第31話 雲丹亀と桐原2
手に噛みつかれるのはまあ良い。
顔を指で引っかかれるのも良しとしよう。
芯の入った拳や蹴りが何十回も体に突き刺さってくるのも、許せた。
冷静に考えれば女子高生二人の攻撃など、俺にとっては造作もないのだと。
そう気を抜いた瞬間に強烈な打撃が入り、苦悶の声をあげて俺は倒れている。
「何で股間に強烈な蹴りを入れてるんですか、うにちゃん!!」
「きーちゃんが避けたからに決まってるでしょうが!!」
桐原は俺の腰をさすりながら、戻れ戻れとばかりにぽんぽんと腰を優しく叩いている。
いくら頑丈な体に生まれついた俺でも、相手が女性とはいえ、空手有段者クラスによる急所攻撃だけは強烈なダメージを受けた。
「腕でも足でもへし折っちまうのは別に構いません! ですがねえ、藤堂君の大事なところは私も使うんですよ。今後三十年は付き合っていくことになる、私の大事なパートナーなんですよ!!」
桐原は本当に優しく俺の腰をさすっている。
自分の大切なものが本当にひどい目に遭ったという態度だった。
「そんなの私だって同じよ! 私だって今後三十年は付き合っていく大事なパートナーを蹴っ飛ばすつもりなんてなかったわよ! 本当よ、藤堂さん。信じて!!」
お前らにとってのパートナーとは、俺の事ではなく、俺の股間そのものを意味するのだろうか。
性的不能は離婚事由にすら該当する重大事項であるが、あまりにも酷い発言だった。
「そもそもお前ら、俺が止めに入っているのに意図的に俺に暴力を振るってたよな」
明らかに両者の争いを俺が邪魔しているのではなく、二人がかりで俺に対するツープラトン暴力を加えていた。
素晴らしいコンビネーションであると、褒め称えることさえできた。
その暴力の対象が俺でさえなければ、と前置きがつくが。
俺は立ち上がり、何故俺に暴力を加えたかを問う。
「何故俺はこんな酷い目に?」
二人は答えた。
「うにちゃんが何故藤堂君を好きになったかの詳細を具体的に聞いたら、藤堂君にイラッときてたので」
「きーちゃん側の事情を打ち明けられたら、藤堂さんにイラッときてたので」
今まで何の話し合いをしていたのだろうか。
殴り合いは何のためだったのだろうか。
「……一応尋ねるが、話し合いは終わったのか。その、なんだ。仲直りはしたのか」
まあ、別に俺が殴られたことも、股間を蹴り飛ばされたことさえもだ。
二人が仲直りしたというのならば、別に水に流してもよい。
桐原と雲丹亀は顔を見合わせ、眉を顰めながらに桐原が呟く。
「一応は合意に至りましたよ。私と、うにちゃんは仲直りをしました。藤堂君の奪い合いは止めようという話はちゃんとしましたよ」
納得はしたが、それはそれとして殴り合いの喧嘩はしよう、そんな俺たちが産まれる以前の昭和バトル漫画的な展開だったのだろうか。
桐原ならば、そのようにわけもわからぬことをほざく可能性はあり得た。
彼女は頭がおかしいので、その竹馬の友である雲丹亀も似たようなものだろう。
ならば、まあ納得しようと俺は大きくため息を吐いて。
「二人で藤堂君を共有しようという話になりました。妥協案ということです」
うん?
