第50話 去年の真冬のこと2


 どうしようと泣いている。

 自分では全くして、状況の打開策が見えないのだ。

 こんな時、相談する相手が思い浮かばない。

 友人はいる、竹馬の友といえる親友はいる。

 なれど、彼女に相談したところでどうにかなる問題でもなかった。

 そうであるならば、困らせたところでどうしようもない。

 内に抱え込むしかなかった。

 ゆえに泣く。

 誰もいない屋上のベンチに座り、一人して、わんわんという声も上げずに両手で顔を覆って泣くのだ。


「……どうかしたか?」


 声が聞こえた。

 聞き覚えのある声だった。

 同じクラスメイトの――銅鑼を叩いたような、野太い声だった。

 藤堂破蜂という名のクズ野郎だった。

 手には何か缶コーヒー、それに文庫本を持っている。

 

「ほうっておいて、貴方には関係ないでしょ」

「……そうすべきかとも一瞬考えたが、そこに座るつもりだったんでな」


 藤堂さんはそう言い捨て、ベンチの隣に少し空間を空けて座った。

 三人用のベンチだが、彼は体が大きいので1.5人分を占有している。

 ぺらと文庫本をめくる音が聞こえ、チラリと表紙を見るとツルゲーネフの「はつ恋」と書かれていた。

 そういえば、なんとなく最近彼が持ち歩いている本は古典の恋愛小説が多いような。

 少しだけ、目線を上にあげる。

 彼は少しだけ不安定に瞳を揺らして、私を心配そうに見つめていた。


「何よ! いつも私の事を馬鹿にした視線で見ている癖に!」


 彼は困ったように、本をゆっくりと閉じて答えた。


「……君が学校の制服を改造して、ミニスカートで登校してくるからだろうが」


 それの何が悪い!

 私はまた涙をぽろぽろと零して、怒りの目で彼を見る。

 嗚呼、彼は私のような悩みなどないのだろうなと思い、憎しみさえあった。

 金持ちで、クズみたいな性格で、もともと嫌いなタイプの人間なのだ。

 私の事を普段から侮蔑している、最低のクラスメイトであることは知っている。

 立ち上がり、どこか別な場所で泣こうとして。


「……誰にだって物思いに沈んだり、ふさぎこんだり、時には涙を流すこともあるだろうが。君のそれは何か困ったことがあって、それが解決できなくて泣いているように見えたが?」


 ……無理やりに手を繋いで引き留められるわけではなく。

 本当に心配そうな声で、本当に嫌な奴が柄にもなく私を気遣っているのだと、気づいてしまった。

 そうすれば、情けなささえも感じて、どうにもならない。

 また、ぽろぽろと涙が出てきた。


「……」


 私は沈黙し、ベンチに座ったまま、また声もなく泣き出す。

 感情が暴走している。

 柄にもなくヒステリックな気分で、本当にどうしてよいのかわからない。

 わからないのだ。

 また、藤堂さんが口を開く。


「すまんが、気になるので、何か理由があるなら話してみないか。正直、助けになるかどうかわからんが」

「なんでよ。急に優しくして」

「……俺がまあ、こんなことを言う性格ではないのは知っているのだが、その、なんだ」


 彼は静かに瞳を閉じ、何か物憂いをするように語った。


「人様に迷惑をかけないようにしなさい。困っている人がいたら助けてあげるようにしなさい。社会は貴方一人の為にあるのではなく、貴方も参加者の一人として社会は構成されているのだから――と先日言われたばかりでなあ」


