第16話 映画と桐原4


「ウォオオオオオオ!!」


 桐原が雄叫びを上げながら突撃している。

 いつもの制服姿である桐原による、風紀違反を物ともしない猛烈なダッシュである。

 だが、なにぶん身長140 cmにも満たぬ桐原の突撃は力弱く、ぼすんと、ちょうど胸に埋もれる形で止まった。

 桐原の親友たる、べーちゃんの胸の中である。

 彼女は桐原を優しく受け止めて、その背中を優しく撫でた。


「ヒャア!」

「ヒャア」


 桐原が顔を上げて、鳴いた。

 べーちゃんも桐原を見下ろしながらに、いつもの温厚なたぬき目で優しく答えた。

 いつも思うが、あの「ヒャア!」という言葉にはどのような感情や意図が含まれているのだろうか。

 疑問である。

 べーちゃんは優しい女性だから、おそらくは特に意味もなく桐原に返答をしてあげているのだろうが。


「ウォオオオオ! べーちゃん! べーちゃん!!」


 桐原は、その優しいべーちゃんの乳を猛烈に揉みしだいている。

 その小さな掌では覆い隠せぬほどの巨乳を、全力で揉んでいた。

 明らかにセクハラである。

 あれについては真剣に止めてほしいのだが。

 じいと、二人を眺めながらに考える。

 ふと、べーちゃんがこちらを見て呟いた。


「桐原ちゃん、貴女の彼氏である藤堂君が私を視姦している。ちゃんと処理してあげなかったの?」


 してねえよ。

 それは誤解なんだよ、べーちゃん。

 そもそも桐原の彼氏であるという誤解はどこから産まれたのか。


「……」


 桐原は黙った。

 桐原は別に嘘をつこうとする人間ではない。

 基本的には自分や世間に正直であるし、むしろ大義名分のような虚飾など嫌いであった。

 どちらかといえば偽悪的な装いをとる傾向すらある。

 だが、こと俺に関してだけは、自分にとって都合の良いように状況が動いているならば何も呟かぬ。

 下衆な行動さえ平然と取り得た。

 ゆえに、黙る。

 べーちゃんは困ったように首を傾げた後、俺を少し睨んだ。


「桐原ちゃん、私にまかせなさい!」


 べーちゃんが桐原の肩を掴んで背後にやり、ずい、と俺の眼前に出た。

 腕組みをして、自分の乳を上に持ち上げている。

 彼女は特に意識していないのだろうが、ますますべーちゃんのネクタイはオッパイに挟まれて埋もれている。

 あれに顔を挟まれたいと思う男性は数多いだろうな。


「何故、藤堂君は桐原ちゃんに手を出さないの? 告白されたんでしょう?」


 交際深度に関してだけは、桐原は正確に申告しているらしい。

 確かに俺は桐原に手を出したことはない。

 エッチなことをしたこともなければ、せいぜい手にキスをされたことがあるぐらいである。

 何故手を出さないのか。

 理由は色々あり、その、俺という人間が。

 桐原に手を出さない理由は単純なようでいて、複雑だった。

 俺は確かに桐原の容姿については何一つケチをつけることなど出来なかったし、真面目な話をすれば性格だって別に嫌いでは――女の趣味が悪いと言われそうだが。

 やめよう。

 意味のない考えをしてもしかたないではないか。

 俺はすでに桐原からの告白を拒絶している。

 そのままを言ってしまおう。


「俺は桐原の告白を以前拒絶している。恋愛のまねごとをするつもりはない」

「そんな男がいるわけないでしょうに」


 一言で跳ね除けられた。

 いるわけないってなんだよ。


「何をわけのわからないことを言っているんですか? 桐原ちゃんの告白を断る男なんて、此の世にいるわけないでしょう。狂ったんですか?」


 べーちゃんは物凄く真剣に吐き捨てて、俺の言葉など聞いてもくれないのだ。

 いや、理解はする。

 理解はするのだ。

 桐原の告白を断る男なんて普通いるわけないと。


「もう一度桐原ちゃんをよく見てみなさい」


 意味はないのだが、桐原を見る。

 美少女である。

 発達不良で貧乳ではあるが、まごうことなき美少女であった。

 何かの人形のように陶器じみた肌に毛穴などは見えず、妙に蠱惑的な色気と美貌を保つ桐原は、複雑かぎりなき未成の魅惑に溢れている。

 正直言えば、桐原以上の美少女を俺は人生で見たことが無い。

 映画に出てくる世紀の美少女や、一世を風靡する女優ですらも桐原に比べれば寸足らずだった。

 これで頭さえおかしくなければ完璧だったろうに。


「なんで断るんですか?」

「いや、なんでと言われても」


 本当に事情は色々あるのだ。

 それをべーちゃんに口にはできなかった。

 これは俺にとって、秘事すべき事項だった。

 桐原にすら口にはしていないのだ。


「……」


 沈黙し、やりすごす。

 ここでべーちゃんに、あのクソ映画に出てくる怪人のように殴られようが、蹴られようが、何かを漏らす気などなかった。

 べーちゃんは俺の真剣な顔に、困ったような顔で首を傾げた。


「うーん」


 亀のように閉じこもれば、温厚なべーちゃんが何かするわけもないと知っている。

 べーちゃんは困り、視線をうろうろと斜め上に動かした後に。


「あの動画を見てもエッチな雰囲気になれなかったと?」

「なるわけないだろ。テメエは正気か」


 それに関してだけは、なるわけないだろアホとハッキリ言えた。

 あのスナッフフィルムでどうエッチな雰囲気になれと?

