8月2日
第17話 8月2日 【1】
学校に忍び込んでから翌日の昼頃、俺は藍子と二人で自宅の最寄り駅にいた。せっかく遠いとこから来たのだから今度は藍子に家の近くだけではなく都会らしい街の様子でも見てもらおうかと。
しかし今まであまり電車を使わずに生きてきた自分にとっては電車に乗ることは難しくかれこれ十分以上は路線図といくつもある改札を遠目に見ながら格闘している。
今まで俺も周りの友達も三、四駅程度なら平気で自転車で移動していたしなにしろお金がもったいないからという理由で使ってこなかった。そもそも友達と遊ぶ内容が公園でなにかしら球技をするか家に集まってゲームするかぐらいで電車を使う機会なんてほとんどなかったのだ。
「なにかお困りごとですか?」
『改札と電車ってなんでこんなにあるんだろう。一つにならないかな』なんて現代の進化と真逆の事を考えてると後ろから声をかけられるまでに至ってしまう。柔らかくて優しくて落ち着いた大人の女性の声で恐らく路線図の前で迷子みたいに手を繋いでしばらく動かない中学生ぐらいの俺達二人を見かねて声をかけてくれたのだろう。
中学三年にもなって乗る電車がわからないなんて恥ずかしかったが最初から藍子が隣にいるわけだし今更どうこう言ってもしかないなとその声に甘えることにした。
「……すみません。電車どれに乗ればいいかわからな__」
しかし言いかけて言葉は途中で止まってしまう。なぜなら振り返った先には高梨瑠璃がいたからだ。たまたま通りがかったとかではない距離の振り返った先に。
そして高梨を見て脳が下した決断はその姿を幻と認識するとのことで高梨の姿をぼかした視界のなかで先ほど聞こえた声の主を探す。
「なにかお困りごとですか?」
しかし振り返った先にいる高梨は先ほど後ろから聞こえてきた声と同じ声を発した。
「もしかしてデートですか?」
続いて答え合わせのようにいつもの特徴的な高い声で、そして先ほどのような敬語口調でニコリと笑いながら言う。
確かに今思えば最初に聞こえた女性の声と似ている。高梨にこんな特技があるなんて知らなかった。……じゃなくて昨日恐れていたことがもう起きてしまうなんて。
「完璧にデートだよね。手、繋いでるし」
からかわれる事を想像して恐怖していると早速ニコリとではなくニヤリと新しいおもちゃを見つけたような顔で笑いながら言う。
そして徐々に視界が勝手にピントを合わせていく高梨の姿は当たり前だけど私服で無頓着な俺が説明できたものではなかったけど筆記体の英語が書かれたダボっとしたグレーのシャツを右肩を出して着ていて下から着ている袖のない白いシャツを大きく露出させている。
とにかくカジュアルな感じで、オシャレで、可愛くて、綺麗で、見ていられなくなって視線を下げたけど今度は学校の体育着より短い淡いブルーのジーパンから伸びる日焼け跡をコントラストにした長い足にもうどこを見ていいかわからなくなり視界の画面端ギリギリに高梨を映しながらなんとかこの場を切り抜けようと口を開くも。
「ち、違うからただの友達だから」
今この状況で俺の口から出たそれはまるで浮気現場を目撃されたのに言い訳を続ける夫のようなセリフだった。
藍子と俺は本当にただの友達だけど高梨から見たら手を繋いで駅にいるなんてデートとしか捉えられないのに本当の事であったが今この状況では高梨の加虐心を焚きつけるだけでチラリと見たその顔はすぐさまツッコむ気満々な顔になっていたのでもう一度慌てて口を開く。
「て、ていうか高梨、そっちこそなにしてるんだよ」
強引に話を変えたことなんて誰が見ても聞いてもわかる。でもそれほどおかしい事を言ったわけでもないのに高梨は丁寧に右に首を傾げ茶色がかった顎下あたりの長さで切り揃えられた髪を揺らして露出した肩に当てた後、声には出さずにゆっくりと大きな口でパクパクと四文字口にした。
それを見て俺は高梨が伝えようとしている事を瞬時に理解した。理解してしまった。その口が『るりさま』と動いた事に。
それはこの間の連絡先を教えたから名前に様を付けて呼べという件。今まで忘れてたしその場の冗談だと思っていたのに。