一瞬、桐原が何を言っているのかなと理解できずに、空気が止まる。
「曜日で分けますか? 時間で分けますか?」
「いや、もうそこは両方一緒でいいんじゃないの。きーちゃん」
そうか、さっぱりわからん。
何言っているんだこいつら。
「え、何を? お前らは何を言いたいんだ?」
「ニブイですねえ。二人とも藤堂君の彼女になってあげると言ってんです」
「そんな簡単な事もわからないのですか」
頭の中が、困惑で埋め尽くされる。
本気で何を言っているのかサッパリわからん。
どんな話し合いを経たら、そんな結論に至るんだ。
「……俺と付き合うんだよな? 恋愛関係になりたいんだよな」
「そうですよ」
「そうですね」
『恋愛は人生の
俺の概念では、二人同時に付き合うなど不誠実の極みそのものだ。
「俺の意見を言わせてもらうなら、そのような不誠実な事は拒否するんだが」
心の底からの恋愛に対する「情熱こそがすべて」は二分割できるようなものではない。
だが、まあ冷静に考えれば桐原に通じるわけもなかった。
「誰が藤堂君の意見なんか聞いたんです。そんなもん聞く気ないですよ。力なき反論に何の価値があるんですか」
桐原は凄いことを言った。
「藤堂さんは黙って私たち二人の尻に腰を振ってればいいんですよ? 何が不満なんですか。え、マジで何が不満なんですか。私たち物凄い美少女ですよ」
雲丹亀も似たようなものだった。
公立学校出身者は生まれ育った環境が酷く、皆がこのように口汚く、気が触れているものなのだろうか。
ずっと私学だったのでわからん。
わからんが、確かな事が一つだけある。
「日本は一夫一妻制だと知っているよな」
もう、それだけはシステムとしてゆるぎがないものだ。
一人の男と一人の女が交際を経て、最終的に結婚することを想定している。
もちろん、それは建前だと俺は知っているのだが。
抵抗として口にする。
「知っています、その時代遅れの建前だけをどうするか雲丹亀と話し合っていたのですよ」
桐原も、その現実は知っていた。
法律なんて建前に過ぎなかった。
この進学校に進んだ人間ならば、誰もが知っていることだ。
「さすがにこの進学校に入ったときは驚きましたよ。実はあの大企業の社長の息子とか、娘であるとか。ちゃんと子供として認知されていて、愛情の下で養育されていて、資産の相続権だってあるのに、両親が表向きには婚姻していない親子関係の結実として生まれた婚外子。そういった人間がクラスメイトに沢山いるなんて」
桐原がちゃんと理解していることを知り、俺は頭を痛める。
そうだ、珍しい話ではないのだ。
愛人の隠し子というわけではなく、不倫して妻に同意を得ずに生まれたわけでもない婚外子がクラスメイトに数人いるのだ。
父親が複数の女性と交際を持ち、子供を産ませ、加えて明確に責任をとっている形で生まれた子供が。
全員が上流階級の出身であり、誰もが不幸な身の上ではないという顔をしているし、事実そうだろう。
誰もが俺なんかと違って、両親に愛された顔をしているのだ。
「この学校に入って、私はカルチャーショックを受けました。うにちゃんもそうでした。あれ、よく考えれば今はそんな時代じゃないのかと。婚外子に対する法律上の差別が平成に撤廃された事実や、多様性に対する国際的な流れだけではありません。そんな差別なんかしたら、法で訴えられてボコボコにされるのが当たり前の時代なんですよ。親が金持ちで愛情をもって育ててくれる事が保証済みなら、もうそれでいい時代なんですよ」
令和はそんな時代なんですよ! と蒙を啓かれたようにして、桐原は叫んでいる。
貧乏人の男と一夫一妻制で結婚するぐらいなら、愛情と金をくれる権力者の男と婚姻関係にない子供を作った方がよほど子供の養育に対して責任を取っている時代ですよ。
母子家庭である自分の出自と比べれば、クラスメイトの方が明らかに恵まれていると、桐原は比較して論拠を示す。
俺はなんとなく嫌な時代だなと思うが、まあ世間的にはどうでもよい。
桐原が言葉を繋ぐ。
「だから藤堂君。私と雲丹亀に対して責任を取ってください。別にいいでしょ、私たち二人でも」
世間がどうかなんてどうでもよくて、俺がそんな事をするのは嫌という事が問題なのだ。
俺の愛情は二分割できるようなものでないという価値観で生まれている。
そもそも俺の家庭は一夫一妻だし。
俺にとっての父親は、母以外の誰も愛さずに、ずっと家にいるものなのだ。
さて、どうしようと悩むが、どうすればよいのだ。
二人の女性と付き合うなんて不誠実とは先に口にしたが、現代環境論により明確に否定されている。
女性側が納得しているのに何が問題だと言われれば終わりだ。
ここで最終的因果による婚外子なんて、出自がマトモじゃないから子供が可哀想などと口にすれば、国際的流行に逆らう明確な人権差別主義者であり、俺の人格がゴミクズだと批判されることとなる。
クラスメイトには蔑視をされるだろうし、下手をして彼等の親にでもばれたら社会的制裁を受けるかもしれない。
桐原と雲丹亀の事が嫌いだから?
