第47話 桐原の恋愛遍歴3


 神戸という日本六大都市にして、貧民と超富裕層が雑多な街角で行き交うカオスな都市。

 そこに白詰草のような雲丹亀晴子という少女がおりました。

 その少女には桐原銭子という親友がおり、二人は仲良く勉強をしたり、さもしい小学生時代を送りながらも将来成り上がることを夢見て暮らしておりました。

 

「銭の花は真っ白だが、根っこは血のように赤い」


 私ときーちゃんの好きな言葉です。

 日本人は誰もがこの言葉を大好きです。

 銭の花の色は清らかに白いが、蕾は血がにじんだように赤く、その香りは汗の匂いがするのです。

 銭ぃ、銭ぃときーちゃんが単語を口ずさみながら、自動販売機を通るたびにコイン返却口を漁っているのを見たことがありますか?

 あれは意外とコインが忘れられていることが多いのですよ。

 残念ながら、先ほど藤堂さんが買っていたようにスマホアプリの電子マネーで買えちゃう時代になって、きーちゃんの自販機漁りの癖は滅びましたが。

 あの時のきーちゃんの悲しそうな顔が忘れられません。


「雲丹亀、俺そんな話を聞きたいとは言ってないんだが」


 いや、全く興味はないと言わないが、そんな桐原の悲しい話は聞きたくなかった。

 どんだけ金がなかったんだ桐原。


「私もまあ母子家庭なので貧乏ではありますが、きーちゃんの貧困具合はガチだったので。自動販売機の返却口を漁る行為は軽い犯罪かもしれませんが、そもそも、その自動販売機でジュースを買えないレベルに貧困なきーちゃんを、悪い事をしていると責める方が悪だと思います」


 当時小学生の桐原には、何か菓子でも買ってあげたいと思うのだ。

 別に今からでも遅くはないので、また何か買っておこう。

 扁平な輪切りの、真ん中に穴の開いたパイナップル型の飴は鞄の中に入っている。

 後はなんだ、どんぐり型の噛み砕くと中にガムが入っている飴でも買っておこうか。

 そんなことより金をやれと言われそうだが、桐原は金を直接渡されると口も聞いてくれんレベルで激怒するのだ。

 奢られるのはいいが、金を直接貰うのは嫌らしい。


「まあ、枕はここまで。本題はここからです」


 そんな自動販売機のコインを漁っている桐原ちゃんも、一応は公立小学校に通っていました。

 なんで公立校に、香港の留学生が来たのかは詳しい事情までがわからないのですが――まあ、親が一時的な日本への出張となった際についてきたとは聞いておりますね。

 名を、張・明美(チョウ・ミンメイ)といいました。

 私、未だにあの公立校のお世話係というか、教師が責任を放棄して手のかからないしっかりした生徒の一人に過大な責任を与える行為が本当に大嫌いなのですが。

 文化の違う香港人の子供に対して、まあ誰かしっかりした子供を補佐に充てるという行為が許されている以上、選ぶならば同じクラスになった桐原銭子。

 つまりきーちゃんしかおりませんでしたね。


「うん、やっとミンメイ氏が出てきた。枕が長かったな」

「続けます」


 張・明美(チョウ・ミンメイ)は片言の日本語を操る胡散臭い香港人でした。


「ハロー、私、親の仕事で半年ほど日本に来ることになりました。ヨロシクネー」


 きーちゃんは言っておりました。

 酷く憤っておりました。


「そこはニーハオじゃないのか、あの香港人、私を日本人だと思って侮辱してやがるな! ニーハオが北京語ぐらい知ってるが、そこはサービスでニーハオと言ってくれるのが優しい香港人じゃないのか!! 私はずっとそういわれると期待していたのに!!」


 きーちゃんは時々理不尽なことで怒るのです。

 あの香港人、気取ってやがるぜと何度も私に愚痴っておりました。

 ……いや、気取っているというか、桐原に合わせてやる理由が一つもないというか。

 

