第30話 雲丹亀と桐原1


「俺が悪いのは理解しているが、俺が行ったところでどうなるもんでもないだろうに」


 そのように愚痴る。

 愚痴りつつも、べーちゃんが何はともあれ早く行けと言うのだ。

 男として責任をとって来るのだと。

 飴玉をあげるから、と関西のおばちゃんのように飴玉をくれたので、それを舐めながら歩いている。

 飴玉の中身は二層構造で、噛み砕くと中にガムが入っていた。

 おそらく、べーちゃんが普段から桐原に与えている菓子なのだろう。

 味を楽しんだ後に、咀嚼して呑みこむ。

 はて、何処にいるのかと考えるが、まあおそらくは屋上だろう。

 以前に雲丹亀が泣いている姿を見たことがあり、その時は屋上だった。


「責任なあ」


 前から、俺とて色々と考えてはいるのだ。

 俺が原因であり、全てにおける責任があるという認識はあるのだ。

 だからこそ、何らかの結末を導き出さなければならないのは判る。

 モラトリアム(猶予時間)はまだあると考えていたのだが。

 このまま、桐原と高校生活を一緒に過ごせればよいと。

 何もかもを見ないふりをして、きっと一生を過ごすことは出来ないだろうが、高校時代はそれでもよいと思っていたが。

 それすら贅沢なのだろうな。

 俺は桐原をずっと拒んでいるが、いつか自分の感情が暴走することも理解している。

 何もかもが我慢できなくなって、桐原という女の子に対して酷いことをしたり、突然暴言を浴びせたりしないかと危惧している。

 その暴走を未だに我慢し続けられる理由など、一つしかなかった。

 もしかして、ひょっとしたら、何かの悪戯が起きて。

 桐原が本当の意味で俺の事を好きになってくれるんじゃないかと、心の何処かでずっと期待しているのだろう。

 誰かにこれがバレれば、あまりにも卑屈だと嘲笑われるような恋愛感情だった。


「……」


 桐原を諦める方法については、ずっと考えている。

 元々は俺が悪いのだから、要するに父が桐原との間に結んだ契約が不履行になればよいのだ。

 俺の側に問題があればよい。

 例えば、俺に好きな人が出来たと嘘をつく。

 勇気を出して父に反抗して、暴力を振るってもいいし、父から与えられている金を使って家出しても良かった。

 保護者がおらずとも、ホテルなどを長期利用して暮らすなどはできる。

 最悪、もうこの高校に通わずとも良かった。

 成人まで何処かに身を潜めて逃げ切って、それからまた人生を歩み直せばよい。

 桐原のことを本当に考えるならば、それくらいは責任をとるべきなのだと思う。

 何なら、そもそも父に生活援助などをさせず、俺が直接桐原に金を渡して契約破棄を告げても良かった。

 契約の履行を望む桐原のプライドを傷つけるかもしれないが、一時的な事だ。

 理屈の上では、悪くない解決方法だと理解している。

 だが俺は、未だに父に強烈に反抗することも、桐原のプライドを傷つけることも怖かった。

 あの二人に嫌われることは、本当に怖いことだった。

 だから言い訳を続けている。

 そんな懊悩を続けている。

 ふと、少しだけ思いついたのだが。


「雲丹亀と付き合うのならば、桐原は諦めるのだろうか」


 少なくとも、桐原は雲丹亀との関係改善を望んでいるのだ。

 これは嘘ではない。

 雲丹亀に裏切ったことを罵られた際、彼女は本当に申し訳なさそうな顔をしていた。

 もし桐原の親友である雲丹亀と付き合うこととなったと告げたならば。

 桐原は笑顔で賛成をしてくれて、俺との交際を諦めるのではないか。

 

