7月31日

第6話 7月31日 【1】

 地震かと思うほどの突然の揺れに俺は意識を取り戻し急いで辺りを見渡すとどうやらそれは悪路を走る車が起こしたものみたいでほっと胸を撫で下ろし車内から窓を開けて新鮮な空気を吸い込んでから大きいあくびを一つ外に放った。


 昨晩の携帯での高梨とのやり取りは日付を越えてまで続き今現在太陽が真上にあるみたいなのにまぶたは一限目の時のように重たかった。


 こんなに眠いのはそれが原因ではあるがそもそも母さんにいつ前に住んでた家に帰るのか言われておらずまた行く前日ぐらいには声をかけてくるだろうと思っていたところ早朝に起こされて今日行くことを告げられたからだ。


 でも高梨のおかげで気分はとてもよかった。もし面と向かっていたらありえない時間だったから。


 高梨を前にすると自分でも時々なにを喋っているのかわからなくなって話が途切れてしまうこともあったけど文章だとその心配はないからそのぶん推敲する時間と単純に携帯の操作に慣れていなくて返信が遅いとか小さい文字が打てていないとか何度かツッコまれたけど終始お互いに楽しい時間を過ごせたと思う。そうでなければきっと高梨なら返信をやめていたはずだから。


「なに笑ってんの」


 高梨とのやり取りを思い出すことに一人ふけっているとバックミラーに映る対角線上の運転席の母さんと目が合う。気付かないうちに笑っていたらしい自分の口元を隠すように鼻の頭を掻きながら言葉を返す。


「笑ってないよ別に」

「ふーん。ほんとは__ちゃんに会うの楽しみなんでしょ。今更会いに来たって黄介なんて相手にされないかもねー」


 また一つ車が大きく揺れて肝心なところは聞こえなかったけれどおちょくるような母さんの言葉に言い返したらなんだか負けな気がしてバックミラーから視線をそらすと開き始めた瞳はさっきは気づかなかったいつもと違う外の景色に気が付く。


 視界の先は見渡す限り緑色の畑が広がっていてその視界ギリギリのぼやけ始めるぐらいのところから一層濃い緑色の大小様々な形の山が遠近感が狂うほど綺麗なコントラストでその存在を主張している。


 きっと飽きるほど見慣れた景色だろう。でも俺は初めて電車に乗った子供みたいに忘れてしまっていた外の景色に釘付けになった。






 それからしばらく代わり映えしないはずの景色を飽きもせず眺め続けていると一つ右折した先はまるっきり姿を変えカーテンをかけたかのように辺りは薄暗くなった。


「もうつく」


 母さんの言葉に車の前方へと視線を移すと二階建ての一般的な今の家ぐらい高いいかにもご年配と言ったような木々が街路樹のよう左右にトンネルのように続いていて歓迎するように一段と強い蝉の声を受けながら百メートル程進むと木々のトンネルは終わり、そして左側には古い木造の平屋が二つ向かい合うように並んでいて手前にある昔住んでいた自分の家に並行するように車は止まった。


「あーやっとついた」


 一日の終わりに出るような声を上げて車を降りる母さんの後を追うように俺も車から降りて家と対面すると懐かしさを越えてなんだかちょっと感動すらした。

 俺が生まれた町の育った家。もちろん経験したことなんてないけれど言い表すならそれは生き別れた兄弟に再開したかのような感情に近いかもしれない、なんてノスタルジックな気持ちに浸っていると。


「あれ」


 先を歩く母さんは自宅に帰るような背中で向いの一回り大きい家へ向かうから頭のなかが混乱したまま白鳥の子供のように母さんの後をつけた。


「ごめんいるー? 急だけど帰ってきたんだけどー」


 そして向いの家にチャイムも鳴らさずガラガラと引き戸を開けて少しも躊躇することなく玄関の中へと消えた母さんは大きな声で存在を家の住人に知らせている。


 後ろの俺はやっぱりさっきのが自分の家であってたと安堵しながらお邪魔しますと小さく口にして玄関の戸をくぐるとちょうどパタパタと音を立てて高そうな着物の上にエプロンを付けた女性が現れた。


「また急なんだから連絡してくれればいいのに」


 毎年こんな調子なのか母さんに不満を口にするこの人を俺は覚えている。そう、この人はあの子の母親だ。


「……あら黄介君ね? 今年は来てくれたのね! あーもうずいぶん大きくなって」


 俺の存在に気が付いたおばさんはそう言った後ぶんぶんと手招きをしてきたので目の前まで近づくと玄関の高さ分かがみこみ目線を合わせ細くて綺麗な目を糸みたいに小さく潰しながら笑いわしゃわしゃと俺の頭をなでた。


 小さい頃は全然意識してなかったけど確か母さんと同じぐらいの歳だったと記憶があるのに母さんとは比べものにならないぐらい綺麗なおばさんに少し戸惑いながらも返答した。


「は、はい。一応部活が終わったので」

「じゃあもう受験勉強頑張ってるって感じなのかしら。まぁえらいわーウチの子にも黄介君を見習ってほしいものね……というか外暑かったでしょ! 今冷たいお茶出すから上がって上がって!」


 まだ受験勉強を始めてすらないし部活にもズルズル出ていますとは言えないまま、なにか言いたげな表情で俺をチラリと見た後、廊下を上がり来た道をまた戻っていくおばさんの後についていく母さんに暑さとは別の理由で汗をかきながら遅れて俺も玄関を上がった。


 それから談笑しながら歩いていく母さんとおばさんの後を追いながら廊下を一つ右に曲がってボウリングのレーンぐらいありそうなほど長い縁側を歩いていると懐かしい木の匂いとともに記憶は蘇ってくる。


 この長い廊下でよくかけっこして遊んでたっけ。


 そしてなんでそんなことをしていたのかとも少し疑問に思う。だって縁側の外に落ちたりしたら危ないしそもそも走りたいのなら外で遊べばいい。

 でも当時はきっとそんなことを考える余裕なんてなかったんだと思う。外でもたくさん遊んでいたと思うけどその時はきっとただ一瞬一瞬が楽しくて誰かに好かれようとか不純なことは頭になくてあの子がいたらどんな場所でもどんなときでも楽しかったんだろう。


 色々と考えながら廊下の長い直線の終わりに差し掛かると最後にもう一つ思い出は蘇った。


 そうそうこの長い廊下で走り回ってはよくこの曲がり角でぶつかって二人して泣いたんだよな。


 記憶のなかであまりに危険だった廊下の曲がり角の直前に立ち止まっているとまるでその時を再現するかのように廊下の角から飛び出してきたなにかにぶつかって視界は高い天井に切り替わり浮遊感に包まれた後、後頭部と背中全般に痛みが走り視界は一瞬黒く塗りつぶされた。


「いって……」


 思わず声を出しながらなにかにぶつかって倒れたんだと数秒してようやく頭が追いつき痛みに閉じた瞳を開くと倒れた俺の顔の両横に腕を立てた四つん這いの状態で真っ白いワンピースを着た同年代ぐらいの女子が覆いかぶさるように上にいた。


 もしこれがなにかの罪になって事件として取り上げられるとしたら百パーセント彼女が悪いだろう。なのに彼女はそんなことを感じさせないような笑顔で俺の名前を呼び矢継ぎ早に問う。


「黄介っ! ひさしぶりっ! 会いに来てくれたんだっ! 私のこと覚えてるよねっ!」

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