第19話 取説と桐原3



 神戸という日本六大都市にして、貧民と超富裕層が雑多な街角で行き交うカオスな都市。

 そこにコスモスのような桐原銭子という少女が産まれました。

 生まれてすぐに七歩歩き、その足跡には蓮の花が七つ咲いたと伝えられています。

 この七歩歩まれたというのは、生死の六道を乗り越える意思を表すと言われています。

 そして桐原銭子はそのとき、右手で天上を指し、次のように言いました。

 『焼き肉食いてえ。動物の命を口にしたい』

 この言葉の意味は、畜生を殺して肉を焼いて食べると、とても美味しいという意味です。

 桐原銭子はお肉大好き人間であり、ベジタリアンではありませんでした。

 肉食を禁じられた宗派の仏教徒には死んでもならないと口にしたのです。


「いきなり酷いな」


 俺は素直に呟いた。

 仏陀の生誕エピソードをパクってんじゃねえよ。

 そう吐き捨てて、桐原の頭にチョップをする。

 その反抗として、ぺしぺし、と桐原が俺の腹斜筋を無意味に叩きながら喋る。


 「真面目に話すと、まあどうということもない生まれなんですよ。ごく普通に愛し合った両親から産まれましたが、よそ様との違いは母が超美人であったことと。生まれる前に父が死に、母子家庭になってしまったことでしょうか」


 桐原がどうということでもないという風に語る。

 彼女の家庭は母子家庭であり、貧乏市営団地に住んでいる。

 一言で言えば貧困家庭の出自であった。


 「どこにでもある不幸話でありまして、まあ私を見ての通りで母は超美人でありましたから邪な目で見られることも多く。母一人子一人の不幸に付け込んで、よからぬ事を企む親族などに頼ることも出来ません。その環境で生活に追われながらも私を育ててくれました」


 ちなみに母はその経緯があったせいか、無茶苦茶気が強いです。

 そのように桐原が呟く。

 お会いしたことはないが、まあ桐原を見れば無茶苦茶美人だろうなというのは判るし、父が援助を申し出るために会った際には彼女を気に入ったなどと母に漏らしていた。

 おそらくは強かな性格であろう。

 父からの生活援助の申し出も、拒むことなく受け入れたと聞く。


 「母はちゃんと働きに出ておりましたが、残念ながら縁故が断たれ就職の伝手もなく、専門的な技能を有しているわけでもないために低収入で貧困でありました。それゆえに私の教育に力を注ぎました。良い学校に行き、知識を蓄えて、社会を逞しく生きていきなさいと何度も言われたことを幼心に覚えております」


 そして桐原はその教えを実直に実践したということだ。

 ウチの親父が好きそうなエピソードである。


 「まあ就学援助などを得つつ、通った地元の公立小学生時代は実に貧困であり、側溝で繁殖しているアメリカザリガニを見ては食えねえかな、これと思う日々でありました。小学生では親友などもそこそこ出来て楽しい日々を――ああ、藤堂君があまり好きではないミニスカートの彼女も同じ公立小学校・中学校の出身ですよ。知ってましたか?」

 「いや、知らん」


 やべえな、桐原の前で「なんだあのミニスカートの淫売。よくウチの学校に入れたな。それも特別進学コースに」とか割と口にしているわ俺。

 桐原の小学校時代からの友人を、今まで思いきり侮辱していた。

 クズ以外の何物でもないな俺。

 桐原お前、最近なんかはホントそうですねとほざいて、俺の横でうんうん頷いていたのはどういうつもりなんだ。

 高校一年生の時は、ミニスカを侮辱するとあれだけ怒っていたくせに。


 「まあ『金持ちの男と結婚したい! 金持ちの男探すためにきーちゃんと同じ学校に勉強していく!』とか声高に叫んで進学校目指したアホですが、一念岩をも徹すの覚悟にてちゃんと進学したんだから凄いものです。良い男を探すなら、貞淑さを装ってちゃんとロングスカートを穿きなよ。男は遊びの相手ならミニスカートの女を選ぶけど、真剣に交際するならロングスカートの女を選ぶんだよと何度も言ってあげたんですが」


