第5話 鳩と桐原1
神戸元町のアーケード街に、小さな人工滝が設けられた公園がある。
俺はその公園で静かに本を読むことを儀礼としており、文庫本の一冊などを鞄に放り込んでは足を伸ばす習慣がある。
自宅である兵庫駅付近からは少し遠出となるが、休日の散歩ついでと考えれば悪い話でもなかった。
「なんでこんなうらぶれた一般ピープルどもがうろついている公園で本を読むんです。金持ちの藤堂君らしくありませんよ」
桐原がベンチの横に座っていなければだが。
休日にも関わらず小豆色の制服ブレザー、赤のネクタイにチェックスカート姿。
なんでお前休日にも関わらず制服なんか着てるの? と以前に聞いたのだが、これ以外に可愛い服を持ってねえんだよう、と真顔で言われた。
どれだけお前の家には金がないんだよ。
「なんでお前がここにいるんだ?」
「家に行ったのに藤堂君はおらず、お義母さまが多分ここだろうと」
「いつからウチの母をお義母さまなんて呼ぶようになった」
ウチの母が、お前の義母となる可能性などは欠片もないのであるが。
両親などは明らかに桐原を彼女だと公認しており、どうにも陶器のような美少女然とした彼女の容姿にすっかり騙されてしまっているのだ。
いや、その容姿以上であるくらいに。
桐原の知能が本当に優れているために、父などはすっかり惚れ込んでしまった節がある。
「話を戻しますが、なんで公園なんかで本を読むんですか。なんで?」
「袖を引っ張るな。子供かお前は」
桐原は小さな手の指でくいくいと、俺の袖を引っ張ってくる。
文庫本を閉じて、仕方なく相手をする。
それほど疑問を浮かべる話でもないと思うのだが。
「俺が公園で本を読んでちゃいかんのか?」
「家で読めばいいでしょうに」
「自室で読むと、集中力が切れるんだよ。教科書で勉強をする分には家が良いんだが」
どうにも本を読むにあたって儀式というか、ルーティンが必要であった。
自分は今から本を読むのだと、怠惰に本を読むだけではないのだと。
何か感想を述べられるレベルで本を読み解くのだと、集中力を高めるためにあたっては散歩をして、それから公園のベンチで文庫本の最初のページを開く。
そして、最後のページまでは動かない義務を自分に課す。
そうすることで、自分のような堪え性のない人間はようやくにして本を読めるのだ。
「あの沈丁花と金木犀によるルームフレグランスが溶け込んだ部屋のどこが気に食わんのです? 私を隅っこのスペースに住ませてくださいよ。あれだけ大きいベッドなら一緒に寝ればよいでしょうに」
「人の話を聞いてる?」
別に自分の部屋が気に食わないとかそういう話ではなく、ルーティン(儀式)をこなさねば本を読めないだけなのだ。
ベッドがでかいのは、単純に俺の体がデカいだけである。
身長140 cmにも満たぬ発達不良で貧乳の桐原とて、入る隙間はない。
「というか、何故ベッドのサイズを知っている」
「先ほど部屋に入って、特に意味もなくベッドでゴロゴロ寝転がってきました。五体をスリスリと押し付けてきました。藤堂君が家で寝る際には、ほのかな少女臭がするはずです。嗅ぐとよいです」
部屋に入れるなよ、母さん。
掌を額に当てる。
どんどん桐原が個人的なスペースに入り込んでいるのだ。
「ともあれ、俺は本を読む。桐原の相手をする気などない」
「何の本を読んでるんです」
表紙を見せる。
オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』であった。
特別に好きな作家というわけでもない。
単に読んだことがないことに対して無教養であると、父に厳しく咎められた結果である。
「童話の『幸福な王子』の作者でしたっけ」
「そうだよ」
再び文庫本を開く。
今日中に読んで、自分の価値観を立脚点とした読書感想を父に話さねばならぬ。
感想自体は否定であってもよいし、肯定であってもよい。
何らかの具体的な意見を述べなければ、父は酷い出来損ないを作った陶芸家のような目で、俺を見るのだ。
それだけは耐えられない。
俺の尊厳を傷つけるのだ。
だから、俺は本を読むにあたってはルーティン(儀式)を必要とした。
俺にとっての読書とは、何らかの覚悟が必要な行為であるのだ。
「今日はお前の相手をしてやれん。本を読んだ後に話してくれ」
「大丈夫ですよ。私も隣で本を読みますから」
そう呟いて、桐原は赤い本を取り出した。
別に思想的に赤いというか、まあアカいのではあるが。
それよりも純粋に表紙が赤いのだ。
古本屋で買ったらしく、酷くボロボロであり50円のシールが乱雑に貼られていた。
100円ですらないのかそれ。
「小林多喜二の『蟹工船』か」
プロレタリア(無産階級)文学の名著である。
読んだことはあるが、父に述べた読書感想の部類では楽だった方である。
正直言えば俺は好きな作品だった。
だが、そのようなことを述べると多分桐原は可愛らしい小さな歯を剥き出しにして激怒する可能性があるので口にはせぬ。
金持ちに何がわかるとでも言いたげな顔をしかねないのだ。
「おい地獄さ行(え)ぐんだで!」
極めてインパクトが強い最初の一文目を、桐原が口にした。
掴みは非常に良い。
とにかく作品の最初の一文というものは大事である。
日本で一番有名なのは川端康成『雪国』の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」であるが、『蟹工船』の「おい地獄さ行(え)ぐんだで!」はそれに勝るとも劣らないものであると思う。
これから主人公たち名もなき貧困層のクズどもが、まあ別に死んでもクズだからいいやぐらいの過酷な環境に追い込まれていくのだ。
「とりあえず、私のような貧乏人はそこらへんの古本屋で買った『蟹工船』を読みますので。藤堂君は金持ちらしく、オスカー・ワイルドをお楽しみください」
「俺は娯楽で本を読んでいるわけではないのだが」
父に対して、自分の価値観を立脚点とした読書感想を強いられているのだ。
ベッドで寝転がり、娯楽として漫画を読むことなどは少ない。
俺にとって読書とは一種の苦痛ですらあったのだ。
まあいい、桐原が大人しくしてくれるというのであれば、何の不満もない。
俺は読みかけの文庫本を再び開いた。
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