第14話 8月1日 【4】

 正方形の敷地の一角から学校に足を踏み入れて体育館の裏、プールの裏、部室の裏を反時計回りでゆっくりと移動し、校舎の端に着いた俺達は今度は校舎に沿って一階の教室の窓ガラスに映らないように中腰で移動を繰り返して校舎の真ん中辺りにある昇降口の前まで来たが。


「……閉まってるな」


 いつも使っていた馴染みの昇降口の扉は固く閉ざされている。門が閉まっている時間なら昇降口も閉まってるという考えにまでは至らなかった。そもそも夏休み中は閉まっているのかもしれないが。唯一職員玄関は開いてそうだが流石にそこを通る自信はない。


「さてどうするか」


 昇降口のなかから姿が見えないところに少し移動し、しゃがんで顎に手を当てて次の一手を考えていると俺のその姿につられたのかこの学校のことをわからないはずの隣のあいこも顎に手を当ててなにか考え込んでいた。


 『いや、あいこは考えてもわからないだろ』と思いながらも眉間にシワを寄せて真剣に考えているその姿はまるで小さい子が必死になぞなぞの答えを考えているようで次の手を考えるのも忘れて微笑ましく見ているとその視線に気が付いたのか斜め四十五度ぐらいの地面に向いていたあいこの視線は俺へと向けられた。


「「……ふふっ」」


 しゃがんで顎に手を当てた二人が隣同士にいる合わせ鏡のような光景に思わず小さく笑いあった。


「……なんか私たち探偵みたい。これからなんか事件起きちゃうかも。理科室で爆発事件っ! とか」

「ははっ。いや、ないない。そもそも探偵って言うか泥棒の方が__」


 言いかけながらあいこのその言葉にふと解決の糸口を見出した。それは夏休みに入る前の掃除当番で理科室の掃除をしていた時。窓際の一番後ろに資料が入った古い段ボールが積み重なっていて誰も掃除してこなかったのかほこりがたまっていたのでそれをどかして掃き掃除をしていたころたぶん薬品を扱うためにあるのだろう窓際の壁の下一面についている人がギリギリ通れるぐらいの小さい換気用の窓の鍵がそこだけ壊れているのに気が付いた。


 後で誰か先生に報告しようと思っていたのに今日まですっかり忘れていてでもまあ俺が見つけなければずっと壊れたままだったはずだと開き直って善は急げと、とりあえず説明は後回しにしてあいこの手を引いて今度は理科室へと向かった。




 段々と日が暮れ始めるなか、到着した理科室のなかにも外から覗く限り人気はなさそうで例の小窓の前でしゃがみ込んだ俺はゆっくりと力を込めて右から左に扉をスライドさせるとガタガタと建付けの悪い音が鳴りながらも小窓は開いた。頭のなかで『タタタターン』と、いつかやったRPGの宝箱を開けた時の効果音が鳴った気がする。


「黄介すごーい! ホントに泥棒みたいだね!」


 後ろを振り返ってきっとまたドヤ顔であいこの反応をうかがうと返って来た言葉は予想外のもので思わずずっこけそうになる。小さく拍手をしながら向けられたその目はどこかキラキラとしていて尊敬の眼差しのたぐいに見えたので単純に俺を褒めただけなのだろうが。


 こうなるならさっきツッコまなければ良かったなと思いながら窓の向こうに置かれた段ボールを手を突っ込んでどかして靴を脱ぎ大人だったら通れないぐらいの狭い小窓に少し苦戦しながらも理科室のなかに入り改めて周囲を見渡し誰もいないことを確認してから窓の向こう側にいるあいこにOKとハンドサインを送った。


 するとすぐさま小窓から頭を突っ込んで入ろうとしてきたあいこは長い黒髪で顔が完全に隠れていてテレビから幽霊が出てくるホラー映画のようで一瞬声を上げそうになるも。


「黄介どこー? 手ぇー貸してー」


 と、その長い髪で前が見えなくなったのかとてもホラー映画とは似つかないような間の抜けた声を上げるのですんでのところまで来ていた悲鳴を飲み込んで飛び出たあいこの手を掴んでゆっくりと引っ張り込み、そして入って来た小窓をしっかりと締め直して閉まっていた理科室の鍵を内側から開けて廊下へと出た。