「駄目だな」


 桐原は喜ぶかもしれないが、俺が雲丹亀の事をあまり知らない。

 屋上で彼女が泣いているときなどに心配をして、少し相談にのったことがあるくらいで、大したことをした覚えはない。

 利己主義の塊であった俺が、桐原に蒙を啓かれることで、人生で初めて利他的に動いたのが彼女だったという記憶はある。

 だが、それだけといえばそれだけだった。

 俺を好いてくれるというならばそりゃあ嬉しいが、おそらくは付き合っていく過程で俺に失望するのが目に見えている。

 多分、俺を愛してくれるまでには至らないだろう。

 破綻が見えていることで、まして彼女からの好意を俺の都合に利用して良いわけがない。

 それでは、桐原に抱きしめられる前の俺に逆戻りだった。

 俺はあの時、図書館の個人自習室で桐原に抱きしめられた温もりを、ずっと覚えているのだ。


「恋愛とはもっと純粋な物だろう」


 少なくとも、父に命じられて桐原を傷つけたり。

 雲丹亀の好意を利用して、俺の利得に利用するなどを許していいはずがないのだ。

 もっと恋愛は美しくて尊いものだ。

 この藤堂はそう考えて今を生きているのだ。

 屋上に辿り着き、ドアを開ける。

 さて、桐原と雲丹亀に何をしてあげることができようか。

 不安になりつつも、ともあれ二人の様子を窺おうとして。


「ウォオオオオオオ! 死ね、うにちゃん! 私の純愛ロードを邪魔する人間は蹴られて死ね! 馬に任せる気など無く、私の足でだ!!」

 

 思いっきり、桐原が回し蹴りを放っていた。

 雲丹亀は辛うじて右手の肘でガードして、叫び声をあげている。

 慣れた捌き方であった。

 空手の経験者であろうか?

 

「きーちゃんの攻撃は見飽きてんだよ! 死ぬのはお前――」

 

 だが、桐原もただ者ではない。 

 すぐさまに蹴り足を抜き、それを軸点として後ろ回し蹴りを放つ。


「こっちは藤堂君を蹴り慣れているんです! 今までの私と思うな!!」


 うん、よく蹴り入れてくるよな桐原。

 俺はサンドバッグじゃないんだぞと何回も言っているんだが、まるで聞き分けのない子供のように暴力を俺に振るうのだ。

 人を叩いたり殴ったりしてはいけないと、ちゃんと母親から教育を受けなかったのだろうか。

 俺の思考を無視するようにして、顔面に蹴りが突き刺さった雲丹亀が崩れ落ちる。


「――ィ!」


 ぱっと、雲丹亀が崩れ落ちる瞬間に周囲を一瞬何か探したように見えた。

 すぐに舌打ちするが。

 アレはおそらく、何か武器が地面に転がっていないかを探したのだ。

 そこに砂があれば掴んで目潰しに投げつけたし、そこに石があれば拳で握って桐原を殴ったであろう。

 包丁があれば、笑顔で桐原を刺したのかもしれない。

 そんな凄まじい形相をしていた。

 完全に目はガンギマっており、鉄砲玉のヤクザみたいな眼孔をしていた。

 ここが何もない屋上で本当によかった。


「ウォォォオオ! ヒャア!!」

「ウォォォオオ! ヒャア!!」


 よかった探しをしている場合ではない状況だ。

 桐原と雲丹亀は蛮族のような声を上げ、暴力を心の底から楽しんでいる様子である。

 相手を殴ることに良心的呵責など欠片もなく、むしろ自分が暴力を振るうことで私の望みを達成できるのだから、敵は潔くくたばるべきなのだと。

 そのような事を両者納得済みの決闘であるように思えた。

 お前ら親友じゃあなかったのか。

 それとも、お前らにとってはこれが小中の学校生活を通しての日常だったのか。

 公立校はイジメや暴力に満ち溢れていると聞いていたが、ここまで酷いのか。

 怖いな公立。

 何はともあれだ。


「……行きたくないな」


 あの中に割って入りたくはないが。

 まあ、男として割り込むしかなかった。

 二人による暴力の嵐は俺の身体に吸い込まれる形で数分間吹き荒れて、それから止んだ。


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