 少し考えて、当初の目的を思い出す。


「そもそも、何を目的であんな動画を作ったんだよ」

「まず、映画研究部の部長さんから声をかけられたことに始まるんですが」


 私ことべーちゃんを主人公として映画を撮りたいと部長さんに言われて、とりあえず彼を全力でぶん殴ったことから始まります。

 間違いなくアダルトビデオの勧誘だなと勘違いしたのです。

 これは私にとってはよくある話で、警察に電話をしては未成年者略取の疑いで連行してもらうことなどが多々あるのですが。

 まあ今回に関しては全くの勘違いで、映画研究部の部長さんはただド素人の自主製作映画に出てほしいだけということでありました。

 それはそれで酷い苦痛だな、ド素人の自主製作映画に出ろだなんて罰ゲームなんて言い方では足らず、私の人間的尊厳への汚辱行為だなと思ったのですが。

 まあ、全力でぶん殴った手前で仕方なく出ることとしました。


「そこまでは理解した。で、なんであんな内容に」

「……殴りどころが悪かったのでしょうね。桐原ちゃんに言わせれば、藤堂君に気持ち悪い考察をさせるところの『静から動への暴力的転換』であったといいますか」


 何度も言うが、俺そんな気持ち悪い考察をしねえよ。

 桐原、普段どんなふうに俺の事をべーちゃんと喋ってるんだよ。

 そうツッコミたかったが、話を止めたくないので口を挟まない。


「ともあれ、部長さんはこういったのです。力強く。『俺、もっとべーちゃんに殴られたい。今から撮る映画で、俺をやりたい放題ぶん殴ってくれないか』と」

「……壊れたのか。目覚めたのか」


 マトモな人間はおらんのかな、この学校。

 仮にも半数以上の生徒から旧帝国大学に合格者を出す、国内有数の進学校のはずなんだが。


「私は残念ながら、性的魅力に溢れた容姿をしています。危害から身を守るため、人をぶん殴るのには手慣れております。本音を言えば人を思う存分、気兼ねなくぶん殴りたい」

「後半本音が出てるぞ」


 桐原の所業に対してあんまり怒らないから温厚だと思っていたが、暴力的だぞべーちゃん。


「一方的に人を殴るのは楽しいんです。これ以上に楽しいことなど世の中に滅多にありません。石を犯罪者に投げつけるのは人類の誰もが好む行為です」


 凄いこと言い出したな、このドスケベ女子高生。

 俺は眉を顰めながら、べーちゃんの長い黒髪を見つめた。

濡羽色の艶やかな長髪が、俺の肩にふんわりとかかりそうなくらいに顔が近づく。

 俺の胸元に、べーちゃんの大きな掌が伸し掛かった。


「たまには人を殴りたかったんです! 判りますか!!」

「知らん」


 俺に近づくな。

 色香に迷わされそうになる上に、発言が物騒で怖い。


「ともあれ、私はやりたい放題にやってやりました。殴られたいのならばやってやりましょう。私は思う存分に一方的に、フルフェイスマスクと黒タイツ姿の部長さんを蹴り、殴り、踏みつけ、ロープで首を絞めました。彼は興奮してました。私も興奮してました」


 そこら辺の興奮していたかどうかの自己申告はいらなかった。


「ド素人の自主製作映画ではありますが、一部の人にとっては良い映画が撮れたんです。これは一方的に暴力を振るったり、あるいは振るわれたりするのが好きな人間にとってはとんでもないエロスが大量に含まれた作品になったなと思いました。私は複製された動画を受け取り、ふと思ったのです」

「何を?」

「そういえば、いつも藤堂君が私を視姦してるなと」


 それは誤解なんだよ。

 桐原がべーちゃんの乳を無意味に揉んでいるのが悪いんだよ。


「間違いなく藤堂君の脳内で、私は暴力で屈服してひどい目にあっていることでしょう。凌辱されています。それは性的魅力に溢れた私が悪いので、仕方ない側面もあるかもしれません。それはそれとして、許せるのは脳内までです。現実の藤堂君には、立派な彼女である桐原ちゃんがいるじゃあないですか」


 だから、それも誤解なんだよ。

 桐原は俺の彼女でもなんでもないんだよ。


「ようし、この動画の出番だ。藤堂君は女の子を暴力で支配するのが大好きな、とんでもないサディストだと桐原から聞いています。間違いなくこの暴力的エロスのエッセンスが詰め込んだ動画を気に入ると、このべーちゃんは見込みました」


 ふう、とため息をつく。

 眼精疲労に効く目頭と鼻の間のくぼみのツボを押さえる。


「桐原ちゃんは藤堂君との関係が進まないことに悩んでいましたが――あの性的倒錯者で、病理的なまでに暴力で女性を屈服させることに興奮を見出していそうな藤堂君なれば、この動画を見れば一発で異常な性欲に駆られることに間違いないでしょう。傍にいる桐原ちゃんに襲い掛かるに違いありません」


 俺は何故、べーちゃんがそこまでの異常者だと俺を見込んでいるのか。

 何故、俺の事を女性に暴力を振るって喜ぶド変態の類だと思い込んでいるのかはわからないが。


「そう思ったのに、どうして何もしないんですか藤堂君」


 なにはともあれ、一言で言わせてもらうとするならばだ。


「怒っていいよな? 俺はそれぐらいしても許されるはずだ。そこに二人とも並べ」


 それぐらいは許されてもいいはずだった。

 授業が始まるまでの時間、俺は桐原とべーちゃんに説教をすることにした。

 もちろん、彼女たちが改悛を試みるなどないことだけは、悲しいけれど理解していた。

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