残りの人生を捧げたい」


 まるで僕の言葉が聞こえているかのように、君はそう言った。君の目は力強い光に満ちていた。


 

 ――うん、君の気持ちはよく分かった。それじゃあ僕も覚悟を決めなきゃね。



 僕はスタッと床に降り立ち、ぷにぷにの肉球をにぎにぎする。


 そろそろ力も戻ったみたいだし、僕が君の願いを叶えるよ。



「んにゃあ」


「ん?なぁに、クロ」


 君を見上げて呼び掛ければ、どうしたの?と腰を屈めてくれた。君はいつも僕に視線を合わせてくれるよね。そういう優しいところ、大好きだよ。きっとあの男も君のそんなところに惹かれたんだろうね。


 僕は前脚を持ち上げると、ぷにっと肉球を君のおでこに押し当てた。すると目を開けていられないほどの眩い光が部屋に満ちた。


 これで君が目覚めた時にはもう、人間になってるよ。だからすぐに大好きな人のところに行くんだよ。決して居なくなった黒猫のことは探さなくていいからね。分かった?


 僕?僕はちょっぴり眠るだけだから、大丈夫。君は君の幸せのために生きるんだ。僕は僕で目覚めたら、一人でも何とか生きていくよ。君との思い出があればそれなりにやっていけると思う。だから寂しくないよ。




 ――ああでも、もう君と空を飛べなくなるのは、ちょっぴり寂しいなあ。











 



◇◇◇

 

「にゃ…」


 どれぐらい眠っていただろう。


 目覚めてまだぼんやりとした視界で辺りを見回す。次第に焦点が合ってきて、ここはあの三角屋根の家だとすぐに思い当たる。

 もう何年も経ってるはずだけど、思ったよりも部屋の中は綺麗だ。埃もさほど積もっていない。だけど、見慣れた椅子や調薬のための変な形のガラス瓶一式はない。ガランとしてどこか淋しい雰囲気だ。


 僕はよいしょと立ち上がる。何だか視界が低いし、記憶よりも随分と短い手足。子猫に戻っているのか。


 そうか、僕は力を使い果たしたんだ。身体の中に満ちていた魔力が底をついている。僕はもう普通の黒猫になったんだ。


 さて、もうこの小屋にあの優しい魔女は居ない。

 ということは無事に人間になれたのかな?

 君はちゃんと好きな男と結ばれたのかい?


 ともかく、寝床はここでいいとしても、当面の食糧を調達しなきゃだね。

 僕は風を取り入れるために開けられたままの窓からひらりと外に出た。ふわりとした浮遊感が、君との空の散歩を想起させる。


 ――ダメダメ、一人で生きる覚悟をしただろう?


 気合を入れるために、ふんっと鼻から息を吐いて歩き始めた僕の頭上に影が差す。考え事をし過ぎて頭上を取られるまで全く気が付かなかった。


「ままぁー!見てー!子猫がいるよ!」


 恐る恐る見上げると、そこには好奇心で目を爛々と輝かせた女の子が一人。髪は栗色、瞳は綺麗なアメジスト色。五歳ぐらいかな?小さいな。


「あらほんと?」


「ねぇ、連れて帰ってもいいー?一緒に暮らしたい!」


「ふふ、ちょっと待ってね」


 少女にママと呼ばれた女性は少し後方から早足で近付いてきた。耳当たりのいい声で、なんだか懐かしくて胸がきゅっと締め付けられる気がした。


「っ!……ええ、猫ちゃんがついて来てくれるなら、いいわよ」


「やったー!名前は何にしようかなぁ…うーん、そうだ!」


 僕と少女の側に来た女性は、僕を見てハッと息を呑んだ。

 母親に承諾を得た少女は、母親と同じアメジスト色の瞳をキラキラと輝かせながら思案している。


「クロ!アナタは黒猫のクロ!うふふ、これからよろしくね!」


「…にゃあ」


 黒猫だからクロとは、なんて短絡的なんだ。

 

 そうか、そうだね。この子は…ノエル、君の娘なんだね。


 いつの間にか側まで来ていた君は、相変わらず艶やかな黒髪を靡かせていたけど、記憶の中より少しだけ大人びて見えた。子猫の視点が低すぎて、君の表情はよく見えないや。

 

 あれから何年が経ったのかな?

 そんなことを考えていたら、君はひょいと羽のように軽い僕の身体を抱き上げて強く胸に抱き締めた。ぐえ、ちょっと苦しいなあ。今はか弱い子猫なんだよ?手加減してよね。


「あっ!ママずるいー!わたしも!」


「んなー」


「クロ、クロ…っ、あなたなのね。うっ、また会えて嬉しいわ」


 娘の抗議も僕の抗議も無視して、君はボロボロ涙を溢す。僕は仕方がないなあとその涙を舌で舐めてやる。相変わらずしょっぱい。


 君の肩越しに、遅れて走ってくる男の姿が見えた。栗色の癖毛は三角屋根の家によく訪れていた彼のもの。


 そうか、君はしっかりと幸せを掴んでいたんだね。安心したよ。


「クロ、クロ。私、今とっても幸せよ」


「にゃふ」


 涙で濡れた顔でふにゃりと君が笑うもんだから、間の抜けた声が出てしまったじゃないか。


「あなたが居なくなってから、毎年この場所に来ていたの。あなたとの思い出がいっぱい詰まった大事な場所。あれからもう十年になるのよ」


 そっか、十年の間僕は眠っていたんだね。力を失くしている間は実体が無いから君には見えなかったんだよ、ごめんね。


「ねぇ、また一緒に暮らしてくれる?あ、この子は娘のメアリ。あの人はマクベル。あなたもよく知ってるわよね。私たちは結婚して家族になったのよ」


「メアリだよー!クロ、よろしくね!」


 ようやく抱擁から解放されて一息ついた僕の前に、君は娘と共にしゃがみ込む。そして満面の笑みで手を差し出した。


「改めて、よろしくね」


「…にゃあ」


 僕は差し出された手に、よろしくの意味を込めてむにっと肉球を押し当てた。




 


 僕は何の変哲もないただの黒猫。

 もう魔力がないから本当に普通の黒猫さ。

 

 さて、僕は普通の猫としての短い余生を君の側で過ごせることになったみたい。あーあ、せっかく恩返しできたと思ったのに、まだ君は僕に幸せを与えてくれるのかい?これじゃあキリがないじゃないか。


 だけど、既に君たちとの時間を愛おしく感じている僕がいる。僕も君たちを幸せにできるように、これからも側にいてあげる。辛いことがあれば愚痴だって聞いてあげる。でもその分楽しい話をいっぱい聞かせておくれよ。たくさん笑って過ごそうじゃないか。


「にゃぁん」


 スリ、と君に頬擦りすれば、君は嬉しそうに微笑み優しく喉を撫でてくれる。

 

 そよそよと優しい風が僕たちを包み、周囲に咲き誇る花弁を揺らしている。君の腕に抱かれながら、僕はかつて君と飛んだ青く澄んだ空に想いを馳せた。

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