第29話 卑怯と桐原5
自分の計画が失敗であったと認識したのは、うにちゃんが私に相談があると言われた日だ。
三学期の冬、夕暮れが遅い放課後であった。
特別進学コースの教室には誰もおらず、居残り勉強をしたい者なども図書館の個人自習室を利用するのだ。
だから、教室には桐原と雲丹亀という二人の少女。
小学一年生の時からずっと親友だった、きーちゃんと、うにちゃんしか居なかった。
「好きな人が出来たの」
「そうですか」
私は一つの机を置き、向かい合っている。
私の隣席である藤堂君の椅子などを借りて、足を広げて座っている。
うにちゃんは、ミニスカであることを意識しているのか折り目正しく両足を閉じ、両手でグーを作って太腿に置いている。
そこまで人にショーツを見られたくないなら、ロングスカートを穿きなよ、うにちゃん。
しかも今は冬だぞ。
神戸は気候が温暖であまり雪も降らないが、それでも平均気温10度以下でミニスカは狂気の沙汰だった。
だがまあ、それは散々言ってきたことなので、この場で会話すべきではない。
相談に乗ってあげねばならぬ。
「良い男性が見つかりましたか? やっぱりお金持ち?」
そういえば、うにちゃんと恋愛相談をするなんて生まれて初めてではなかろうか。
彼女は、タワマンの最上階に住んでいるレベルの大金持ちの男と結婚するのが夢である。
専業主婦な上に、家事もしない人生を目指していた。
裕福なる男性の経済力で、怠惰なる人生を送ることを目標としていた。
とってもクズなのだ。
私と彼女はとてもクズなので、クズ同士気があった。
彼女と一緒に小中の公立学校に通っている際は、私同様に彼女は何十回も男性から告白を受けていたのだが、まあ表向きは申し訳なさそうに断りつつもだ。
『やれクラスメイトで一番サッカーが上手いだの、部活のエース程度の男が私に惚れ込んで口説こうとするのよ。どうして? ちゃんと自分のスペックを鑑みたことがあるの? 私やきーちゃんと同じ進学校に行くスペックもないのに? 身分の釣り合いを知れクズども。精神的に向上心のない者は馬鹿だ』と私に愚痴っていた。
私も全く同じことを考えていたので、まあそういう意味でも気が合った。
そんなうにちゃんの惚れた相手である。
かなりハイスペックの持ち主であろう。
「そりゃあお金持ちだよ。私が夢描いたスペックの持ち主の、超お金持ち。でも、きーちゃんの今考えているような怠惰な理由じゃあないよ。せっかく私も進学校に進んで学歴は積んだわけだし、彼が兼業主婦を希望するようなら働いてもいいんだ。もちろん専業主婦を望まれたなら、キチンと家事だってするよ。だって、私の作ったご飯を食べて、美味しいって言って欲しいもの」
うにちゃんは両手を組み、頬に当てた。
そうして、くねくねと何か快楽を受けたように身をよじらせる。
はあ、そうですか。
ここでうにちゃんは、自分の怠惰な夢を捨てて、愛に生きる道を選択するのか。
いや、判らないでもないのだ。
私も惚れた男が出来て、初めて理解した事なのではあるが。
藤堂君に何か自分が作った飯を食べさせて、咀嚼する姿を眺めて、もし彼が喜んだらと思えば背筋にゾクゾクとしたものが走るのだ。
彼の大きな体の血肉そのものを、私が作った料理で維持できることを想像すると、実に快楽だった。
藤堂君の衣服は、私が洗濯したいと思っている。
彼の身繕いなどを全て任されて、猿山のメス猿がパートナーのノミ取りをするような仕草をしてやりたかった。
私の手助け無しでは、もう身繕いすらできぬまでに落としてやりたい。
彼の首をいつでも絞め殺せそうな姿勢で、ネクタイを結んでやりたかった。
私は彼にダメ人間から真人間に生まれ変わることを強いるが、私の前では完全に弱さを見せる者であって欲しい。
私に私生活の全てを委ねて欲しい。
認めよう。
桐原銭子は、完全に藤堂破蜂の心を支配したかった。
胃袋を掴むなんて言葉があるが、私は彼の心臓を握りたかった。
「わかりますよ、うにちゃん」
うんうんと、頷いてやる。
恋愛は人の心を摩訶不思議にするのだ。
「わかるって、きーちゃんも好きな人できたの?」
「自分でも意外な事に」
正直に答えてやる。
うにちゃんになら、教えても良いかもしれないな。
私の一番の親友であるのだから。
だが、今しているのはきーちゃんからの恋愛相談であるのだ。
私の話題など、その後で良かった。
「さて、本格的な相談にうつりましょうか。うにちゃんが好きになった人とは?」
