第36話 誤解の原因
通学路は徒歩である。
桐原や雲丹亀は俺の少し先を歩いて、何やら雑談を交わしている。
二人とも、男の一歩後ろを歩くことを主義とする懐古主義の女ではないのだ。
桐原が唐突に振り向いて、世間話を俺に仕掛けた。
「そういえば藤堂君。べーちゃんの飼っている文鳥が、筋トレのやりすぎで入水自殺を試みたようですよ。水浴び用のバードバスに頭を沈めて全く動かなかったそうです。筋肥大が上手くいかないことに悩んでいたのでしょうか」
「単に無理な運動で疲れて、溺れて死にかけてただけだろう。それは」
桐原、そういう微妙に魅力的な話を登校中にしないでくれないか。
すごく気になるだろ。
全てを詳らかに聞けば、登校中に話が終わらない内容だろうに。
昼休みの時間まで気になってしまうではないか。
「べーちゃんによる懸命な心臓マッサージと人工呼吸で、死は免れたようですが。うにちゃんは知っていましたか?」
「きーちゃん、その話題もう古いよ。学校の理事である藤堂さんのお義父さんですら、その話知ってるレベルだよ? あれって本当のことなのかって先日こっそり聞かれたもの」
古いの?
というか、その話題って何処で流行っているんだよ。
皆知っている話なのだろうか。
というか、なんで父さんすら知っている話を俺は知らないんだ?
「あれ、そうなんですか。筋トレには鳥肉が良いから、文鳥なんて全身が鳥肉なので頑張ればスゴク筋肉がつくから応援したいと。べーちゃんってば、まあ死ぬほどよくわかんないことを口にしていまして。それ言ったときは真顔だったんですよ」
「真顔で言ってたの、その発言」
桐原と雲丹亀の会話を横で聞く。
飼育動物を適切に管理していないなら、動物虐待だと思うのだが。
「この間、べーちゃんが住んでるマンションまで行ってペットを見たら、確かに普通よりもムキムキな文鳥でした。想像より二倍くらいデカくて、死ぬほど笑いました」
虐待、とは言い切れない。
文鳥が自主的に筋トレをしているだけならば、法的機関は動いてくれそうになかった。
医者には連れて行った方が良いと思うが、文鳥にだって個体差はあるだろう。
人間だって、もう普通ならやんないだろって理解不能なことをする、わけわかんねえやつはいる。
具体的には眼前の桐原とか。
俺が惚れた女と比較してしまえば、別に文鳥が筋トレしても特に異常だとは言えなかった。
「藤堂君、私に失礼なことを考えませんでしたか?」
「特に何も」
言葉を濁す。
そして、話を逸らすように、同時に尋ねたい話題へと変えた。
「なんで俺は父さんさえ知っている学校の話題を知らないんだろうな?」
「藤堂さんに友達いないからだと思いますよ、それは」
雲丹亀が真顔で、まあそうだろうなという回答を成した。
そうだな、俺は友達いないから、そりゃ学校の話題知らないわ。
「藤堂君、別にスクールカーストが低いわけでもないんだから友達作りましょうよ。私にだってうにちゃんや、べーちゃんという親友がいるんですよ」
桐原が、ヒャア、と小さく鳴きながらに雲丹亀の腰を両手で掴んだ。
その姿には可愛らしいものを感じつつも、鳴き声の意味は分からなかった。
だが、一つだけ反論したいことがある。
「……スクールカーストという意味で言えば俺は限りなく低いだろう」
なるほど、俺は学年2位の成績を誇り、アメフトの選手のような筋骨隆々の体つきをしている。
ウチの進学校どころか、スポーツしか取り柄のない他校のジョック(運動部)でさえ舐めてかかっても潰せるだろう。
だから、何だというのか。
先ほど雲丹亀に指摘されたように、友達が一人もいないスクールカースト上位などいるものか。
「大丈夫! なんとかしておいたよ!!」
雲丹亀が、ぐっ、と親指を立ててグッドサインを示した。
「藤堂さんは先日の行いでスクールカースト最上位に君臨しているから、もう逆らう奴なんて学校に誰もいないよ! 逆らおうなんて考えるのは、べーちゃんぐらいのものですよ!!」
先日の行為?
