第35話 朝食の時間


 朝食の時間である。

 食卓を挟む形にて、両親がいつものように座って俺を見ている。

 いつもと違う点としては、俺の両脇にクラスメイト二人がいることだろう。

 目がぱっちりとした目ざめ抜群の桐原が特に意味もなく俺の背中をばしばしと叩き、いまだに眠たそうな雲丹亀がいただきますと声を上げている。

 俺の食事だけサラダにはドレッシングがかけられておらず、プチトマトも入っていない。

 好き嫌いが激しいためだ。

 その代わりとして俺専用に提供されている、ソーセージと目玉焼きが乗った丼ぶりに醤油をかける。


「破蜂。それは桐原さんが貴方のために作ったのだから、お米一粒残さず食べるように」


 母から余計な一言が入る。

 桐原のことを、両親が気に入っていること自体は別に良いのだ。

 俺は彼女の頭の良さや、俺よりも父から認められていることへの嫉妬などは、もう克服していた。

 問題は、俺が桐原に対して性的に酷いことをしているに違いないという、両親側にとっては確信に至った偏見である。

 俺はたしかに問題のある人間であるが、女性への暴力を働いたことは人生で一度もないのだが。

 どうしてか、本当にどうしてか、両親は俺のことをとんでもないクズだと思っていた。

 性的な面において、とんでもないセックスモンスターだと看做していた。

 不思議である。

 何度も否定し、そう看做した理由を聞いたことはあるが、まあ両親は耳を貸そうとしなかった。

 もう一度聞いてみようか。


「……」


 いや、言ったところで詮無いか。

 たぶん、何を言ったところで聞いてはくれぬ。

 ただ黙って箸を動かして、丼の中身を食していく。

 丼ぶり一杯では全然足らないので、ゆで卵やおにぎりも腹に入れておかねば。

 食卓中央に手を伸ばそうとして。


「ところで破蜂。お前が銭子ちゃん、そして晴子ちゃんの両方と交際することになった件だが」


 父から、世間話のようにして、聞かれたくもない事を口に出される。

 確かに俺は、桐原と雲丹亀、二人の美少女と付き合うことになった。

 なったが、そこに俺の意志は介在していない。

 俺はそんな不誠実なことは嫌だといったが、抵抗するなんて我が儘は俺ごときに許されるべきではないと。

 黙って私たち二人の尻に腰を振っていればいいのだという、俺の意見なんてものは聞く価値がないと断言されて。

 それこそ、断れば令和の時代にそぐわぬ人権差別主義者のレッテルを張られそうになったがために、もうなんだか仕方なくも付き合うことになったのだ。

 もう一度言おう。

 俺は別に現状を望んでいない。


「その、なんだ。こんな時代だ。別に、女の子の二人や三人と同時に付き合うこと自体は構わないと考えている。あくまでも男として責任をとれるのならばという前提があっての話だが、まあ世の中の雑事は金さえあれば大体が片付くことでしかない以上、将来への懸念という意味では、あまり反対意見も言うつもりはない」


 我が父は、あまり反対する気もないようであった。

 そもそもが、世の中の社会制度や善悪を全く信用しておらず、どうせ悪い事をするならば徹底してやるようにしなさいと俺に対して口にすることが多々あった。

 そんな父が、母のみと結婚して愛人も作らず、知る限りの子供といえば俺一人しかいないことは不思議に思うのだが。


「だが、まあ、なんだ。私が父として言うべきことは、少なくとも自分の子供を産んでもらうつもりであるならば、相手の女性には優しくしなさいということなんだ。相手はお前の性欲の玩具ではないことを理解してほしいんだ」


 なるほど。

 父の言いたいことはわかったが、アンタも理解してないだろう。

 俺は桐原や雲丹亀のことを性欲の玩具だとは思っていないし、したこともないし、むしろ寝ている間に性欲の玩具にされている可能性があったのは俺の方なのだ。

 股間に妙な違和感があるのだ。

 行為の跡がない事だけが、安心材料であった。


「なんだ、古臭いと思われるかもしれないが。子を産めるという男には決してできぬ神聖な役割に対して、女性には敬意をもって接すべきだと私は考えている。相手の好意を利用して、その身体を踏みにじるような行為は決して成してはならないと考えている」