水を向けてやる。
彼女は少しだけ躊躇ったあと、えいや、とばかりに口を開いた。
「きーちゃんが今座っている椅子の持ち主。藤堂破蜂さん」
一瞬、思考回路が停止する。
ここで私の心に最初に巻き起こったのは怒りでも憎しみでもなく、何故という不思議であった。
なんで藤堂君がそこで出てくるのだ。
「アイツ、クズですよ。うにちゃんも嫌いだと以前に言ってたじゃないですか」
「言ったよ。何回も言った覚えがある。でも人の印象って変わるじゃん」
藤堂さんは変わったよ。
いや、元々、多分根っこのところでは悪い人ではなかったんだろうね。
うにちゃんは語りだした。
「まあ最初は酷いものだと思うよ。私が可愛いミニスカを履いてるのに、どうしようもない淫売がクラスにいるみたいな目で私を見下してるんだから。人をそうやって蔑んでくる偏屈なクズを好きになるわけないじゃん」
その通りだ。
誰に対しても、万事その調子であるのだから、私は彼を好きになる女など現れないと思っていた。
「でもさあ。二学期が終わってから、本当に他の人に優しくなったんだよ。なんだろう、社会性が向上したというか。少なくとも、あからさまに人を小馬鹿にするような偏屈ではもうないよ」
心で舌打ちする。
ああ、そうだ。
判っていたじゃないか、うにちゃんは小中通して私の一番の親友であり。
あのクソどもの泥濘から、唯一知能レベルにおいて私と釣り合いがとれると判断した人物だった。
藤堂君が成長したというのならば、先入観に囚われずにそれを見抜くだろう。
「あのね。きーちゃんは知らないだろうけど、私が困っているときに、ビックリするような事を藤堂君はしてくれたの。それも何の下心もなしに、私を助けてくれたの。君が困っているようだから、それを助けてあげただけだ。人はそうするものだと俺は先日学んだんだって」
舌打ちを心で繰り返す。
糞が、糞が、糞が。
この怒りはうにちゃんに対するものではなく、私の甘い見積もりに対する怒りだった。
私は馬鹿だ。
「なんで急にあんなに優しくなったのかな。他人が困っていても平気で見捨てるような人だとずっと思ってたよ。それとも、やっぱり元々悪い人じゃなかったのかな」
元々、藤堂君は私が惚れたほどの男であり、そして私の話を聞いて、それを純朴に守ってしまうような幼稚な精神面も持っている。
うにちゃんが藤堂君に何をしてもらったのかはわからないが、ああ、そうだよ。
藤堂君は日々少しずつ、少しずつ優しくなっている。
私が彼に御節介をするたびに、少しずつ何かが孵化するような成長を感じている。
有精卵から、雛鳥が孵化するような高揚感を抱くことがある。
嗚呼、うにちゃん、うにちゃん。
藤堂君は悪人ではなかったけれど、決して善人でもなかったよ。
仮に藤堂君が貴女に優しくしたとするならば、それは私が育てた善性なんだよ。
アレは私が惚れて、私の為に育てている男なんだよ。
「わからないけど、そんなことどうでもいい。私は藤堂さんが好きになったよ。ちょっと癖のある人だけど、恋愛は惚れた方が負けだっていうしね」
アレは私のものだ。
口から言葉がはみ出しそうになるが、歯を食いしばって無理やりに止める。
「明日、藤堂さんに告白しようと思うんだ」
うにちゃんが、藤堂君に告白したところで彼が受けるかどうかはわからない。
だが、失敗するだろうとは言い切れない。
自分の頭の血肉が、沸騰するように回転しているのが理解できた。
どうすればよい。
人が育てている男を、横から掻っ攫おうとしているうにちゃんから、この雲丹亀から守るためにはどうしたらいい。
自分の一番の親友に先んじて、藤堂君を手に入れるにはどうしたらいい。
どんな汚いことをしてでも、私はそうしなければならない!
だが私が告白しても、藤堂君はまだ私を拒否することを理解している。
藤堂君が私との恋愛関係を拒否できぬ方法をすぐに見つけなければ!
考えて。
考えて。
私の脳裏に浮かんだ方法は、たった一つだけ。
どう考えても、たった一つだけだった。
強烈な能力至上主義者であり、藤堂君をまだしばらくは精神的支配下に置いている存在。
桐原銭子をこの上なく認めている人間。
藤堂君の父親である理事に有能である私を売り込み、藤堂君に私との恋愛関係を強要させることだった。
私は卑怯な事をした。
一番の親友を手酷く裏切り、そして惚れた男も騙すことにしたのだ。
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