第53話 去年の真冬のこと5


 三学期の冬、夕暮れが遅い放課後であった。

 特別進学コースの教室には誰も残っていない。

 教室には桐原と雲丹亀という二人の少女だけ。

 小学一年生の時からずっと親友だった、きーちゃんと、うにちゃんしか居なかった。


「好きな人が出来たの」


 私は開口一番、そう口にした。

 この時点では、私もややその気になっていた。

 愛しているとまではいかない。

 だが、好きになったとまでは口に出来た。


「そうですか」


 きーちゃんが、きょとんとした顔で、興味を示した視線をこちらに向けている。

 私の隣席である藤堂君の椅子などを借りて、足を広げて座っている。

 私は折り目正しく両足を閉じ、両手でグーを作って太腿に置いている。

 ・・・・・・ミニスカート、そろそろ止めようかなと思っている。

 やはり、母が言うとおりだ。

 交際している女がミニスカを履いているというのは嫌であろう。

 

「良い男性が見つかりましたか? やっぱりお金持ち?」


 私はタワマンの最上階に住んでいるレベルの大金持ちの男と結婚するのが夢である。

 専業主婦な上に、家事もしない人生を目指していた。

 裕福なる男性の経済力で、怠惰なる人生を送ることを目標としていた。

 だが、もう――


「そりゃあお金持ちだよ。私が夢描いたスペックの持ち主の、超お金持ち」


 金持ちではあった、だが今までの理想とは違う点がある。

 吝嗇家というわけではないし、贅沢もさせてくれるだろうが、怠惰は許してくれそうに無い人だ。


「でも、きーちゃんの今考えているような怠惰な理由じゃあないよ。せっかく私も進学校に進んで学歴は積んだわけだし、彼が兼業主婦を希望するようなら働いてもいいんだ」


 藤堂さんは、そのような怠惰な寄生虫目的の女を本気で嫌うであろうし。

 私も――本当に好きになってしまったのならば、もう譲ってしまおう。


「もちろん専業主婦を望まれたなら、キチンと家事だってするよ。だって、私の作ったご飯を食べて、美味しいって言って欲しいもの」


 私は両手を組み、頬に当てた。

 きーちゃんは、少し驚いたようにまなじりを上げて、どんな男だと。

 そんな疑いの視線を向けている。

 私は本気なのだ。

 いや、まあ、何度も言うが愛しているとまではいかない。

 まだ好き、という段階である。

 例えば、毎朝お弁当を作ってあげるとか。

 一緒に手をつないで、何か服でも買いに行きたいとか。

 キスをしたいとか。

 そういう些細な恋愛行為を想像すると、私の胸は高鳴ることがある。

 ああ、好きなのだ。

 きーちゃんにこの思いはまだ分からないかもしれないが、私はついに惚れた男に出会いおおせた。

 これは初恋だった。


「わかりますよ、うにちゃん」


 うんうんと、きーちゃんは頷いてくれる。

 私はと言うと、少し驚いた。

 

「わかるって、きーちゃんも好きな人できたの?」

「自分でも意外な事に」


 ――まあ高校一年生だしな。

 この高校ならレベルの釣り合いがとれる男も見つかるだろう。

 そうだな、きーちゃんになら、教えても良いかもしれないな。

 私の一番の親友であるのだから。

 私の惚れた男の名前を。 


「さて、本格的な相談にうつりましょうか。うにちゃんが好きになった人とは?」


 水を向けられる。 

 私は少しだけ躊躇ったあと、えいや、とばかりに口を開いた。


「きーちゃんが今座っている椅子の持ち主。藤堂破蜂さん」


 一瞬、空気が止まる音が聞こえた。

 ここで私の心に最初に巻き起こったのは何故という困惑であった。

 藤堂さんの名前を出した瞬間に、きーちゃんは冷たい視線になった。


「アイツ、クズですよ。うにちゃんも嫌いだと以前に言ってたじゃないですか」


 嗚呼、心配してくれているのかと。

 私はその時、とんでもない勘違いをした。

 あれは致命的であった。


「言ったよ。何回も言った覚えがある。でも人の印象って変わるじゃん」


 初恋で頭がぼけていたのか?

 あの時のきーちゃんは、殺してやりたいという目で私を見ていたに違いないのだ。


「まあ最初は酷いものだと思うよ。私が可愛いミニスカを履いてるのに、どうしようもない淫売がクラスにいるみたいな目で私を見下してるんだから。人をそうやって蔑んでくる偏屈なクズを好きになるわけないじゃん」


 浮かれて話していた私はとんだ間抜けだ。

 間抜けに違いない。

 すぐにでも話を打ち切り、その場を飛び出して藤堂さんに告白でもキスでもなんでもすればよかったのに。

 

「でもさあ。二学期が終わってから、本当に他の人に優しくなったんだよ。なんだろう、社会性が向上したというか。少なくとも、あからさまに人を小馬鹿にするような偏屈ではもうないよ」


 舌打ちが聞こえたのだ。

 ああ、確かにあのとき、舌打ちが聞こえたのだ。

 判っていたじゃないか、きーちゃんは小中通して私の一番の親友であり。

 そして、目的のためなら手段を選ばないサイコパスのクズだ。


「あのね。きーちゃんは知らないだろうけど、私が困っているときに、ビックリするような事を藤堂君はしてくれたの。それも何の下心もなしに、私を助けてくれたの。君が困っているようだから、それを助けてあげただけだ。人はそうするものだと俺は先日学んだんだって」


 あのとき、何をのほほんと藤堂さんに対する恋愛を打ち明けていたのか。

 いまでも怒っている。

 この怒りはうにちゃんに対するものではなく、私の甘い見積もりに対する怒りだった。

 私は馬鹿だ。


「なんで急にあんなに優しくなったのかな。他人が困っていても平気で見捨てるような人だとずっと思ってたよ。それとも、やっぱり元々悪い人じゃなかったのかな。わからないけど、そんなことどうでもいい。私は藤堂さんが好きになったよ。ちょっと癖のある人だけど、恋愛は惚れた方が負けだっていうしね」


 アレは私のものだと。

 口から言葉がはみ出しそうになるが、歯噛みをしてそれを止めていたきーちゃんに気づかなかったのだから。


「明日、藤堂さんに告白しようと思うんだ」


 それだけを言った瞬間に。

 確かにきーちゃんは笑った。

 桐原という女は、楽しそうに笑ったのだ。

 口角を吊り上げて、馬鹿な女がいると、眼前にいる親友を見て。

 確かに笑ったんだ!

 私はそれに気づかず――他愛もない恋愛話をして、その日を過ごして。

 ――翌日、学校のクラスで藤堂さんの腰に手を回して、はしゃいでいるきーちゃんを見た。

 いつものことだと

 いつものことなのだと。

 そう思いたいが、どうにも距離が近い。

 私は藤堂さんに告白するつもりで来たというのに、どうしてかそれができない。

 嫌な予感がする。

 嫌な予感がするのだ。

 ずっと、きーちゃんが一瞬の隙も逃すまいと、藤堂さんにべったりと張り付いていて。

 ――その日はついに告白できずじまいで、とぼとぼと帰ろうとした瞬間に。

 『桐原銭子』は私一人を校庭裏に呼び出して、震える声で言ったのだ。


「私、本日から藤堂破蜂君と付き合うことになりました。つきましては、まあ、なんだ。わかるじゃん。藤堂君には近づかないで下さいね」


 その日、私は初恋が敗れたことと、親友が裏切ったことを知った。

 その日に初めて、私はたとえ竹馬の友であっても、人がどれだけ薄汚く親友を裏切れるか。

 そして、私がどれだけ藤堂さんに惚れていたのかに気づいたのだ。

 ドロドロとした憎しみが、私の中に産まれた。

 好きという漠然とした感情では無く。

 それは藤堂破蜂という男に対する、愛への気づきだった。

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