それは嘘であり、二人を騙すのは困難だ。
桐原の事は本音を口にすれば愛しているし、雲丹亀の事も別に嫌いじゃない。
というより、俺は俺の事を好きな女が好きだ。
その点で、もう俺の事が好きだと口にする雲丹亀を否定するのは困難だ。
「えーと」
状況の打開策を考える。
俺にとっては「そういうことは人として不道徳の極みであり、女性に対して不誠実なのではないか」という、酷くあやふやな――頭の良い桐原にとっては、旧世代の亡霊の妄言として、即座に論破されそうな価値観を守るために抵抗しようと思うのだが。
「私たち母子家庭育ちである立場ゆえに、そろそろ男を手に入れて母親たちを安堵させてあげないといけません」
「私ときーちゃん、二人の相手をする男です。まあ、藤堂さんならそれに相応しいと私たちも妥協します」
なんとなく、この二人に抵抗するのは困難な気がしているのだ。
正直、桐原の事を愛しているという弱みを握られている状況で何ができるというのか。
唯一抵抗できるのは、桐原が俺の本音を知らないということぐらいだ。
だから、だからだ。
先延ばしだ。
俺は最後まで現実を留保する。
「それじゃあ、なんで二人は殴り合っていたんだ。恋愛に対して妥協できて仲直りしたんだろ?」
話をそらして、モラトリアム(猶予時間)を求めた。
「そう、それですよ。別に子供のことはなんとかなるとして、本妻と妾なら本妻の方がいいんですよ!」
「世間的評価なんてのはどうでもよくて、お互いのどちらかが下というのは気に食わんのです!」
そこら辺の価値観は保守派なのな。
それで?
「お互いに殴り合って、最後まで立っていた方が勝ちという事にしました。藤堂君の本妻決定戦ですよ!!」
「体格で勝り、空手有段者の私に勝てると思わないでよね!」
なんで急に価値観が蛮族になるんだろう、この二人。
育った公立校が駄目なのだろうか。
ひょっとして、校庭に週一で暴走族が殴りこんできたり、窓ガラスがそこら中で割られていたり、コーヒー豆の大きな麻袋に包まれた少年が、複数から棒で殴られてリンチされていたりするのだろうか。
俺の公立学校とはそんなイメージだ。
ピクリとも動かなくなったコーヒー豆の麻袋に、血が滲み出ているとか、そんなの。
「それじゃあ、続けますよ。うにちゃん、勝負が終わった後の蒸し返しは無しですからね!!」
「承知も承知! ずっと、昔から物事を解決するには暴力が一番だって、人類の歴史が定めてきたんだから!!」
俺はため息を吐いた。
争いを止めようかと思ったが、そもそも発言権が俺にはなんとなく存在しないように思えた。
割って入ったら、もう一度どちらかに股間を蹴とばされるのを恐れただけでは、決してない。
「ウォオオオオ! 死ね、うにちゃん! ヒャア!!」
「ウォオオオオ! 死ね、きーちゃん! ヒャア!!」
俺は背後にふと気配を感じて振り返る。
屋上のドアが少しだけ開いており、そこに長身のべーちゃんがいた。
うっとりとした瞳で、美少女二人がお互いに暴力を行使する姿を見つめている。
彼女は人が殴られることも、殴ることも大好きだった。
「まともな奴はいないのかな、この学校」
多分いなかった。
本当に悲しいけれど、俺の事も含めてそうだった。
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