第3話 炒飯と桐原3



「炒飯ができました。美味しいカマボコ炒飯です」


 出来ちゃったのか。

 桐原が自信満々で皿に飾ったのはチャーシューどころかハムすら入っていない、もう貧乏飯以外の何者でもない炒飯である。

 桐原が得意とするカマボコ炒飯である。

 桐原は笑顔と言うか何と言うか、見たかコラ!とばかりのドヤ顔であった。

 ドヤ顔とは関西弁の「どうや!」を語源とする優越感に満ちた表情を短縮して表現したものである。

 俺こと藤堂とうどうやぶはちと、この炒飯を作りし桐原きりはらぜにが居住しているのは確かに関西であり、この兵庫県である。

 更に詳しく言えば、神戸である。

 もっと詳しく言えば、俺と桐原が今いるのは神戸市の中心近くたる兵庫駅付近のタワーマンションであり、その最上階の俺の自宅であった。

 何故そんなハイソな場所で、近くの24時間スーパーで買ってきた食材により作られた料理が目の前に鎮座しているのか。

 よく見ればカット野菜である長ネギなどは賞味期限切れ寸前であり、半額シールが貼られているのかは理解できない。

 桐原が貧困であることは知っているが、長ネギ代くらい出してやるから、もうちょっとは良いもの買ってこい。

マイナス50円されただけじゃないか。

 しかも消費税はキッチリとられていて、長ネギは58円であった。


「オラァ! 喰らえ金持ち! お前が食ったこともないような貧乏飯だぞ!!」


 桐原は特に意味もないけれど威勢が良かった。

 人形的で白磁器のような美しさを投げ出して、もう完全に関西のおばちゃんな威勢のよさを発揮していた。

 まあ、別にそれは良い。

 寝ぼけ眼にして調理工程を見守っていたが、別に何か変な材料を混ぜたり、意味不明なアクセントを加えたりのいわゆるメシマズ的な行為はしていない。

 眼前のカマボコ炒飯を平らげさえすれば、桐原は満足するはずであった。

 中華料理のスプーンたる散蓮華ちりれんげなどを用いて、一気に食してやろうと試みて。

 どうにも、気に食わない匂いが鼻についた。


「桐原、これ五香粉ウーシャンフェン入れた?」

「入れましたよ」


 俺は散蓮華を皿に投げ打った。


「こんな炒飯は食べられないな」


 俺は五香粉が嫌いだった。

 色々な理由で嫌いだった。


「藤堂君、私の事舐めとるんですか?」


 桐原は自分の料理を貶されて、侮辱されたと怒ったが。

 俺には弁明の余地があった。


「別にお前の事を舐めてるんじゃなくて、五香粉が嫌いだと言っている。この五香粉という、シナモン、フェンネル、コリアンダー、クローブ、八角、陳皮とかが混ざってる香辛料が――あれ、五とかほざいてるくせに六種類入ってね?」


 俺は自分で呟いていて、何か一つの真実に気づいたが。


 「藤堂君。五香粉の五(うー)は中国だと『なんか凄く多いよ』ぐらいの解釈らしいです」

 「……適当すぎないか?」

 「日本の七味唐辛子だって、七種類以上あるだろうがと言われて話は終わりですよ」


 まあそれもそうか。

 どうでもよいが、桐原が「うー」と鳴くのは妙に可愛かった。

 何はともあれ。 


「他の香辛料はともかくとして、八角が大嫌い」


 日本の五香粉には八角が入っていないのも珍しくないが、俺の家庭で用いている五香粉には明確に八角が入っていた。

 俺はもう八角が大嫌いで仕方ないのだ。

 あんなもん好きな奴がいるのか。

 日本人で八角好きな奴なんて、あんまりいないぞ。


「藤堂君、藤堂君」


 桐原が首を振る。

 何か言いたいようなので、首を振って促してやるが。


「私が先日作った麻婆豆腐にも普通に五香粉を振りかけてたけど、別に何も言われなかったんですが……」

「それは気にしなかった」


 全然違う料理であった。

 確かに俺は桐原がまた深夜二時に押しかけて、今回のカマボコ炒飯同様にヒャアヒャア意味不明な鳴き声とともに作った麻婆豆腐は美味しく食べた。

 なんなら、その時は桐原の料理を褒めさえした。

 五香粉が入っていたことに気付きもしなかった。

 ならばそれは良いが。


「調理完了寸前に数振りかけて混ぜ込んだ五香粉の匂いには気づく。凄い八角臭い」

「細かくない? 仮にそうだとしても、私みたいな美少女が作ったなら黙って食べない?」


桐原は呻いた。

 お前が美少女なのは認めてやるが、それはそれとして八角の匂いがする炒飯は食べたくない。

 俺は無視して、椅子から立ち上がった。


「寝る」


 深夜二時に起こされて、寝ぼけ眼であった。

 これから朝七時には起きて、ちゃんと朝食を食べて学校に行かねばならない。

 就寝への欲求が俺にあった。


「あのね、藤堂君。世の中には食べたくても食べられない子供たちが沢山いるんですから、八角が嫌いとかひ弱な日本人みたいな事言ってないで一緒に食べましょうよ」

「日本人はちょっと飢えてても、料理に八角入ってたら食べずに残すよ」


 だって臭いもの。

 何なのさ、あの漢方薬みたいな匂い。

 あんなの第二次世界大戦時の飢えた日本人しか食べないと思うよ。


「藤堂君、八角の匂いが嫌なのは理解しましたから、鼻つまんで食べましょうよ。一口食べれば慣れますよ」

「慣れないから。もうあの匂い嫌いだから」


 エプロン姿の桐原が、ぐい、ぐいと俺の寝巻のシャツを引っ張って抵抗するのを抑えて、言い張る。

 桐原ははっきりと言ってやらねば分からぬ性格であった。


「もう一人で食え。そして客室で寝ろ」

「一人で食べたら寂しいじゃないですか」


 桐原は寂しがり屋だった。

 知らんがな。

 俺は桐原が抵抗する手を抑えて、エプロン姿の彼女を強引に引っ張る。

 客室に放り込もうと思うのだ。


「炒飯作るなら今なんですよ?」


 俺の行動に対し、桐原は目をぱちくりとさせた。

 小脇に抱えられた高校生の美少女がとるにあたって、どうにも緊張感が足らぬ反応である。


「知らんがな」


 俺ははっきりと言ってやった。

 お前の父親はちょっと、ほんの少しばかり頭が可哀そうな奴だったんだよと。

 そこまでは言わないが、正直別に桐原とて飢えているわけではないのだから、食事より睡眠を優先すべきであった。


「もう客室に放り込む」

「藤堂君、さすがにこの恰好は恥ずかしいんですが」


 俺は桐原を片手で抱えた。

 身長140cmに満たぬ女子の体躯など、この身長2mを超える男子高校生たる俺なれば片脇に挟むなど些細なことであった。

 ズカズカと歩いていき、そして。


「そこまでだ」


 災害用のLEDライト兼護身棒を全力で握りしめた父親と、何か物悲し気に俺を見つめる母親と出くわして――嗚呼、話がややこしくなる。


「破蜂、いつもの事だが――どうして銭子ちゃんがここにいるのか。何故深夜二時に我が家に訪れて、お前が小脇に抱えて寝室に潜り込もうとしているのか。全部話してもらおうか。口にしなければ――親としての責任をとり、お前をこの場で殴り殺す」


 多分、何もかもを勘違いしているに違いない。

 怒りに満ちた父親と、すでにめそめそと泣いている母親を眺めて。

 俺は小脇に抱えていた桐原を床に下ろして、両手を挙げて降参した。

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