 そんなことを真正面から言われるなんて、何やらかしたんだが。

 そう口にしようとして、止めた。

 彼が私に優しくしようとしている理由に、ケチをつけても仕方ない。


「その、なんだ。確かに俺は君に酷い侮蔑の視線を浴びせてきたし、それは悪いと思っているのだが。その詫びというわけではないが、何か困っていることがあるなら聞くが」


 ベンチに座ったまま、二人して少し沈黙して。

 拗ねた口調で、涙を拭いながら返事をする。


「貴方に何を話したところで解決しないよ」


 断ろう。

 そう思うが。


「そうでもない。俺はやれることが割と多いんでな。その……金持ちだし、頭も悪くないと思っているが? ジャガイモだって握り潰せるんだぞ?」


 自信満々の口調で、断りを拒否された。

 本当に嫌な奴だなコイツ。

 ジャガイモを握り潰せるのは気持ち悪いだけだ。 

 いいだろう。


「じゃあ話しますよ。どうせ、何もできないと思いますけど」


 私はそう口にして、悩みを打ち明けた。

 どうにもならない悩みを。


「……母が先日倒れました」

「……お気の毒に。なんだ、良い病院を紹介できるが?」

「結構です。病状は安定していますし、しばらくすれば復帰もできるでしょう。そのしばらくがいつまでかはわかりませんけれど」


 命に係わる病気ではないのだ。

 だから、そこは問題ではない。

 問題は、お金だ。


「問題は、入院している間は家計への収入が断たれることです。私は母子家庭ですので、母が倒れれば――もうどうにもなりません」

「うん?」


 一瞬、意味がわからないという顔をして。

 不思議そうにこちらを見詰めた後、スマートフォンで何かを検索したようだ。

 こちらに画面を見せて、そのまま言葉を続ける。


「親が倒れても傷病手当金がある。家計急変事由の給付奨学金だってあるだろう。どうにでもなる。仮にも社会がその手の事に対応していないとでも――」

「傷病手当金だって給料額面全額を支給してくれるわけじゃない。すでに奨学金だって最高額で借りています。この私学の学費はとても払えません」


 ここまで言えば、成績優秀な彼ならばわかるだろう。

 元々足りていない家計に奨学金を足して、無理をして通っているのだ。

 要するに、普通の高校に通うまでならなんとかなる。

 ただ、この高校にはもう通えないだろう。


「ああ……そうか。他の学校に転校しなきゃいけないことが悲しくて泣いていたのか」

「そうです」


 それもあるが、それ以上にだ。

 

「これで寝込んでいるお母さんを悲しませていることに自分が許せない。希望の高校に入れたのに、私のせいでと責めています。だから、お母さんの前だけでは明るくしないと。感情を鎮めるために屋上で泣いていました」


 藤堂さんは、少し首を捻った。

 とても難渋した顔で悩んでいる。

 ほら、どうにもならない。


「……元々解決は期待していませんから」


 私はそれがおかしくて、少しだけ笑ってやった。

 どうにもならないことは世の中にある。

 だが、予想した「すまないが学生である俺には助けられない」といった回答ではなく。


「いやあ、どうにかすると言ったしな。どうにかしようか」


 何言ってんだ、コイツ。

 私は信じられない目で彼を見た。

 学生である藤堂さんごときがどうにかできる問題でもないだろうに。


「……何も転校する必要なんかないだろう。方法を今から考えようじゃないか。手段何ぞいくらでもあるし、やりきれる自信もあるが。まあ、とりあえずはだ」


 ぱん、と藤堂さんが分厚い手の平を叩いて。

 あっけにとられる私の瞳を覗き込んで、静かに呟いた。


「まあ手段を幾つか用意できる上で先に尋ねておくけれど。親族関係は頼れないんだな?」

「……頼れない」


 私は断ろうとしたのだけれど。

 藤堂さんに真っすぐ見つめられて目が逸らせず、思わず正直に答えてしまった。

 

「……頼れない、と思う。私のお母さんは駆け落ちして、祖父母は健在だけど、病院に見舞いにも来ないくらいに険悪で疎遠になってるから」

「でも、いるんだな? 金銭的にはどうだ?」

「一応、大きな空手道場を経営しているから。本来なら経済援助だってしてくれたと思う」


 ふうん。

 そう感心したように声を上げて、藤堂さんは笑った。


「じゃあ、そこから行ってみようか。どうにもならなかったら、責任はとるよ」


 なんでこんなに自信満々なのか、よくわからないのだが。

 藤堂さんの変な自信に引きずられて、私はうんと頷いた。





――――――――――――――――――――




カクヨムコン8でラブコメ部門 特別賞を頂きました。

応援いただいた皆様、有難うございます

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る