「香港が中国に返還されたの1997年だったっけ?」


 俺たちが生まれる前の話である。

 香港人は今も北京語の「ニーハオ」でもなく広東語の「ネイホウ」でもなく、挨拶は「ハロー」なのだろうかと考える。

 渡航経験は北京にしかないので、分からない。


「そんな愚痴をきーちゃんは口にするのですが。敏い私は気づきました。あれ、これきーちゃん、ミンメイのことは別に嫌いじゃないな? 結構気に入っているな? と」


 雲丹亀は面白くもなさそうな顔で、俺に語るのも忘れたかのように呟く。


「ミンメイのことを気に入っているから、惚気話的なことを私に愚痴っているなと」

「ミンメイ氏は頭が良いのか?」

「きーちゃんレベルで」


 そりゃ無茶苦茶頭いいわ。

 桐原にも好かれるだろうさ。


「そして金もあまり持ってませんでした。日本には出張してきましたけど母子家庭だったそうで、そもそも親御さんが単身赴任に来られる状況ではなかったそうです」

「……桐原に気に入られる要素を完全に満たしているな」


 頭が良い、貧困層の出自というのは、桐原の相見互いにおける愛情を十分に満たしてくれるだろう。

 それで?

 桐原がミンメイ氏の事を気に入ったのは判ったが。


「どうしてそこで、恋愛関係にまで?」

「話の展開を焦りすぎですよ。藤堂さん」


 雲丹亀は、はあ、とため息を吐きながら、昔の事を思い出すように視線を空に向けている。


「きーちゃんは、私と過ごす時間がめっきり減っていったんです」

「ふむ」


 雲丹亀との時間?

 まあ、二人は何時でもずっと一緒に遊んでいた竹馬の友と聞いているが。


「ずっと、小学一年生の時からずっと一緒に遊んできたのに。小学五年生の時にですよ。あのミンメイが現れてから、めっきり私に構ってくれなくなったんです。たまにあえば、ミンメイがあんなことを、ミンメイがこんなことをと。文化の違いによる歪な行動を笑ったり、楽しんだり、愛おしんだりして」


 雲丹亀が、俺の手からミルクコーヒーの缶を奪い取った。

 中身はすでにない。

 スチール缶ではあるが、技術の進化によりそれはペコペコと指で凹ませられるくらいに薄く。


「私と一緒に遊ぶ時間が減っていったんですよ!!」


 カンと、地面に思い切り缶が投げつけられる音が響いた。

 憤りのぶつけ先である。

 俺は仕方なくも、のたのた歩いてそれを拾って、空き缶用ゴミ箱にそれを捨てた。


「え、うん。そう」

「それだけじゃありませんよ!」


 やくたくもない事を、雲丹亀がぐだぐだと罵る。

 本当にくだらないことを。

 二人で一本のジュースを買って、回し飲みをしていたということ。

 私ともやったことないのにと。

 二人で一つの駄菓子を買って、半分こをしていたということ。

 私ともやったことないのにと。

 お互いの身体をふざけ半分に抱きしめあって、まるで昔からの友人みたいに笑いあっていたということ。

 私ともやったことないのにと。

 私の目の前で、お互いの乳首の位置を探りあって、まさぐりあっているときはぞっとしましたよ。

 私とはやってくれないのにと!!

 ああ、一年後にはあの女狐も香港に帰りやがった時には、本当にほっとしましたよ。

 最後にはレズっぽくて気持ち悪かったですからね! あの香港人!!

 なのに、またあの香港人が日本に帰ってきやがったんですよ!!

 段々と、まあ桐原とミンメイ氏の行為がエスカレートしていく姿を語って。

 まあちょっと、子供時代の百合というかおふざけ半分のレズじみた行為が混じりつつあるなと。

 それはいいとしてだ。

 いや、そんなことは、まあ重要ではないというか。


「ええ……」


 それ、桐原の彼女がミンメイ氏とかだったじゃなくてさあ。

 単に、お前が親友の立場をミンメイ氏に奪われたことを、今の今でも恨んでいることで。

 ただ単に悪口を言っているだけじゃんと。

 俺は一つの事に気づいたのだ。


「それ、雲丹亀が嫉妬していただけと言うか、なんというか」


 お前の方が桐原に対して、遥かにレズっぽいぞと。

 口にしようとしたが、本人の自覚がなさそうなので言わない。

 いや、それより、なによりもだ。

 死ぬほど渋い顔で、先ほどから会話を聞いていたらしい桐原がひょっこり顔を出したから。

 雲丹亀にこんなことは聞けなかったのだ。

「お前も桐原とそんなことがしたかったのか?」だなんて。

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