「る、る……るりさんはなにしてらっしゃるのでしょうか」
「なんで敬語? 様は?」
でも言えるわけなかった。女子の、好きな人の下の名前を呼ぶのですら勇気がいるのに様を付けてしかも藍子の前でなんて恥ずかしくて。
せめて敬語で言えばどうにかなるかと思ったが見逃してはもらえず声に出して追及されるだけであった。
それから無言のままどこかの改札の奥で電車が向かって来てまたどこかに出発した音とそれだけの時間が流れた後、意外にも最初に口を開いたのは藍子だった。
「あの、もしかして黄介のお友達……ですか?」
高梨と俺を交互に見ながら恐る恐ると口にする。
それはどっちの意味でだろう。このやり取りで友達と思ったのかこのやり取りで友達ではないと疑問に思ったから言ったのか。どちらにも取れてしまうがどちらとしても俺の方が立場が弱いのだけは事実だった。
「あ……うん。黄介君のお友達の高梨瑠璃です」
藍子に声をかけられてその存在を思い出したかのように返事をした高梨は藍子に釣られてか普段俺の事を苗字で呼んでいるはずなのに下の名前で呼んだ。
それだけで先ほどの事を全て許してしまいそうになっている自分に単純だなって思いながらも嬉しかった。
「よかったーやっぱりそうなんだ! 私、藍子って言うの! よろしくね瑠璃ちゃん!」
そう言うと藍子は高梨のだらんと伸びた両手を掴んで胸の高さで握り目を輝かせていて高梨は驚いてはいるようであったが嫌ではなさそうだった。
そう言えば藍子って同年代の女子の友達いないのか。俺が引っ越す前も上級生に女子の先輩が一人二人いたぐらいで今は学校に藍子一人しか生徒がいないみたいだし。
『よかったな。仲良くなれればいいな』なんてさっきまでの事を昨日の事だったかのように微笑ましく見ていると藍子が手を離しファーストコンタクトが終わったタイミングでまた思い出したかのように高梨は言う。
「あっそう言えば……昨日連絡したんですけど」
そして打って変わって特徴的なツリ目をさらにとがらせ藍子から俺に視線を移し短いジーパンの右ポケットに入っていた携帯を取り出して数秒操作した後に画面を見せつけてきた。
それを見てすぐさま頭を下げたので正確な内容は確認できなかったが昨日の日付で『明日暇か』のような事が書かれていて宛名は俺の名前になっていた。
「悪い! 無視したわけじゃなくって連絡来てたのに気が付かなかった!」
連絡を無視されたからいつもに増して攻撃的だったのか。……いやいつもこんなものか。というか
「ねぇ黄介……もしかして私が部屋に入った時かな?」
その言葉に全てを思い出した。学校に忍び込んで家に帰って来て寝ようとした時に藍子が部屋に入って来て一緒に寝る寝ないの口論をしている最中に来た通知音。あの後から今現在まで携帯は多分鳴ってないのでそれが高梨からの連絡で確定だろう。
でも連絡が来た後に藍子と一緒のベットで寝てて連絡が来てたのを忘れてましたなんて言えるはずもなくようやく様を付けて呼ぶ話が流れそうなのにこれはまたどうしようかと考えていると藍子が口を開く。
「ごめんね瑠璃ちゃん! 私が黄介の部屋に入った時にちょうど携帯鳴ってね! それでその後一緒に寝ちゃったから……とにかく私のせいなの!」
お手本のように一から十まで説明した藍子は本当に申し訳なさそうな顔だったがこの場では火に油を注ぐようなその発言に『終わったな。ブチギレられるな。嫌われたな』と思いながら恐る恐る顔を上げると怒るどころか逆に怖いぐらいの笑顔で高梨は言う。
「そっかそっかー大丈夫だよ藍子ちゃん。そう言えば私、お昼まだなんだよねーなに奢ってもらおうかなー」
その言葉と見たことのないぐらいの笑顔に背筋が凍る。笑うところなんて一つもないのにそれだけの笑顔はチグハグで不気味だったから。
そしてなぜか思い出した。朝に見たニュース番組で今日の昼頃に今年最高気温を記録すると。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます