第17話 取説と桐原1


「藤堂君。本日は素敵な貴方に取り扱い説明書を持ってまいりました。お受け取りください」

「何のだよ」


 下校の最中に、いつものように桐原が唐突に奇妙なことを言い出す。

 勿論、取り扱い説明書の意味が分からないわけではない。

 文字通り、製品の取り扱い方や操作方法などについて説明するための書類である。


「私のです」

「いや、お前が持っている物だから当たり前だろうに」


 別に取り扱い説明書の所有者を聞いているわけではない。

 俺が知りたいのは何の商品の取り扱い説明書であるのかだ。

 再度、明瞭に問おうとして。


「藤堂君、違います。文字通り『私の』です。この桐原銭子という魅力的な商品の取り扱い説明書を、消費者である藤堂君に渡そうというのです。今日こそは、私の価値を理解してもらおうと思いまして」

「なるほど」


 俺は首肯した。

 お前は商品ではなく、社会において人格の尊厳が承認された人間である。

 そして俺は『桐原銭子』を貪る消費者になどなるつもりはない。

 どちらもハッキリと否定すべきだと俺は思ったが、それはとうの昔にやっていた。


「どうせ拒絶しても渡してくるんだろう」


 俺が強烈に骨の髄まで拒絶しない限り、否定は無意味だ。

 現に、彼女の告白を拒絶したにも関わらず、桐原はぴたと俺の横で歩いている。

 それこそ殴りでもすれば、桐原とて諦めるのかもしれないが。

 そんなことが俺にできるはずもない。


「これをどうぞ」


 すとん、と何一つ起伏のない胸を反らし、何故か大きく威張りながらに。

 一枚の何の変哲もないA4コピー用紙が渡された。

 プリンタにて印刷されたものではなく、可愛い女の子の文字にて幾つかの箇条書きが書かれている。

 桐原の筆記だった。


「今日は私めが、項目についての詳細も口頭にて説明しましょう。喜んでくれていいです」

「うん」


 桐原は今日も美少女であった。

 身長140 cm、細い体躯をしている。

 小豆色の制服ブレザー、赤のネクタイにチェックロングスカート。

 瞳はとろんとしているように見え、誰か見つめるだけでその男を勘違いさせるように潤んでいる。

 俺は彼女の目と焦点を合わせるのが本気で苦手だった。

 どうしても『本当に桐原は俺の事を好いていてくれるのではないか』と勘違いさせる瞳をしているのだ。

 そのように嘘の魅了をされることは、俺の理性が許さなかった。


「はい、藤堂君。まずは最初の解説文を読み上げてください」


 ぱん、と桐原が俺の尻を叩いた。

 べーちゃんの胸を揉む、俺の尻を叩くと、執拗なボディタッチをする癖が彼女には存在する。

 俺の尻を叩くのは良いが、べーちゃんの胸を揉むのは止めて欲しいものだ。


「この度は当社の商品である『桐原銭子』をお買い上げいただき、誠に有り難うございます。ご使用の前やご利用中に、本書をお読みいただき、正しくお使いください。一点物につき、壊れても保証が効かないためノーリターンノークレームとなっております」


 何を書いているんだろうな、コイツ。

 そういえば、学校の授業内容はもう一年の時に全部覚えたとか抜かしていたから、何か変な物を学校の備品から拝借したコピー用紙に書いていることが多い。

 桐原にとって、飛び級のない日本の学校生活は酷く退屈なものだった。

 俺が視線を向けると、むっふー、と桐原は美少女のくせに鼻息荒く自慢げに頷いている。


「一度受け取った以上は返品が効かないんですよ! そこんとこを判っているんですか、藤堂君!!」

「いや、知らんし」


 俺は『桐原銭子』という商品を受け取った覚えはない。

『使用』した覚えもなかった。

 自分で口にしようとして、下世話な話になってしまうのに眉を顰めながら、次の文章を読み上げる。


「本商品は急に無口で眉を顰め、不機嫌になることがあります。何らかのストレスの時もありますが、大体は単純にお腹が空いているせいです。それ以外に不機嫌になることはあんまりありません。何かご飯を奢ってあげてください。それで九割は解決です」


 赤ん坊かな?

 いや、赤ん坊だって他にちゃんと理由くらいあるわ。

 世界中のお母さんが赤子の意図を読むのに苦労しているのだ。

 なんか不機嫌そうにしてたら飯さえ食わせれば解決。

 単純すぎるだろうに、お前。


「基本的には焼き肉がいいです。安い奴でいいです。カルビが大好きです」

「それは知っている」


 桐原はカルビが好きだった。

 ちなみに桐原は貧困の出身ゆえに、かつてカルビが一番高い牛肉だという奇妙な勘違いをしていたが、日本では何処の部位の肉だろうがカルビを名乗っていいのだ。

 高い希少部位を『上カルビ』だの『特上カルビ』だの名乗っているだけなのだ。

 桐原は和牛カルビ一皿480円を奢るだけで、ご機嫌になるのだ。

 俺はそのような安い女がこの世に存在するなど、桐原と出逢うまで考えたこともなかった。

 和牛とか名乗っているけれど、あんな安い肉は乳牛が食肉に転用されたものだからな。

 食肉用として育てられたものではあるまい。

 そんなに有り難がるものでもないだろうに。


「……」


 なお、今考えたことをしっかりと桐原に述べたところ、グルグル目で「ウォォォォ! 死ね! 死ね! お前の全財産を暴力的に略奪してやる! 私を、私の事をお前は侮辱したんだ! 私の身分を嘲笑ったんだ! 私の尊厳を、藤堂君は鼻で笑ったんだ! 畜生め、恨み晴らさでおくべきか!!」と叫びながら殴りかかってきた。

 なんでコイツの怒ったときの行動って、あんなにワンパターンなんだろうか。

 ちなみにその不機嫌は、ちゃんと焼き肉を奢ったところ治った。

 その後に引きずるようなことはない。

 この取り扱い説明書の記載内容に嘘はない。

 桐原銭子の不機嫌を解決する方法はワンコイン500円より安かった。


「どうして突然黙るんです、藤堂君」

「なんでもない」


 まあ、あんまり怒らせるのも嫌なので二度と口にはせぬ。

 俺はよく桐原を怒らせるが、別に意図してやっているわけではない。

 どうも生まれも育ちも違うゆえに、価値観が噛み合わないのだ。

 桐原を侮蔑などする気は全くないし、俺は普通に彼女を尊敬しているのだが。

 だからこそ、男と女として付き合う気など皆無である。


「桐原、まさかこの取り扱い説明書の記載内容、一言一句を全部詠み上げろというのか」

「そりゃあもう。だって私の取り扱い説明書なんですよ。使用者にはちゃんと理解してもらわないと」


 俺の言葉に、ヒャア、と桐原が小さく鳴いた。

 その鳴き声の意味は、相も変わらずさっぱりと判らなかった。

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