第46話 桐原の恋愛遍歴2


ミルクコーヒーを地面に吐き出し、ポケットから慌ててハンカチを取り出す。


「何ですか、藤堂さん。きーちゃんの恋愛遍歴が気になるんですか?」

「いや……」


言い淀む。

どうということもなさそうに、小首を傾げている雲丹亀を見つめる。

ハンカチで口を拭い、すん、とハンカチの臭いを嗅ぐ。

ミルクコーヒーの臭いがした。

ふと、雲丹亀の口臭に近いなと思う。

元々の体臭である甘唾めいたココナッツミルクと、彼女が愛飲しているブラックコーヒーの香りが混ざり合っているのだ。

俺は好きな匂いだった。

それを以前指摘したところ、冗談抜きで気持ち悪いですよ藤堂君、と桐原に一言で切り捨てられたので口にしないが。


「藤堂さん。無茶苦茶気持ち悪い事考えていませんか? 女の子の口臭を嗅ぐの、そんなに好きですか? いや、嗅ぎたきゃ別に構いませんけど……。匂いフェチですか? きーちゃんが、アイツ間違いなく匂いフェチだって言ってました。私たちの寝床の臭いをすんすん嗅ぐタイプだって!!」

「いや、すまん。妙に鼻が利く人間に生まれたものだから……」


謝罪をするし、フェチである否定もしない。

無礼なのはわかっているのだが、どうも人の体臭や、漂う香りという物が気になってしまう。

匂いには煩い方で、俺などは部屋に沈丁花と金木犀を焚き詰めている。

ちなみにべーちゃんは白檀(サンダルウッド)の臭いがする。

香水でも使っているんだろうか?


「ちなみに、べーちゃんの体臭は少しでも色気を抑えようと、白檀のバスソルトを使っているだけです。たまに在庫が切れたときは、無茶苦茶エロい淫靡なフェロモンをそこら中に垂れ流しています」

「……大変だな、べーちゃんも」


そのエロいフェロモンを嗅いだことはないが。

俺とて魅了されかねないので、ない方が幸せかもしれない。

雲丹亀が俺の思考を先読みしたことに引きつつも、とりあえず溜め息を吐く。

さて、どうしようか。


「それで、なんで桐原は元パートナーと会っているんだ?」

「やはり気になりますか?」


気にならないと言えば嘘になる。

俺は桐原に惚れていて、本音を言えば彼女を鎖で拘束したいとさえ思っている。

そんなものが彼女の幸せにはならず、俺なんぞより世の中にはよっぽどいい男がいると思っているからこそ。

きっと、将来は誰か良い男と結ばれるからこそ、全てを諦めているだけであって。


「パートナーが女性って……どういうことだよ」

「どうもこうも、残念ながら、時代は進んでいるんですよ。同性愛差別は良くないですよ?」


軽く雲丹亀が首を振っている。

ふふん、と鼻を鳴らして、笑った。


「というわけで、藤堂さんはもう私だけを好きになると良いですよ? 私は初恋が藤堂さんで、死ぬまで藤堂さんが好きですから?」

「……うーん」


そうなるのか?

桐原に好きな女性がいて、もはや自分に振り向かせることが出来ないならば。

まあ、俺のことを好きでいてくれると発言している雲丹亀とだ。

結ばれるのが正しいのではも思うが。

まあ、正直言えばだ。


「雲丹亀がなんで俺の事を好きなのか、さっぱりわからんというのが」

「ぶっ殺しますよ?」


雲丹亀は相変わらず口が悪い。

殺意を欠片も消す気はなくて、悪態を口にした。


「わーたーしーと、藤堂さんは。もう何か青春ドラマみたいなワンシーンがあったから、付き合って当然なんですってば。藤堂さんは傍から見たらわけわからん思考回路をしているし、忘れっぽいから、もう理解できてないんですってば」


雲丹亀が、じたばたと手足を動かしながらに訴える。

うん。

いや、正直言えば、多分あったんだろうと思うよ、雲丹亀の視点では。

そういう出来事があったのかもしれない。

だが、俺の方は知らん。


「だからさあ。きーちゃんの事なんか忘れて、そこの大人気ラブホテルであるファック&サヨナラでゴールインしましょうよ」


ラブホテルの名前が無茶苦茶すぎて、残念ながらゴールインする気になれないんだ。

思い出を共有していないお前と、上手くいくイメージがどうしても思い浮かばない。

どう考えてもサヨナラなんだ。

ファック&サヨナラ(性行為してお別れ)なんだ。

だれだよ、こんな狂った名前をラブホテルにつけたの。


「というか、藤堂さんはきーちゃんの事を拒んでいるじゃないですか。今更、何もかもが惜しいと言った様子で欲しがるなんてよくないですよ」


それはそうだが。

いや、そうか。

雲丹亀に、俺が本当は桐原が好きだなんて事実は知られていないのか。

ならば、俺の行為はあまりにも女々しく映るだろう。

……男らしくいくか。


「雲丹亀」


しっかりと、両の手で雲丹亀の肩を掴む。


「おお!? うにちゃん、ちょっとビックリしましたよ!?」


雲丹亀は驚いた表情で、俺の顔を仰ぎ見た。

俺は男らしく発言する。


「桐原のパートナーがどんな人物かを教えてくれ。俺は桐原の男であることを自称はしない。名乗らないし、望まないが――少なくとも友人であるとは思っている。だからこそ」


桐原の彼女が、しっかりとしたパートナーであるのか。

それが知りたい。

知りたくてたまらんのだと。


「桐原のパートナーの全てを教えてくれ。女である以外の情報もだ」

「おおう、そう来ますか」


そうやって言い訳するんですね。

女々しいですよ。

恥ずかしくないんですか。

そうやって何もかもに言い訳する、男であることを恥じた方がいいですよ。

ボロクソに俺の事を罵りながらに、雲丹亀は小首を橋げた。

本当に口悪いな、この女。


「うーん。教えたくないんですが。このまま、きーちゃんなんてレズビアン放っておいて、私とラブホテルにシケこもうぜという方向に持っていきたいのが本音ですが」


まあいいでしょうと。

雲丹亀は呟き捨てて。


「全てを教えてあげますよ。あのきーちゃんのパートナー、香港人の張・明美(チョウ・ミンメイ)のことを!!」


香港人なの!?

桐原のパートナー、女の上になんでか香港人なの!?

俺はなんか、どんどん雲丹亀の話が胡散臭くなってきたと。

実はこれ、全部何もかもが嘘八百なんかじゃないかと。

嘘をつくことを基本的に是としない桐原と違って、雲丹亀は平気で何かを捻じ曲げた嘘を吐く奴ではないかと。

どうにも信じ切れぬ疑いを隠そうとすることもなく、俺は彼女を訝しんだ。

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