俺は首を傾げて、意味が分からないと呟く。
何をしたのか思い出せない。
「ああ、ほら。うにちゃんが言いたいのは、あれですよ。先日、私たちが正妻決闘で乱入者であるべーちゃんにボコボコにされて、藤堂君が私たち二人を背負ってタクシーを呼んで、そのまま学校から去ったじゃないですか」
「ああ。それは覚えているが、それがどうした」
雲丹亀が言いたい出来事は理解したが、それがどうかしたのか。
お前ら二人がピクリとも動けないで半殺しの状態だったから、俺が仕方なく家まで運んだんじゃないか。
「藤堂さんは友達いないですから、あのせいで変な噂が流れたことは知らないでしょう?」
「変な噂?」
「私たちが痴情の縺れで藤堂さんに直接暴力を振るわれたとか、誤魔化すためにタクシーで連れていかれたとか。そんなのです」
眉を顰め、渋面を作る。
まあ、そういう噂が起きる可能性はあるだろう。
人の噂など身勝手なもので、下世話であればあるほど盛り上がるものだ。
「……迷惑をかけたか?」
俺個人の名誉はどうでもよいが。
桐原と雲丹亀が困ったということであれば、少しだけ気にした。
「いえ。まあ、私たちが気にしたのは藤堂さんの事なんです。私たちは藤堂さんが悪くないと知っているのに、身勝手な噂を流されて、それが耳にでも入っては不快になると考えてですね。ちゃんと噂を訂正しようとしたんですよ」
別に俺の評判は気にしていないのだと。
そう口にして、雲丹亀を困らせまいとするが。
「私こと雲丹亀は藤堂さんの名誉を考えました。どうにか繕えないものかと。ですが、藤堂さんが入学当時からとんでもないクズなのは学校の皆が知っています。これでは、噂を修正するにも難しいものがあり――」
雲丹亀は、とても残念そうな顔で呟いた。
俺そこまでクズだったっけ、と疑問に思いながらも耳を傾ける。
「いつの間にやら、藤堂さんが私たち二人との交際を賭けた決闘で勝利をして、通学路途中に都合よくある高級ラブホテル『新世界秩序(ニュー・ワールド・オーダー)』で私たちを一晩かけて性的に凌辱したことになっていました。残念ですが、このことは学校の理事であるお義父様にも耳が入っていることと思います」
待てや。
色々言いたいことがある。
父さんが何か俺に話しかけたいことがあるけれど、不審な動きをとって止めるとか。
母さんにまで噂が伝わっているせいで、今日の朝食のように俺がゴミクズ扱いされることになった原因の疑いがあるとか。
育ててくれた母親に「死ねばいいのに」とはっきり口にされた原因であるとか。
とても気になる点はあるが。
「何処が訂正されているんだ? 悪化してるじゃないか。お前は何の努力をした、雲丹亀」
俺は雲丹亀のスクールネクタイを掴んで、首を絞めるように引っ張った。
「本当のことなの? とクラスメイトに聞かれたりしましたので」
「それで、どうした?」
「藤堂さんの名誉を考えてですね。全然違うよと。それは真実と違うよと」
雲丹亀は苦しそうにしながらも、ハッキリと叫んだ。
「藤堂さんが無理やり私たちを手籠めにしたんじゃなくて! 恋愛という舞台の決闘で敗北した以上、私たち二人が藤堂さんと同時に付き合うことになったのは仕方のない事だよと!!」
なるほど、嘘は言っていない。
雲丹亀の視点では何一つ嘘は言っていないのだろうが。
桐原に視線をやる。
「まあ、噂というものは怖いものでして。私も連れていかれるならば手近な『新世界秩序(ニュー・ワールド・オーダー)』ではなく、もっと高級なラブホテル『フロム・ダスク・ティル・ドーン(夕方から明け方まで)』の方が良かったなあと口にしたんですよ。抵抗として」
それが何の抵抗になったというのだろうか。
少なくとも、俺が現状を把握する限りでは何の抵抗にもなっていない。
ていうか、もう桐原が自分に有利な状況ならば、何一つ嘘を訂正しない性格なのは嫌というほど理解している。
やりやがったな、コイツら!
俺の評判も名誉も、何もかも無茶苦茶にしやがった!!
「藤堂君、うにちゃんのネクタイから手を放してやってください。べーちゃんの文鳥のように死にかけています。呼吸困難です」
雲丹亀のネクタイから手を緩め、叫んだ。
俺は女の子に暴力を振るえない。
だが、それでも言わせてくれ。
「つまり、何か!? 俺はアメリカの模範的ジョックのように、自分の暴力任せにクラスメイトの女をそこらのモーテルに無理やり連れ込んで、性的に酷いことをしたと? そうに間違いないと、両親にも誤解されているから今朝のように罵倒されたと!?」
「相変わらず藤堂君はひっでえ偏見抱いているなあとは思いますが、そういうわけです。まさに藤堂君が考えるアメリカのジョックです。スクールカースト最上位ですよ。これで友達もできますよ」
友達なんか出来ねえよ!
「これで友達が一杯できますよ! 誰もが藤堂さんに従いますよ!!」
そう言ってのける雲丹亀は、本気の目であった。
もう一度言うが、俺は女の子に暴力を振るえない。
生涯することはないだろうし、出来ないことを口にするのは変かもしれないが。
それでも言わせてくれ。
「殴ったろかお前」
雲丹亀は、きょとんとした顔で。
俺の目を見つめながらに、ヒャア、と小さく鳴いた。
鳴き声の意味はわからなかった。
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