第9話 猫と桐原1


「猫さんと決闘するので、スマホを預かっといてください。今日は一緒に帰りません」


 いつもの放課後の帰り道であった。

 俺と桐原は部活動などには所属しておらず、いわゆる帰宅部である。

 恋人同士になることを明確に拒否している以上、俺と彼女はあくまでクラスメートの関係にすぎないが、行動自体は共にすることが多い。

 というか、桐原が勝手についてくるのだが、まあ、ともあれだ。

 いつものように、桐原は狂ったことをほざいた。

 繰り返すが、彼女は『猫と決闘する』と確かに口にしたぞ。


「ああ」


 戸惑いながらも、冷静を装って頷く。

 桐原が差し出したのはスマートフォンであり、彼女が所有する物の中では唯一といってよいレベルの高級品である。

 父がプレゼントした品であり、毎月の回線代金なども支払われていた。

 それだけではなく、桐原の家庭にも多少の援助が行われているのだが――父に愛されていない息子である俺がそれについて、口出しすべき立場ではない。

 問題は一つだけだ。


「猫さんと決闘とは何ぞや?」


 仕方なく、疑問を口にした。

 意味不明な言葉の羅列である。

 思い起こせば、猫とはにゃあにゃあと鳴く畜生であり、自由奔放なる生き物である。

 古くはネズミを狩る益獣であり、樽の上で寝転んでワインや穀物などを守っている歴史もあるが。

 令和の現代社会においては、愛玩動物としての価値以外はほぼ無い。

 それと桐原は決闘するというのだ。


「決闘は決闘です。決闘とは、ルールに基づいた闘争を意味します。互いの名誉を懸けた、或いは紛争の解決を目的とする行為なんです」


 桐原は、俺が問いたいことの多くをウィキペディアのように答えた。

 意思疎通は為されており、桐原は当意の妙を得た回答を行った。

 これは一方的な暴力ではないと言いたいのだ。

 むしろ、正式な場における、正々堂々の勝負であると宣言したのだ。


「藤堂君、私は猫さんと決闘しようと思うのです」


 人形のような容姿の桐原が、形の良い唇で静かに決意を告げた。

 桐原の頭がおかしいことについては、殊更に言い募る必要はない。

 だが、動物虐待とあれば俺は止めざるを得ないのだ。


「猫を虐めるのはいかんぞ」


 動物愛護法案は年々改正されており、令和の世ではマイクロチップの装着さえ義務化されている。

 悪魔に人品売り渡した悪質なブリーダーを排除するために、繁殖回数すらも制限されているのだ。

 虐待に至っては懲役刑も有り得た。

 いや、そもそも法以前に人として駄目である。


「藤堂君。私は決闘といいましたよ。決して一方的な虐待や、暴行を意味する言葉ではありません」


 桐原が微笑んだ。

 男なれば、誰もが時々ハッとして桐原を見ることがある。

 異常なまでの美少女であるのだ。

 身長140cmの短躰に見合うサイズの、小さな顔をしていて。

 小さな手に、小さな唇、鼻などはちょっと高めな癖に、日本人の域を維持していた。

 小豆色の制服ブレザー、赤のネクタイにチェックスカート姿が良く似合っている。

 どんな美少女コンテストに出ても、容易に圧勝してしまうだろう。


「私の決意は揺るぎません。今日は猫さんと決闘する好日なんです……」


 だが桐原は気が触れていた。

 凄く頭がおかしいことを呟いた。

 俺としては、うん、まあ、虐待じゃないならいいや。

 どうでもいいや、と。

 そのような結論に至らざるを得ないのだ。

 何せ、桐原は俺の彼女でもなんでもないのだ。


「うん、まあ虐待でないと言い張るのならば、好きにすればよいが。スマートフォンは持っていろ。壊れたら買い直してくれるだろうから、気にするな」

「あのねえ、藤堂君。そう簡単に言いますが、これ幾らすると思ってるんです。林檎製の最新型ですよ」


 どうせ20万もしないだろうが。

 そんな端金を気にしてどうするんだ。

 そう呟こうとしたが、桐原がグルグル目で「ウォォォォ! 死ね! 死ね!」と言いながら殴りかかってきそうなのでやめる。

 以前などは「なんで藤堂君は生意気にも税を払わずに息をしているんですか? 金持ちは呼吸するたびに税金を払わないといけないと決まってるんですよ?」と言われたことがある。

 空気税など、15世紀のフランスか宇宙世紀でしか考えつかぬ税金であろうに。

 仕方ないので、適当な言い訳を試みる。


「壊れても保険が利くだろう。損害何ぞ保険会社に押し付けろ」

「猫と決闘して壊れても、利く保険が日本にあるんですか?」


 猫と決闘した結果に壊れても、保険会社は保証しませんなんて説明書に書かれていないからいけるはずだ。

 そのようなアメリカナイズな考え方で何一つ問題ないと、押し切る。


「故意の故障には当たらないんですね? 本当ですね?」


 最後まで契約内容について気にしている桐原に、そもそも故障した原因について保険会社は別に気にしていないんだよ。

 此の世は邪悪に満ちていて、自分の損益でなければ人はどこまでも寛容になれるに違いないんだと、実に桐原好みの真実を呟いて。

 俺はスマホを彼女に返却する。

 そうして、猫さんとの決闘に向かわせてあげた。


「ヒャア! 今日こそはあの猫に報復してやるぜー!」


 ぶんぶんと右手を大きく振り回して、意気揚々と去っていく。

 いつからあのヒャア! なる口癖を、彼女は口にするようになったのだろう。

 それを訝しみながら、俺は自分のスマホを取り出した。

 桐原と同じ林檎製である。


「……さて、追いかけるか」


 スマートフォンを桐原が保持している限り、何とでもなった。

 位置情報はGPSが教えてくれるのだ。

 俺と桐原は、相互に位置情報を管理している仲であるのだ。

 別に桐原の事なんぞ知りたくもないので、使うのは初めてであるのだが。


「これは正義のためだ」


 先日の公園のように、鳩ならばまだ許されるだろうが。

 猫を虐待しているなれば、さすがに人として止めに入らねばならない。

 人間同士の決闘裁判とて、脆弱なる婦人が殺された夫の復讐のために立ち向かうというなれば、裁判官が婦人にこっそりデリンジャー(隠し拳銃)ぐらいは持たせてくれようというものだ。

 神は正義を見ておられるのだ。

 桐原が何か妙なことをしていれば、止めるのは俺しかいなかった。

 自分の中に存在する、クラスメートを尾行しているという罪悪感を押しつぶしながらに、俺は正義で心を埋め尽くした。

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