第13話 8月1日 【3】

 それから知り合いに見つかることなく学校に無事についたところまではよかった。


 学校の校舎、屋上へ上がるための頭一つ高くなっているデコボコの『でこ』みたいな頭のところの外壁にちょうど顔のように取り付けられているアナログ時計は六時半を過ぎ長針は『7』に重なっている。


 結局あいこに最後は引きずられながら学校に着いたのが六時二十五分頃。けれどそれからあいこは現在までの十分程の間、体が石になったかのように学校を見つめたまま動かなくなった。


 俺と繋いだままのあいこの左手からは普通に手を握るよりも力が伝わってきてそして空いた方の右手が掴んでいるフェンスのひし形の網目は少し形を歪めている。


 俺が引っ越してから上級生も次々と卒業し下級生も入学することもなく現在あいこが通うあっちの学校には生徒が一人しかいないらしい。小、中一貫の学校だったはずなのにあいこしか。だから__。


 __思い描いているのだろうか。今は無人の目の前の学校に沢山の生徒が通っている本来の姿を。


 __思いを馳せているのだろうか。目の前の学校に自分が通っている姿でも。


 グラウンドを静かに見つめ続けるあいこの表情は楽しそうだった。嬉しそうだった。スタジアムで生で見たいつしかのサッカーの試合を見る自分のように。でもそれでいて物悲しそうにも見えた。いつしか自分はそのなかに入れるほど才能がないと気が付き始めた時のように。


 それは俺のせいだった。引っ越したことは仕方ないにしろ会いに行かなかったこと電話も手紙もしなかったこと。なにかあいこに対してアクションしていればこんな表情をしなくて済んだと思う。今は謝って形としては許されたけれどその後のあいこに目をつぶっていいわけじゃなかった。言い方があってるかわからないけど『ケア』と言うか『配慮』と言うかそういうものを行う義務が俺にはある。


「……学校のなかさ、せっかくだしちょっと見ていかないか。俺のクラスでも。誰かに見つかった時はちゃんとあいこのこと守るから」


 でもそれ以上にそんな顔をしてほしくなかった。似合わなかった。おかしいとまで思った。夏に雪が降るぐらいに。青色じゃない海ぐらいに。


 あいこのそれは劇的であっても悲劇的で、特別であっても格別ではなくて、〇か✖で言ったら✖で、YESかNOで言ったらNOで、とにかく自分のなかで見て見ぬふりをできないところに処理されたその表情を見て俺は口にしていた。


「……ホント? ……いいの? ……大丈夫? ……それにおばさんがご飯の準備してくれてるって」


 全ての言葉が自分以外の、あいこ自身以外のものに向けられていた。俺を案じて夕飯を作る母さんへと向けて。


 昔あいことなにかイタズラした記憶はあれど本当に悪いことをした記憶もないししている記憶もない。あいこはとても善良で純粋で昨日の夜のようにもう一度帰らないでと言うことさえも押し殺してしまうほど他人のことを考えているんだなと思った。でも今はそれがとても痛々しく見えて煩わしくて。


「ちょっと見るだけだから大丈夫大丈夫。 もし遅くなったらちゃんと俺のせいだって言うから、な?」

「……黄介、ありがと」


 言い聞かせるように親指を立ててそう言うとあいこはようやくフェンスから右手を離し繋いだ手にそれを添えた。なにか友好条約を結ぶ時みたいに、そして笑顔で。


「……でも門しまっちゃってるね」


 この学校の敷地は正方形で出来ておりその周りをぐるりとフェンスで覆われている。なのでまず敷地のなかに入るためには三ヵ所あるどれかの門を通らなければならないのだが現在地近くにある校舎正面の正門、そして校舎左側の西門、右側の東門もあいこの言う通りしまっているのが見えた。


 でも俺にそれは特に問題ではなく『じゃああっちから入るか』と独り言をつぶやきながらあいこの手を引いてその目的地へと向かった。






「よかったまだ直されてない」


 正門近くにいた位置からフェンスを沿って右に行った正方形の敷地の一角は誰でも入れるようになっていてよくわからない石碑が置いてある。正確にはその場所を避けるように学校の周りをフェンスは覆っていて、その石碑の裏にフェンスが一部壊れている場所を俺は知っていた。パカパカと繋ぎ目を扉のように開閉できるように壊れてしまった場所を。


 そこは言われなければ気付かないほどのもので長年直されることがなく代々遅刻しそうな時に使われる秘密の抜け道らしく去年卒業したよくしてもらっていた部活の先輩に教えてもらい以降俺は使っていた。門が閉まる時間でも授業がすぐ始まるわけではないのでここを通ればギリギリ授業の開始に間に合うのだ。


「じゃあ黄介も遅刻することあるんだ。私と一緒だね」


 それをきっとドヤ顔であいこに説明したのはいいものの、バカにしてるわけではなさそうだったが共感するように痛いところを指摘されてしまった俺は『たまにな、たまに』と常習犯ではないことを強調し、一足先に学校の敷地へと足を踏み入れて続いてあいこが敷地に入った後フェンスを元通りに直し一度離していた手を今度は俺から繋ぎ目を合わせて言った。


「……よし、行くか」


 どうか誰にも見つかりませんようにと。この後も、夏が終わってまた離れ離れになってもこれから見たものが体験することが少しでもあいこにとっていいものになりますようにと。

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