第39話 おじぎをするのだ3


 「説明が欲しいのだが」


 とにかくも、状況を説明して欲しいのだ。

 俺が立会人として望まれたのは恋愛の告白においてであり、血で血を洗う決闘についてではない。

 別に闘争を求めていないのだ。

 森羅万象全てが、何故か殴り合いに終着するように流れている。


「告白してきた男とべーちゃんが、殴り合うことになった理由がわからん」


 横で、きょとんした顔で俺を見つめてくる桐原に尋ねる。

 まともな答えを期待している。

 状況がまともでないのに、まともな答えが返ってくるわけもないが。


「べーちゃんが自分より強い相手にしか興味がないと、そう宣言したという噂が流れているからですね。まあ噂というか、実際にそう発言しているんですが。入学式の当日から、告白してきた男に決闘を申し込まれていますよ」

「なるほど」


 やはり、まともではない。

 殴り合っている理由はわかった。

 別に告白してきた男とて、べーちゃんを殴って屈服させることを最終目的としているわけではない。

 それならば、最初の愛の告白すら必要ないだろう。

 恋愛そのものは、ひどく純粋なのだ。


「べーちゃんに惚れた男どもが、彼女からの愛を勝ち取るために決闘に挑んでいると?」

「そうですね。正式な決闘であり、『いざ尋常に』が保証されれば、べーちゃんは大概受けますから」


 うん、まあ受けるんだろうけどさ。

 べーちゃんは人をぶん殴れるから受けてるだけだろ、これ。

 いや、本当に自分に勝てる男がいるとするならば、本気で交際するつもりなのかもしれないが。

 彼女の心境など俺にはわからないから、何とも言い難い。


「相手の男が書いてきたラブレター読みます?」

「読んでいいもんじゃないだろうに、それは」


 そう断ろうとするが。

 まあ、多分中身は恋文でも何でもないんだろうなと思う。

 俺は桐原からラブレターを受け取り、その中身を読みあげた。


「本日の告白において、どのような怪我を負い、どのような障害を引きずるようなことになっても、相手にその責任を問わないことを互いに誓います」


 明らかに恋文でもなんでもなく、決闘の誓約書だった。

 こんなもんに法的拘束力はないのだろうが、まあ言い訳ぐらいにはなるかもしれない。

 そうは考えたが、そもそも日本では決闘罪に該当するだろう。

 『当事者間の合意により相互に身体又は生命を害すべき暴行をもって争闘する行為』は日本で禁止されていた。

 というよりもだ。


「桐原、よく考えなくてもだ。俺が今この場にいることは決闘立会罪に該当するのではないか」

「うん、まあそうですね。私たち全員が犯罪者ですよ」


 だから、しーですよ。

 桐原は綺麗な歯並びを見せながら、口元にしー、と指を一本たてた。

 俺は彼女に惚れているので可愛らしい姿だと思うが、まあ世間では悪魔の姿にも見えるかもしれない。

 誘惑の悪魔「メフィストフィレス」にも例えることが出来た。

 

 「桐原や雲丹亀は納得の上で来てるかもしれないが、俺は何も知らないで来たんだけどな」


 よくもだましてくれたな。

 そう口にしようとするが、まあ騙された俺が馬鹿なんじゃないのか?

 さっさと逃げればよかっただけじゃないか?

 そう言われたら何の反論も出来ないので、仕方なしに口を閉じる。

 

「掴まれるな! そして恐れるな! 自分のペースを保って、少しづつ相手の体力を削っていくんだ! 今までも接近を挑んで、首相撲で潰されて転がされた奴を俺は沢山見てきた!!」


