第8話 鳩と桐原4
桐原と別れて数時間後の自宅。
オスカー・ワイルド作「ドリアン・グレイの肖像」に対する読書感想スピーチをひたすらに続けている。
これは儀式であった。
私から父に捧げる、一方的スピーチに近い供物である。
父が私に課した教育の一つである。
「……以上です。父さん」
スピーチを終える。
もっと、何か、父とは何か問題について論ずるとか、勝ち負けを抜きにしても、一方的ではなく相互のやりとりがしたいとずっと思っている。
……教育ディベートなどはどうだろうか。
そういえば教育ディベートなるものは、古くは古代ギリシアから、日本において本格的なものは福澤諭吉がもたらしたものであったはずだ。
私の家系でも高等遊民であり学問を嗜んでいた御先祖様が、大正の頃には子供の教育へと一部取り入れたと聞いているが――何故か現在の我が家では行われていない。
それでも『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と書かれた書がリビングには飾られており、父が福沢諭吉の信望者であることなどは一目でわかる。
書にありがちな短文の、序文の意図全てを含まぬものではない。
壁一面を覆いつくすほどの長さである。
頭がおかしいのだ、私の父は。
少なくともタワーマンション最上階の壁紙レイアウトに採用すべきものではない。
「……嫌気がさす」
ボソリと呟いた。
私はこういう読書感想というか、論点を纏めてのスピーチ自体は嫌いではない。
なれど、父への読書感想を行った後に行われる、父からの一方的な言動が大嫌いであった。
目を下の方にやれば、『人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり』の文に至るまでの、福沢諭吉「学問のすすめ」における序文が目に入る。
父は、自分と相対する人間の出身が貧困であれど蔑視などしなかった。
金銭を新たに獲得するか、或いは富裕を維持するかの能力を左右する『学』のみで評価した。
ただひたすらに、機会あるにも関わらずに無学である者を蔑み、憎んだ。
世間で流行る『親ガチャ』なる言い訳など、明らかに見下していた。
いつぞやか、このように下世話な口ぶりを耳にしたことがある。
「一生そういうクズそのものの言い訳をして、社会の地べたで這いずり回れ。手を伸ばさない限りはありもしない機会を祈ってスタンバってろ」
なんぼなんでも、もっと言い方あるだろうに。
教育機会の不均衡は、勉学を若いころに積むことが如何に大事かを理解するための知識は、恵まれた現代社会でさえ明確に存在するのだから。
父とて、本当に親に恵まれぬ場合はどうしようもないことを理解しているだろう。
いや、だからこそ、それゆえにであろうが。
父は、私が通う進学校において学年一位の成績であり、学費不要の特待生である地位を掴んだ桐原の事を好んでいた。
母子家庭にて貧困層の出身でありながら、自らに学を積んだ桐原を幾度も手放しで称賛していた。
「……まあまあだな」
桐原に対しては、私に対してはあまり与えてくれない手放しである称賛を与えているのに。
今回の私によるスピーチは、眉を揺らさずに「まあまあ」との感想であった。
心が軋むことはない。
慣れたことではあるのだ。
父は採点が明確に辛く、甘い方ではない。
ゆえに、何度も満点をとれる桐原が異様であり、それと比較されるゆえに私などは無様を演じているのだ。
私は子として父を知っているから、父を憎むことはしなかった。
「うん、いや、言い直そう。まあまあではないな。悪い方ではなかったな。お前が十年以上やってきたスピーチの中では、むしろ上等な方だった。
父が、どういう根拠でつけたのかサッパリわからぬ私の名を呼んだ。
ロックグラスに琥珀色の液体を注ぎながら、父が不思議そうに採点の間違いを認めている。
そうだろう、どう考えても私の人生の中では良かった方のスピーチだぞ。
父の判定が狂ってきているのだ。
「……うん」
何か言おうとして、父がやめる。
言いたいことなど判っているのだ。
ああ、子だからこそに、父が言いたいことなど理解しているのだ。
桐原と比べると、私のスピーチが劣ると言いたいのだ。
