第18話 取説と桐原2
「どんどん行きましょうよ! 次を読んでください、次を!!」
バンバンと、桐原が俺の尻をぶっ叩いている。
俺は別に尻を叩かれて嫌というわけではないが、美少女に尻を叩かれて喜ぶ変態でもない。
人に見られると恥ずかしいという常識的な感性がある。
暴れる小学生を諫めるようにして、なんとか桐原を落ち着かせる方法を探す。
俺は学生鞄から飴を取り出した。
扁平な輪切りの、真ん中に穴の開いたパイナップル型の飴である。
桐原はこれが好きだと、俺は知っている。
「飴をあげるから落ち着け」
いつも思うのだが、なんで大阪のおばちゃんはエプロンのポケットに飴を入れているイメージがあるのだろうか。
大阪のおばちゃんはむっちゃ飴くれる幻想があるのは何故だろうか。
俺は飴など貰ったことがないのでわからない。
はて、そういえば一度幼いころに父に強請ったことがあるが。
父からは万札を渡されて、これで好きなだけ買いなさいと言われるだけであった。
俺が飴を欲しかった理由は、そういう事ではなかったのだがな。
本当に欲しかったものは、父から飴を買い与えられるという行為そのものだ。
「それどうしたんですか」
「お前が好きだというから買っておいた」
別に、その思い出に感傷があるわけではないが。
桐原に飴を与えてやるというのは悪くないアイデアだと思い、とりあえず買っておいたのだ。
先程は取り扱い説明書の序文に触れたが、桐原は何か食べ物を与えれば不機嫌が治るのだ。
悲しいけれど、それは経験則において理解している。
「……藤堂君。私の好きな物を覚えてくれているんですね」
桐原が、少し頬を綻ばせ、恥ずかしそうに呟いた。
こう横顔を見ると本当に美少女だと思うのだ。
花のように開く唇には、その鈴を転がしたような声には魅了されるものがある。
それはそれとしてだ。
「以前に買わせたよね。俺にコンビニで買わせたよね。これは好きなものだから藤堂君が金払って私にください、買ってくれないと地面に転がって暴れますとかほざいて、しかも実行したよな。あんな真似をされて忘れるわけがないだろうが!」
金の事は別に良い。
なれど無視をして通り過ぎようとした際に、桐原が本気で地面に寝転がって暴れたのは辟易とした。
常識的な感性を持つ俺は、本当に恥ずかしかったんだ。
「私が子供の頃、そこまで駄々をこねても母親は買ってくれませんでした。母子家庭で金がなかったんです」
いや、お前の悲しい思い出は聞いていない。
俺が父親に飴を買ってもらえなかった思い出も、お前が母親に飴を買ってもらえなかった思い出も、高校生になった今では大した価値など無い。
……ないはずだ。
お前の飴ぐらいなら俺が買ってやろう。
「ほら」
俺は飴を袋ごと渡そうとした。
桐原は少し首を傾げた後に、それを無視して口を開いた。
「食べさせてください。あーん」
「自分で食えよ」
そこまでやらなきゃならんのか。
ならんのだろうな。
桐原はそういう少女である。
彼女のそういうところを、俺は嫌いではなかった。
俺は飴袋を開き、その一粒の包装も開けて指でつまむ。
桐原の目の前でちらつかせて、上を向かせてやった。
「ほい」
「ヒャア!」
桐原は可愛らしい舌を伸ばして、俺の落とした飴を受けとった。
舌小さいくせに、妙に細長いなコイツ。
しかも鳴き声の意味は相変わらず分からん。
「……さて」
桐原は沈黙した。
飴玉をしゃぶるのに夢中になっているのである。
静かになったことを確認した俺は、軽くため息をつきながら手元のA4ペーパーを読む。
『桐原銭子取り扱い説明書』の続きである。
「以下、仕様を説明する」
読み上げるが、まあ酷いな。
『所有者である藤堂破蜂と同じ高校の特別進学コース所属。学年一位の成績を誇る16歳美少女。男性経験皆無の処女。桐原銭子の生き様は、色無し恋無し情有り。桐原銭子の魂は、強く激しく温かく。嗚呼、桐原銭子よ金を掴め。その金で焼き肉を食え。焼き肉が食べれると良いな。出来れば上カルビがよいな。奢ってくださいよ藤堂君。肉を奢れ』
うん、仕様でもなんでもないな。
途中からただのポエムみたいな何かであり、最後はただの要求である。
俺は桐原の頬を両手で掴み、横に引っ張る。
「桐原よ。お前、これ途中で考えるの飽きたろ。いや、もうA4ペーパーがたった一枚しかないんだから、一目見た瞬間に理解してたけどさ」
「ヒャア!」
口から扁平の飴玉を覗かせながら、桐原が鳴いた。
だから、お前の鳴き声にはどういう意味があるんだよ。
長くて赤い舌が艶めかしく動いているのが見えて、少し視線をそらす。
「待ってくださいよ、藤堂君。これには訳があるんです」
「どんな訳があると?」
「先ほど、私の取扱注意点は説明しました。じゃあここからは仕様説明だ、私の体の隅々まで教えてやるぜ! と思ったのですが」
思ったのですが、ときたか。
大体話の流れは理解しつつある
「やはり、一から百まで説明するまでもないと。そんなものはもう実地で隅々まで私の肉体仕様を教えてやればよいと。私は考えます。そこでコレです」
桐原は握った拳の人差し指と中指の間から親指を出す、卑猥なジェスチャーをした。
フィグ・サインである。
「今から、何故か私たちの通学路途中に都合よくある高級ラブホテル『新世界秩序(ニュー・ワールド・オーダー)』にシケこむとしましょう。もう私の隅々まで教えてやりますよ! 藤堂君の舌が、私の体を這いずり回るのが今から楽しみですよ!!」
俺は桐原の頬を両手で掴み、横に引っ張った。
桐原の顔はカエルのように頬が引っ張られたにも関わらず、どうしても崩せぬ美しい美少女を保ったままである。
彼女はゲコッというカエルの鳴き声の代わりに、「ヒャア!」と鳴いた。
俺は何故か少しだけ満足してしまい、手を放す。
「お前と寝るつもりはない」
「ヒャア!」
ヒャア! ではない。
俺はため息をついた。
「……それで、裏面にも何か書いてあるようだが」
「それですか、そこからが本番ですよ!!」
取り扱いの注意点は書いてあった。
すでに知っていることだったが。
仕様説明も書いてあった。
俺のクラスメイトで、16歳で、処女で、男性との交際経験がなく、それより何より頭がおかしいことしかわからなかったが。
それでだ。
「次に何が書いてあるんだ?」
「私という乙女の秘密。これまでの人生経歴についてです」
それは少しだけ知りたかった。
桐原がいつから頭がおかしくなったかの経緯は知りたかったので。
俺はA4ペーパーを裏返して、裏面に目を移すことにした。
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