第3話 暗黒騎士との出会い

 聖華暦832年 12月14日


 今日は朝からクラス中が騒ついている。

 クラスだけじゃない。生徒達も、教師達も、軍学校全体が騒ついている。

 皆、身嗜みをキッチリと整えて、それでいて落ち着きが無い。


 それもそうだ。

 先週、この軍学校に帝都ニブルヘイムから視察が来る事が発表されてから、皆ソワソワと落ち着きが無くなっていた。

 校長先生は教師と全校生徒の前で、「この軍学校の生徒として恥ずかしくない身形と振舞いをする事」、と檄を飛ばしていた。


 帝都ニブルヘイムはアルカディア帝国の中心都市、皇帝陛下の座する首都だ。

 中央からの視察とあれば、やはり多少なりとも気を引き締めるのだが、今回の視察に来る相手が問題だ。


 やって来るのは『暗黒騎士』である。


 暗黒騎士、それは帝国軍最高戦力と称される者達。

 通常の軍の命令系統から切り離された、皇帝陛下直属の特別な存在。

 暗黒騎士になる為には『魔眼』を持っている必要があるのだという。


 僕と同じ……魔眼持ち……


 だけど、魔眼を持っているからと言って、そう簡単に成れるようなものでは無い。


 常人には耐えられないような非常に過酷で苛烈な訓練を積んで、その中でも選りすぐられた者しか成れない、選ばれた存在。

 今現在、帝国にいる暗黒騎士は100人程度という、とてもとても狭き門を潜る事が出来た猛者達なのだ。


 クラスの男子には、そんな暗黒騎士に憧れを抱いているのもチラホラいるようで、この視察の発表があってからは特に騒がしい。


 中には僕に、「お前は魔眼を持ってて羨ましい」なんて、本気で言って来るのもいた。

 自分で望んで魔眼を得た訳ではないから、正直言って羨ましがられても困る。


 *


 そうこうしているうち、視察が予定されている時間となった。

 廊下の方、校長先生や教頭先生の他に正装の軍人数人、そして……

 オールバックに撫でつけた黒髪、やや面長で短く切り揃えた顎髭、射抜くような眼光。


 一際目を引く、他を霞ませるような圧倒的なオーラを放つ漆黒の、まるで影だけが歩いているような……


 あれが、暗黒騎士……


 皆はすっかり押し黙り、教室内には先生の声と黒板に押し当てられるチョークの擦れる音、それに教わった事をノートへと書き写す複数の鉛筆の走る音だけが響いている。


 先生も含めたクラスの皆が緊張している。

 特に先生は教科書の内容を読み上げる時に、声が時々上擦っている。


 もっとも、当の暗黒騎士はと言うと、教室へは入っては来ず、廊下から教室の中を覗いているだけのようだった。


 ふと何か気になって、少しだけ廊下に目を向けた。


 目があった。

 暗黒騎士と。

 僕を、視ている。


 視線が離せなくなった。

 暗黒騎士の視線が真っ直ぐに、僕に突き刺さるように注がれる。

 僕もその視線を真っ直ぐに受け止める。


 息が苦しい……

 全身が強ばり、指一本動かせない……

 心臓を鷲掴みにされたような感覚……


 長い永い時間が過ぎたように思った。

 けれども、それはほんの数瞬の事だった。

 漆黒は廊下の烏合の供を引き連れて、次の教室へと行ってしまった。


 視界から、あの暗黒騎士が居なくなると同時に緊張の糸が切れ、全身から汗が吹き出した。

 胸がバクバクと脈打っている。

 僕は気持ちを落ち着かせる為、ゆっくりと、静かに深呼吸をした。


 気がつくと終業のチャイムが鳴り、授業の終わりを告げた。


 少し水を飲もう、そう思って席を立ち廊下へ出た所で、先生から呼び止められた。

 先程の視察で一緒に廊下にいた先生だった。


「リコス・ユミア君だね? 校長先生が君を呼んでいる。ついて来なさい。」


「……判りました。」


 何事かと訝しんだが、先生の深刻そうな表情に断れる雰囲気でも無い為、仕方なく先生の後に続いて校長室へと向かった。


「……ぅおほんっ、お連れ致しました。」


 校長室の扉の前で、もう一度身嗜みを整え、咳払いをしてから、先生は中へ向かって声を掛ける。


『入りたまえ。』


 低く、重みのある声だった。

 少なくとも校長先生の声では無い。


 先生は扉に手を掛け、一度喉を鳴らしてからゆっくりと押し開いた。


「失礼致しますっ。」


 緊張で声が上擦っている。

 僕も後に続いて校長室へと入室する。


「失礼します。」


 入った瞬間に、背中がゾワっとした。

 広い校長室の真ん中、色調は抑えてあるが上等の生地を纏ったソファに、漆黒の影が腰を下ろしていたのだ。

 他には誰も居ない。


「リコス・ユミアをお連れ致しました。」


「御苦労でした。下がって宜しい。」


「えっ、は? あ、あぁ、失礼致します。」


 先生は慌てて一礼するといそいそと扉の外へと出て行った。


「リコス、だね? こちらに座りなさい。」


 僕は無言で頷き、ゆっくりと、何かを警戒する様に、ゆっくりと彼の正面のソファに近づいて腰を落とした。

 僕と影はテーブルを挟んで向かい合う。


 影は言葉を発する事なく、視線で僕を捉えて放さない。

 しばしの沈黙。


「……私はオルテア・エディアル、暗黒騎士だ。」


 影が、ゆっくりと言葉を発した。

 名を名乗り、ようやく影が人の姿を見せた気がした。


「リコス・ユミアです。僕にどのような御用でしょうか。」


 オルテアと名乗った暗黒騎士は、少しだけ、口の端を歪めると……

 突如として部屋中に、僕を押し潰さんばかりの殺気が満たされた。


 僕は咄嗟に、いつの間に目の前にあったのか、剥き身の短剣を右手で逆手に掴んで暗黒騎士へと斬りかかっていた。

 一切の躊躇なく彼の喉を切り裂こうと飛び掛かり、そして………

 刃が後1mmで肌に触れるというところで、動きが止まった。

 いや、正確には動きを止められた。


 暗黒騎士は僕の右手首を掴み、微動だにしない。

 そして部屋中を覆っていた殺気が消えた。


 僕も身体中の力が抜けて、短剣を取り落としてその場にへたり込んだ。

 ガクガクと足が、腕が震える。


 ああ、僕はまた、人を殺そうとした。

 どっと嫌悪感が押し寄せて来る。


「ふむ、やはりそうか。」


 暗黒騎士はかがみ込んで、僕の顔をじっと観た。


「……申し訳、ありません……、僕は、なんて事を……」


 目を逸らし、それだけ、言葉にするのが精一杯だった。


「リコス、君は今日から私の弟子になりたまえ。」


 漆黒の影のような暗黒騎士は僕にそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る