言わずもがな、知れていることである。
「桐原ちゃんと一緒に読書を楽しんだと、妻から聞いたのだが」
舌打ちをしそうになる。
だが、下品であるので、やめた。
私は父のように学こそあれど、下品な俗物にはなりたくないのだ。
「さて、桐原ちゃんが読んでいた本は何だったかね?」
返事をせずとも、まあ父が桐原に尋ねれば答えは返ってくる。
仕方なく、本の題名を呟いた。
「『蟹工船』です」
「良い本だ」
父は超富裕層でありながら無産階級(プロレタリア)文学を決して否定せず、良書であることを明確に肯定した。
文学を父は好んだ。
貧困の出でありながらに『蟹工船』を産んだ小林多喜二の経歴さえも、全て愛しているだろう。
小作農の次男坊でありながら、北海道拓殖銀行に勤めた銀行員である経歴をだろうが。
「さて、破蜂。『ドリアン・グレイの肖像』はとても芸術的な作品だが、私はあまり好きではない。お前もあまり好きではないだろう。それは親子としてわかる」
何がわかるだ。
いや、愚痴を漏らしそうになったが、父が私の事を理解しているのは認めている。
確かに、私はあのオスカー・ワイルドの著作が好きではなかった。
『ドリアン・グレイの肖像』については多くを語る必要もない。
快楽主義を実践することで堕落と悪行の末に破滅する美青年が、自分の醜さを表現する肖像にナイフを突き刺す作品、そう世間では語られている。
私のスピーチもそうであり、ドリアンは自分が最後に抱いた良心と高潔さを保つために、自分の醜さである肖像画を刺したものであると表現した。
「だがなあ、まあ私の意見は違うよ。お前のスピーチ、結末だけは良くなかったよ」
父は、何故意見が違うのかと不思議そうに吐き捨てた後に、私はあの作品で気に入っている文章があると。
一つだけだと。
そう語って、口にした。
『現実世界では悪人は罰せられず、善人は報われない。強者に成功が与えられ、弱者に失敗が押しつけられる。それがすべてだ』
主人公ドリアン・グレイが見つけた一つの真実だ。
それだけを言い捨てて、父は語った。
「正直言えば、その真実を除けば虚飾的過ぎて、数ある素敵な修飾語を除けばオスカー・ワイルドの小説には価値がないようにさえ思える。あれは耽美的な言葉に溢れた作品の中から、読者各自にとって必要な真実を見出すためだけの作品だよ。ドリアンは最後、ナイフで肖像を刺すべきではなかった。あるいは最初から快楽主義者として目覚めるべきではなかった。彼は高潔や良心を取り戻したのではなく、単に自分の悪に耐え切れなかった敗北者というのが私の感想だ」
父は、完全に俗物そのものの発言をした。
アイルランドを代表する作家に対して、あんまりではなかろうか。
あれだ、確かに晩年は幸せではなかったが。
オスカー・ワイルドは同性愛者(ホモセクシャル)だったから、当時は迫害されただけである。
令和なら許されたのにな。
「破蜂。何度も言ってきたが、最初から悪を注意深く拒むように生きなさい。どうしても悪をやるならば、それこそ徹底してやるようにしなさい。そうしなければ破滅は目に見えている。さて、まあ、ともあれ。スピーチは終わった。帰って寝ると良い。お前も酒を飲むか?」
「未成年に平然と酒を進めてるんじゃねえよ。お前の脳みそはどうなってるんだ」
父が薦める、ロックグラスに満たされた琥珀色の液体。
俺はそれを固辞して、自室へと帰る。
自室のルームフレグランスは、沈丁花と金木犀により満たされていた。
「……」
言葉を吐かずに、沈黙する。
着信をチェックすれば、父が桐原にプレゼントしたスマートフォンからの着信で満たされている。
俺はそれを無視した。
寝るまでは、まだ時間がある。
なれど、酷く疲れた。
この身長2mのずしんとした体躯をベットに横たえる。
ベットからは乳白色の少女の香りが、私が一方的にライバル視している桐原の香りが漂っていた。
昼間にキスをされた右手の甲を撫ぜる。
桐原の香りに包まれながら、俺は軽く瞳を閉じた。
俺が彼女に抱く感情には、どうしようもなく複雑な物があるのだ。
それを桐原はまだ知らない。
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