 子供の頃はきーちゃんて呼ばれていたのか、桐原。

 特にいらない知識を覚えつつある。

  

 「ミニスカ可愛いじゃん、可愛くね、この可愛さが理解できない男とは付き合いたくないねとほざくばかりで聞きませんね。せっかく一緒の特別進学コースに入れたのに、あの変なケバい化粧とミニスカで誤解されていることに――その、何というか、夏目漱石の「こころ」的な。どうしても避けられない致命的な決裂があったというか、まあ色々あったせいで、殴り合いの喧嘩をしました。そのせいで最近は話す機会もありませんが。ああ、でも」


 ぽつ、と桐原が思い出したように呟いた。


 「私がその考え方自体は悪くないなと思ったのは、藤堂君の隣で今歩いているのは。彼女の思想に影響を受けたのかもしれませんね。金持ちの男との結婚は、女性にとって幸福といえるのかもしれません」


 やっぱり傍迷惑だな、あのミニスカ女。

 そんなことを口にしたせいで、桐原が俺の隣に歩いているのだ。

 全部、何もかもそれが原因というわけではないのだが。

 少なくとも、桐原が応じさえしなければ、彼女が俺の横に歩いていることはなかった。


 「生い立ちと言っても、簡易に語るとこんな感じですね。高校での詳細も聞きます? 高校で出会ったべーちゃんと親友であることは藤堂君も知っておりますし、進学コースは卒業までクラスメイト変更ありませんから、特別口にするところもないと思うのですが」

 「いい。必要ないよ」


 俺の目的は、先程の言葉で達成された。

 桐原が、俺の横に歩いていることを悪くないと考えている原点オリジンはどこにあるのか。

 それがどうしても知りたかったのだ。

 それさえ知れば、その他に興味などなかったし。


 「知りたいことは全部聞けたよ」


 俺は桐原銭子という少女にこれ以上の興味を持つべきでないとさえ思っているのだ。

 どうか、俺と関係ないところで幸せになって欲しいと考えている。

 友人としては良いかもしれないが、それだけだ。

 

 「……後は何も書いてないな」


 話題を逸らそうとして、『桐原銭子取り扱い説明書』のA4ペーパーをぺらぺらと振り回す。

 どうにも、虚しい気分になってしまった。

 理解していたことだが、ハッキリと言われてしまっては虚しい思いに囚われる。


 「飽きたんです。途中で」

 

 桐原は、薄いA4ペーパー一枚も満足に書ききることをしなかった。

 割と飽き性なのだ、彼女は。

 単純明快な性格で、性格の燃焼が起きる着火点は低いが、逆に消火するスピードも速い。

 俺はそんな桐原の事が嫌いではなかった。

 むしろ、その奇妙な性格を好ましいとさえ思っている。

 女の趣味が悪いと思われるかもしれないが。


 「さーて、お肉が食べたい気分になってきました。いつものように、藤堂君に奢ってもらって、焼き肉チェーン店で食べ放題というのも悪くはないのですが。そうですねえ」


 桐原は、んー、とよく磨かれた爪で俺の脇腹をぷにと刺し。

 良いことを思いついたとばかりに、呟いた。


 「どこかのアウトドアショップかホームセンターによって、七輪買ってくださいよ藤堂君。やっすい奴でいいので。私、一度でいいから炭火焼でお肉が食べたかったんです。一緒に七輪で焼き肉して食べましょうよ」


 桐原が、変な頼みごとをする。

 別に炭火焼の焼き肉が食べたいなら、そういう店に連れて行ってやる。

 そう呟こうとしたが。


 「買ってやるのはいいが、家でやるなよ。一酸化炭素中毒になるぞ」

 

 俺はそれだけ呟いて、桐原に七輪と調理一式を買ってやることにした。

 一緒に小さな七輪で、侘しく肉を焼くのもいいだろう。

 少なくとも、俺の今の心情にはマッチしていた。

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