第3話 7月30日 【3】

 それから暗黙の了解により校門で下校の声掛けをしている怖い見た目の生徒指導の先生を尻目に通り過ぎそこからはしばらく直線の帰り道なので二人乗りをしているところを見られるのではないかと一言二言交わし校門を少し離れるまで歩くことになった。


 高梨と二人きりで帰るなんて思ってもみなかったことに内心飛び跳ねるぐらいの嬉しさを抑えながらも頭のなかには一抹の不安が過る。高梨が一緒に帰ろうと俺を誘うなんていったいどういう風の吹き回しなんだろうかと。


 仲がいいなんて自分で思っている割には休日に会っているわけでもなく本当にただのクラスメイトといった感じで中学に上がってからは班で登下校することもなくなり一緒に帰るのなんてそれから初めてのことだった。一生のお願いが通じたのか初めて同じクラスでしかも隣の席になれて今まで以上に距離は近くなっていると思うが。もしかして俺に好意があったりするのではないのか。


 ……いや、ただのタクシー程度にしか思っていないんだろうなと早々に俺を誘ったことについてのそれらしい理由を見つけてしまい悲しくなってきたので深く考えるのは止めた。


 そして気が付けば校門を出てから交わした歩こうという事務的な会話からそんなことを考えながら歩く四、五分の間にも俺もであるが高梨は一言も発することもせずにまるでなにかを忘れてきたかのように左隣のグラウンドを学校を覆う緑色のフェンス越しに見つめていた。

 その右隣の車道側を歩く俺は地に足が着かないままテニスラケットが乗った分重たくなったはずなのに無意識に自分の体より先行しそうになるバーハンドルの自転車を何度も引き戻しながら初めて会ったときのように彼女の横顔に釘付けになっていた。


 それはなんだか美術館の綺麗な絵画を見ているような気分で一言も発してはいけないような雰囲気だったがせっかく二人きりで歩いているんだからなにか喋らなければと思いとっさに頭に浮かんだ部活の話題を切り出した。


「そういえばテニス部昨日大会あったみたいだけどその、どうだった?」


 特に当たり障りのない質問のつもりだったのにようやく俺のほうを向いたその顔は明らかに曇っていたのでまずいことを聞いてしまったかと思っていると高梨は苦虫をかみつぶしたような顔で口を開いた。


「一回戦負けだけど」


 そんなに目立ってなかったけど高梨は小学生のころから男子に負けないぐらいに足が速かったし球技とか鉄棒とか縄跳びとか体育のあらゆるもので誰よりも綺麗にそして涼しい顔でこなしていたのでとても信じられなかった。

 しかし当の本人がそう言っているので無責任にも俺はなにも返答することができずにいるとお通夜のような重々しくどんよりとした空気が辺りを包んでしまう。


 再びグラウンドに視線を戻した高梨を今度は職員室のなかを歩いているような気持ちで見ながらさっきよりもやけに存在を主張してくる緑色のフェンスの繋ぎ目を十個通り過ぎると高梨はその沈黙を破った。


「一回戦の相手がさ小さいころからプロの指導受けてるような子でさそんなの勝てるワケないっての」


 吐き捨てるように言い放った言葉とともに高梨の横顔は悔しさで滲んでいるように見えた。


 俺は傍から見ていただけだけどそれでも部長として選手として真剣に部活に取り組んできた彼女を知っているしこの目で何度も目撃している。そして個人競技と団体競技、しかもこっちは明確に俺の凡ミスで負けたと恐らく状況が全然違うけど負けて悔しいという気持ちは痛いほどわかった。

 だから少しでもそれを和らげたくて考えるよりも先に俺の口は自然と動いた。


「でもそれって決勝戦みたいなもんだろ」


 俺がそう言うとこちらを向いた高梨の顔は間の抜けたようなポカンとした1+1は100ですとでも言われたような一ミリも理解できていないような表情で正直自分でもなにを言っているのかわからなかったが止まらなかった。


「だって勝ち進んだら結局一番強い奴に当たるわけだし。だから一回戦敗退じゃなくて決勝戦敗退……で、高梨は本当は二位なんだよ」

「……はぁ? 意味わかんないから」


 並べられた言葉は少しきついものだったけれどこれは高梨のいつもの口調でありそのストレートな物言いに敵を作ることもあったみたいだけど俺は全然気にならなかった。好きというフィルターを通しているからかもしれないけれど。


 そして高梨が少し強い言葉を使うときには大体裏があったりする。恥ずかしいとか悲しいとか嬉しいとかそういう照れ隠しみたいなものが。その証拠に強い言葉とは裏腹に再びグラウンドに移った横顔は笑っていたから。


 俺なんかが誰かの高梨の問題を解決できると思ってないし呆れられただけかもしれないけど少しでも気が紛れれば笑ってくれればそれでよかったからほっとしていると今度は高梨のほうから会話を始めてくれた。


「そっちはどうだったん大会。他の三年出てないから終わっちゃったみたいだけど」

「こっちも一回戦負けだった」


 本当の結果は三回戦負け。別に気にはしないと思うけれどこっちのほうが戦績が上でなんだか申し訳なくなった俺は嘘をつくと高梨もまたまずいことを聞いてしまったと思ったのだろうか一瞬眉をひそめた。


「強いとこだったとか?」


 そしてすかさずフォローを入れてくれたがここぞとばかりに俺は畳みかける。笑ってくれと心の中でPK戦のシュートが入るのを祈るように。


「いやーそれがめっちゃ弱いとこでさ最弱の決勝戦みたいなもんだった」

「なにそれ」


 するとようやく完全に車道側に体を向けた高梨は俺の背中を叩きながら笑った。笑ってくれた。

 俺のせいで負けた試合に対してこんなことを言うのは罪悪感と再び滲み出てきた悔しさで少し心が痛んだけど今はただそれ以上に彼女の笑顔がなによりの最優先事項だった。




 それから二つ目の曲がり角に入った俺達は言い合わせたわけでもなく同時に足を止め体半分を曲がり角に残した状態で校門の方角を確認すると民家の屋根やら電柱やらにその姿をすっぽりと隠していてようやくこの時がきたかという嬉しさが込み上げてきたが忘れられていないかとからかわれているんじゃないかという不安と疑心にかられて再び歩きだし完全に角を曲がろうとしたが高梨が俺のシャツの裾を小さくつまんでそれを止めた。


 その姿にもうなんだってできそうな気がした。今なら百メートルの世界記録を破れる気がしたし空中でもう一度ジャンプだってできる気がした。

 見逃しても気にならないと思っていたドラマや漫画で簡単に行っているこの行為がいかに重要なことかを噛みしめながらこの気持ち悪いまでの高揚が伝わらないように一度心のなかで深呼吸を行った。

 そしてゆっくりと車体を左隣にいる高梨のほうへと傾けて荷台に腰を掛けるような横乗りの状態で高梨が体重を乗せたのをしっかりと確認してから右側のペダルを逆回転で時計の二時頃に止め直して初めて自転車に乗ったときのように慎重にペダルに体重をかけた。


 二人乗りなんて友達と何回もしたことがあるのでそこまで心配はなかったが高梨の場合は本当に後ろに乗っているのかと心配になるほどスムーズに自転車は加速していき、そして高梨は俺の腰に右手をそえた。


 それは落ちないようにバランスを保つためだと頭で理解しながらも俺を頼っているとか後ろに乗っていることを主張しているとか徐々に都合のいいように錯覚させようとするからよこしまな考えを引き締めるためにハンドルを強く握ったがちょうど事件は起きた。

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