 向かうは二階にある俺のクラス。まずはそのために校舎の端のほうにある理科室から伸びる廊下の真ん中あたりにある階段を目指した。





 それから途中、直線の廊下にへこむように作られた水道がある場所で周囲の確認を行いながらも階段までたどり着きそのまま階段を上がったすぐ先にある『3ー1』と書かれた札がぶら下がっている目的地の教室に結構あっさりとたどり着いた。


「ふぅ」


 ため息が自然と漏れる。ここまで来るのにはさほど苦労しなかったが校舎内に入ってからはより一層見つからないように神経を研ぎ澄ませていたから精神的から来る疲れに思わず。でもまあその表情を見れば疲れは吹き飛ぶ。


 教室に入るとあいこは一度ゆっくりと教室を見渡した後、なにかの表彰式のようにゆっくりと教壇の上に上がると高い山から景色を見渡すように教室を眺めている。


 口すらも開いていているその表情は前人未到の山にでも登ったかのような異世界にでも来たかのようなひとクラス三十人分の机がずらりと並んでいるあいこにとっては見たことのないその風景に感動すらしているように見えて本当に連れてきて良かったと思った。






「……ねぇ黄介の席ってどこ?」


 それからお互い無言のまま朝の出席確認ぐらいの時間が経った後、あいこは教室を眺めたままポツリと言った。


「窓際の列の……後ろから__」

「んーわかんないっ! 案内してっ!」


 『__二番目』と、答えようとしたがあいこは全部言い終わる前に待ちきれないと言った表情で教壇を飛び降りると依然として教室の前扉辺りにいた俺の後ろに回り込みグイグイと背中を押すので席まで案内すると俺に自分の席に座ってと促すので従うとあいこは隣の席に座った。


「……えへへ」


 そして学校に入る前にした表情は別の誰かと思うほど打って変わった表情で笑う。例えるならそれは……好きな人の隣の席になれた時のようなそんな幸せそうな表情。それにまたあいこに高梨瑠璃あのいろが重なって見えた気がする。ちょうど高梨と同じ席に座ってるからだろうか。


 『いやいや、なに考えてるんだ俺は。自意識過剰過ぎだろ』と、一度ほうけた頭と緩んだ口元をリセットするためにあいこから見たら異様だと思いながらも首ごと視界を真上に向けているとそれを気にも留めるそぶりもなくあいこはたずねてくる。


「ねぇ黄介の隣って男の子? それとも女の子?」

「えっ? あっ、えっと……女子だけど」


 不意を突かれて若干戸惑いながら首を元の状態に戻しつつそう答えると今度は少し頬をとがらせたように見えた。


「……んーそっか!」


 見間違えだったのだろうかあいこは俺の返答に笑顔でそう返事をすると席からバッと立ち上がりもう一度教室の前に歩いていった。


 そしてチョークで黒板の右端にカツカツと音を立てながら無言でなにかを書き始めるので懲りずに先ほどの表情を寝る前にふと考える『今日の夕飯美味しかったな』みたいにボーっと思い出しながらその背中を見つめていると周りに映る濃い緑色のはずの黒板が文字通り黒く見えて辺りがそれだけ薄暗いことに気が付きそろそろ本格的に帰らなければと思っているとなにかを書き終えたあいこは振り返った。


「今日の日直は私と黄介でした……なんちゃって……」


 右手で後頭部をさすりながら照れ臭そうにそう言って俺からそれが見えるように前扉のほうにずれるとその黒板の右下には『黄介』とこのクラスにはいないはずの『藍子』という名前が書かれている。




 あいこの『あい』って『藍』だったんだ。藍色の……『藍』。




 それを見てなにかを思い出せそうな気がした。なのに。




 教室の前扉が雷が落ちた時のような激しい音を立てて開いた。

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