第52話 去年の真冬のこと4
「よかったじゃない。私はほっとしたわ」
「私は借用書と念書を書かされたんですが、それは」
母と会話する。
結局の所、病気は過労からきたらしく無理はしないで欲しいのだが。
ともあれ、お爺さんとお婆さんが病院にまで面会に来てくれて、仲直りはした。
藤堂さんはその場に堂々と立ち会い、母にも私が書いた借用書を同意させる念の入れようである。
いや、だからお爺さんはもう借用書も念書も要らないと言っているのだが。
なんでそんなことに拘るのだろうか、藤堂さんは。
「それで、晴子の彼氏のことなんだけどね」
「いや、彼氏じゃないって」
借用書と念書を書かせて、破ったら地獄まで追い詰めるぞ、と真顔で言い放つ藤堂さん。
あんな彼氏いやだよ。
まあ、私は約束を破る気が無いとは言え、あそこまで念入りに契約を遵守することに拘るとか。
どういう教育を受けて生きてきたのだか。
そう考えて、はあ、と息を吐く。
「あんな彼氏イヤだよ」
「ええ・・・・・・母さんは彼氏だからこそ、ここまでやってくれたんだと思っていたけれど」
違うよ、母さん。
とは思いつつも。
まあ、現状を冷静に考えれば、確かに私が損をしたわけではないのだ。
ちゃんと借りたお金は返すつもりであったし、母も祖父母と親交を取り戻すことを望んでいたし、我が母子は何も損をしていない。
むしろ、藤堂さんが色々と自分の手間を厭わずに、努力してくれたという事実がそこにある。
「彼氏でも無い限り、ここまでしてはくれないでしょう」
まあそうだ。
私はただ泣いていただけで、通りすがりの藤堂さんが何もかも解決してくれたという結果だけが残っている。
これには歯噛みする思いがある。
「感謝はしてますけどね。感謝は」
そうだ、感謝はしているのだ。
だからといって、いつのまにか変人の彼女にされるというのは嫌であった。
「うーん」
母は少し困った様子で、こてんと首を傾げた。
「私は男選びに失敗したから偉そうなことは何も言えないけれど」
母が難渋した様子で口にする。
なるほど、母は確かに失敗をした。
養育費すらマトモに払わない父と駆け落ちをして離婚をして、酷く苦労したと聞く。
そのまま実家を頼らずに女手一つで私を育ててくれて、私学の高校にまで通わせてくれた。
ここら辺は、祖父などに言わせれば「素直に過ちを認めれば許したのに」というのが本音であったらしいのだが、私の母も頑固なものである。
しおらしい姿を見せながらも、娘だけはマトモに育てたと言い張っている。
私は自分のミニスカートを見た。
「・・・・・・母さん、彼はミニスカートが嫌いなようです」
「赤の他人ならともかく、自分の彼女にはミニスカートを穿いて欲しくないのが普通の男じゃ無いの?」
母はすっかり、藤堂さんのことを私の彼氏だと認めているようだが。
断じて違うし、私はミニスカートが好きである。
これは私の美貌を表現するために必要な姿であるのだ。
「可愛くありません?」
「多数の人を魅了するけれど、正直母さんはあれだけ立派な男を捕まえたなら止めるべきだと思うわ」
ああいえば、こういう。
母は完全に藤堂さんを私の彼氏にしたがっているが。
「彼氏じゃ無いと」
「彼氏ではありません」
きっぱりと否定する。
彼氏ではないのだ、少なくとも今は。
「じゃあ、なんで藤堂さんはここまでしてくれたの?」
母の問い。
「わかりません。本人は『困っている人がいたら助けてあげるようにしなさい』と教えられたばかりだからとぬかしておりましたが」
本当かどうか知らないが。
――まあ、本当なのだろうなとは思っている。
誰に告げられた言葉かは知らないが。
「やっぱりいい子じゃない。何が不満なの?」
「いえ、不満というか、現在進行形で彼氏彼女じゃないというか」
不満というか。
ええ・・・・・・あの変人と私を恋愛関係として結ばせたいのかと、母を睨む。
母は真顔で言い放った。
「貴方の望んでいた、お金持ちでは無いの?」
「いや、そうなんですけど・・・・・・」
あれ、どれだけ自分のお金に余裕があっても借金があるならば、結婚前に相手に全額清算させるタイプの男だよ。
私の望んだのは、まあお気楽極楽な生活をさせてくれる男性だよと。
そう言おうとして。
じゃあ、そんな男が現れて、藤堂さんより上かというと戸惑う自分に気づく。
「・・・・・・」
閉口した。
まあ、好みでは無いとはいわないな。
あれだ、高身長美形、筋肉質、金持ちと好きな条件は揃っている。
私が彼を好きになる条件は揃っているのだが。
「アレね、変人なんですよね」
唯一の逃げ道として、変人であることを口にする。
最近はよく彼を眺めるのだ。
じっと、観察するようにして、背後の席から彼を眺めることがある。
ずいぶん優しくなったと。
この雲丹亀は彼をじっと眺めていると、ふと気づくことがある。
何故だか、彼のクズ言動がようやくにして収まったと理解していることがある。
彼は、何故か二学期の終わりから極端に大人しくなった。
偏屈な優しさを感じるときがある。
「変人なんですよ」
言い訳のようにして、二度言い放つ。
時折、親友であるきーちゃんとじゃれていることがある。
どこか困った様子で、きーちゃんに責められてショックを受けたような表情をしたり、また為す術も無く指示に従ってクラスの仕事などを引き受けていることがある。
そうしたときの藤堂さんは優しげな顔をしていて、なんとなく心を動かされた。
私も、彼に付き合ってクラスの仕事などを引き受けた時に、意図的に二人きりになることがあり。
そんなとき、私は少しだけ何か不思議な思いにかられるのだ。
ああ、そうではないや。
「・・・・・・御礼を口にしたの。助けてくれて有り難うって」
「うん」
母が、静かに返答して頷いてくれる。
そうだ。
ちゃんとした御礼を言おうと思ったのだ。
なのに。
「何の話だって言われましたよ」
藤堂破蜂という人間は、すっかり私のことを忘れていたのだ。
アレだ、本人が金を貸してくれたならばきっと覚えていただろう。
だが、彼は全てのことが一応は片付いたと認識していた。
彼自身も念書を書こうとしたのだが、お爺さんがもう十分君はよくしてくれたと断ったのだ。
いや、あの変人のことだ。
金の話は完全に記憶しているが、為した行動に対しては「何故あの程度のことで御礼を言われるのかがわからない」と捉えているのかもしれない。
「あの男、私を助けてくれたことをすっかり忘れていたんですよ」
「あら」
微笑ましい、と言わんばかりに母は笑った。
笑っている場合では無い。
私は着せられた恩を、一方的に忘れられていたのだから、たまったものではない。
「・・・・・・はあ」
憂鬱になる。
心のどこか、何か罠にかかったような戸惑いがある。
いや、そうだな、多分そうだ。
私は彼のことが嫌いではない。
それだけは認めよう。
「早くしないと誰かに取られちゃうわよ」
「あんな男を好きになる人なんて、世間にいませんよ。でもまあ、試しに付き合ってみるくらいなら良いかもしれませんけど」
私は母の言葉を鼻でわらって、その時は静かに保留した。
ざわつく自分の思いに蓋をして、まずは誰かに相談しようと思った。
そうだ、自分の本当の思いにやっと気づいたのはあのとき。
親友であるきーちゃんに、相談に乗って貰った時なのだ。
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