 留学生のクラスメイト、ボブはちゃんと日本の法律を知っているのだろうか。

 さらりと今までに何度も立会人を経験してきたと口にしているが、いいのだろうか。

 汗かきのようで、手首で額を拭う仕草を見せている。

 お前が首に下げてるマフラータオルを使えよ。


「ボブが首から下げているタオルは何のためにあるんだ?」


 思わず口にする。


「そんなもん決まってるじゃないですか、藤堂君。皆まで言わなければわかりませんか?」

「いや、わかるけどさ」


 まあ、わかる。

 挑戦者が殺されかけた際に投げるギブアップ用だな、アレ。

 ボクシングの試合でよく見る奴だ。

 

「ボブは真面目なボクサーなので、よく立会人に指定されるんですよね。スポーツトレーナーとしての知識も豊富らしいので、たくさんの弟子がいますよ。今回の彼も、入学式からの一年ちょいで良く仕上げてきたと思います」


 拍手してあげても良いです。

 ぱちぱちぱち、と桐原が気の入らない拍手をした。

 一年も努力するなら、もっと他にやることが彼にはあったんじゃないかと思うのだが。

 一応は全国でも一握りクラスの進学校だよなあ、ウチ。

 本当に頭が良い奴が揃っているのだろうか?

 人の事は言えないことはわかっているが、まあなんとも疑わしい。


「べーちゃん、告白相手ビビってるよ! 今の、もう少しでつかめた! ヒャア!!」


 雲丹亀が、応援なのか野次なのか、よくわからぬ言葉を叫んでいる。

 彼女にとって、目の前の決闘は娯楽でしかないようだ。

 悲しいけれど、俺の周りにはろくな女がいない。


「地面に叩きつけて、国道二号線のシミにしてやりなさい!」


 雲丹亀が、酷い野次を投げている。

 国道二号は、北九州から大阪までを貫く総延長672.3 kmに至る国道である。

 神戸だと、兵庫駅の真ん前を通っているあの道のことだ。

 俺はこのような野次を生まれて初めて聞いたが、彼女が通っていた公立中学校では日常的にこのような会話がされているのだろうか。

 そんな現実逃避をする。

 俺はふと、どうにも現実というものがたまらなくなってしまった。

 こんなことがあるんだなあ。

 本当に酷い話だ。

 そんな、自分の境遇に悲しみを覚える。

 俺はついに弱音を吐いた。


「桐原、帰っていいか?」

「駄目に決まってるでしょう」


 惚れた女に拒否されたので、仕方なく口を閉じる。

 いや、本当に帰りたいんだが。


「まあ、どうせ――もうすぐ終わりますから、我慢してください」


 桐原の薄笑い。

 まあ、コイツが言うならそうなんだろう。

 俺はべーちゃんのローキックで徐々に足の体力ゲージが削られ、仕方なくも接近戦に。

 ――絶望的な首相撲の体勢に入った、哀れな挑戦者の姿を眺める。


「あああああ! 馬鹿馬鹿馬鹿!!」


 ボブもここからどうなるか、経験則にて予想ができているようだ。

 慌ててマフラータオルを投げようとするが、挑戦者の目は拒んでいる。

 彼も判っているのだ。

 ここからは一方的な展開だと。

 それでも、何もせずには終われないと。

 こんな異常な展開だが、俺は彼に少しだけ尊敬の念を抱いた。

 獅子相手にナイフ一本持たずに立ち向かう勇者を、どうして笑えようか。


 「さようなら」


 べーちゃんが、赤熱した頬で動きを止め、静かに言葉を口にした。

 発情をしたようにして、息が荒く乱れている。

 ムエタイの首相撲――タイの言葉で『プラン』の姿勢に入った以上、ここから先は目に見えている。

 誰もが一度は動画で見たことがあるやつだ。

 首相撲で相手の体勢を崩してからの、『おじぎをさせて』からの強烈な膝蹴り。

 チャランボと呼ばれる技術だった。

 肉が潰れ、骨がひしゃげる音。

 鍛えられた肉体をぶち切り、それ以上に鍛え上げられた膝が人体を破壊する破裂音。

 俺はあばら骨が折れる音を、生まれて初めて聞いたのだ。

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