 父の戯言を聞き流す。

 では、お前が桐原に対して、金銭的援助を約束する代わりに俺との交際を強要しているのはどういうわけなんだ。

 それこそ、女性の尊厳を踏みにじる行為ではないのか。

 そうやって声を荒らげたところで、父が聞くわけもないことはわかっている。

 だから、無視をしようとして。


「だから、晴子ちゃんに対して朝っぱらから猛然と襲い掛かるのは止めなさい。隣室にまで、晴子ちゃんの抵抗する声が聞こえていたぞ」


 このタワマンの壁、防音性に欠陥があるのではないかと眉を顰める。

 雲丹亀が寝ぼけていただけだと、明瞭に反論をしようと少し悩んだが、まあ聞いてくれないだろう。


「どうせお前のことだ。声を荒らげて『このメスブタ! 菊の門にブチこんでやる!!』なんて卑猥な蔑みの声を投げかけていたんだろうが……そういうことは彼女に対してやってはいけないことなんだ。わかるか」


 俺の反抗的な視線をガン無視して、父は本当に悲しそうに、物を諭すようにして告げた。

 このオッサン、どうすれば俺の話を聞いてくれる気になるのだろうか。

 時々、本当にどうしようもなく下世話にわかりやすい表現を口にするのは何故だろうか。

 一度殺してやりたい。


「藤堂君ってば。私がお義母さまの料理を手伝っている間に、そんな楽しい事をしていたんですか。なんで私がいるときにやってくれないんです」


 桐原は何もかもわかっている癖に、俺の父の味方をしていた。

 こういう時に、何一つフォローをしてくれないのが彼女だった。

 母などは俺のことを、とんでもないセックスモンスターとして蔑んだ目で見ている。


「死ねばいいのに」


 俺が父に対して口にしたい言葉を、母は俺に対して口にしている。

 心が激しく傷ついた。

 両親の中で俺が斯様な化け物になっている、理由が知りたかった。


「……」


 雲丹亀といえば、こてんと首を横に対し、本当に不思議そうな顔をしている。

 そうだよな。

 お前は完全に寝ぼけていたから何も覚えていないわ。

 フォローを期待しても無意味だった。


「え、藤堂さん。ひょっとして、寝ぼけてる私に対してとんでもない事しようとしてたんですか! そんな性的倒錯にあふれた特殊プレイを!?」


 夢の中で、俺に変な特殊プレイをさせていたのはお前だ。

 とんでもない事を仕掛けたのもお前だ。

 寝袋の中、裸で待ち受けてファスナーを開けさせようとしたのはお前なんだ、雲丹亀。

 そう口にしようとしたが、無意味だった。

 それこそ寝袋から女性の裸体が登場するという羽化シチュエーションにどうしようもなく興奮するという、ギリギリ限界の特殊性癖に俺が目覚めたのだと決めつけられて終わりだろう。

 俺の両親などは、はなから俺のことをそういう奴だと決めつけているのだ。


「みんな死んでしまえばいいのに」


 俺はポツリとそれだけ呟いて、ゆで卵の殻を剝くという行為に執着することにした。

 ……少しだけ、ゆで卵を剥く際に、寝袋に詰まっていただろう裸の雲丹亀を思い浮かべる。

 いや、クラスメイトの美少女が、裸で自分の寝袋に詰まっている状態に、自分の手にファスナーが握られている状況に興奮しなかったのかと言われれば、誰の目にも嘘になるが、別に俺がやったことじゃないし。

 どこかよそよそしい気持ちになり、俺にそんな特殊性癖はないのだと、ないはずだと自分に言い聞かせる。

 割と本気で面白くなさそうな顔をしている桐原が、背中をばんと叩いてきて、それだけで俺の冤罪に対する糾弾は終わりのようだった。

 早く学校に行こう。

 そうすれば、気分は晴れるはずだった。

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