第一章 ある二人の少女の出会い

理由なき運命《いたずら》

 私は…なんでこんなに……




 はしっているんだ……?




 理由ももう……わからなくなってきた……デもワかル……




 あそコニはモドルナ…ゼッタイニ─────











 ◇ ◇ ◇ ◇






 雨が冷たい。

 薄暗い空気と異様な雰囲気の森林は、とっくに慣れていたはずなのに、何故か今だけはなにかに心が塞がれてる。

 そんな気がする。

 それはついさっき、あのはるか上の街の崖からこぼれ落ちた誰かをみたせいか。それとも、その誰かの安否を確認するために木々の合間を駆け抜けているせいか。はたまた、任務という秩序をこれから乱すことになると直感しているせいか。

 理由はまだわからない。



「見つけたよマリ!こっちこっち!」



 森の奥から聞こえてきた私を呼ぶ声を合図に身体を加速させる。

 たちまち、先に対象を発見していた仲間と当の対象らしき人物の姿が見えてくる。



「どう、容態は?無事?」



 足を止め、言葉を急がせ、状況を尋ねる。

 それと同時に視線を、地面に仰向けで横たわっている対象に落とし、目視で可能な限りの特徴を探る。




 ー女の子だ……弱々しくも…溶融するかの…まさに眠り姫だー




 年は背丈、顔、体の輪郭からして私と変わらないぐらい、おそらく9,10歳辺りに思える。胸元まで伸ばされているやけに目立つ赤茶色に染め上げられた髪は、小枝や木の葉が見え隠れするように絡まっている。細身で純情な面影を残す容姿は、『可憐』という言葉が似合いすぎている。

 …いや、容姿だけじゃなくて存在レベルでそうなのかもしれない。そう思わされるぐらいに、私は彼女に神秘的な何かを見出している。


 そうに違いない。



「木の上に落っこちてた。大丈夫、生きてる。気は失ってるけど特に目立った外傷はない。上手いこと木がクッションになってくれたっぽいね」



 対象の様子を再確認するためか仲間の黒目が、対象に向き、そう答えてきた。

 生きてるという言葉に張り詰めていた心が少し緩わされるも、まだ詳しい容態がわからないので、再度心を引き締め、今後の対象の処置を思案する。



「もしかしたらどっかに強い衝撃がいってて、脳とか内蔵とかに異常があるかもだけど、少なくとも今すぐ死ぬことはない。断言するよ」


 最後の言葉を表情を変えずに、少し不気味に感じるほどに、仲間は強く言う。

 その言葉が意味することを、私は理解した。

 『対象の生死』という緊張が完全に解ける。



「ただなんというかこう…消えちゃいそうな感じ?がするというか…なんというか?」


「ごめん何言ってるのかわからない」




 ……。




 思わず心で呟いたはずの声が漏れてしまった。

 さっきまでの真剣な空気はどこへやら、微妙な空気へと早変わりする。



「あいっかわらず、あんたの例えは分かりづらい。独特すぎるのよ!」



 少しの怒気と唖然とした調子を載せた声が、背後から聞こえる。振り返ってみれば、もうひとりの仲間がこちらに向かって歩いてきている。

 私に一足遅れてここに来ていたようだ。



「いやでもホントなんだって。息はしてるし、死ぬ感じもまったくないのに、魔素と科素が全く反応しないんだよ、全く!」


「…だったら最初からそういえばいいじゃない。変に例えようとするのが悪い。唐突に消えるって言われても目に見えて変わってるわけでもないんだから理解できるわけ無いでしょ!」


「……まっ、それはそうなんだけどね……初めての感覚なんだよ、ここまで違和感を感じてるはずなのに気配を感じ取れないのは」



 言い訳じみた焦り声と説教じみた怒り声が、飛び交っている。

 既に見慣れたこの光景。気まずかった雰囲気も、少しの気休めを含む緊張した雰囲気に切り替わる。


 なお当の本人達は別の意味で緊張感が高まっているわけだが……。


 右から左には純粋な苛立ちの視線が、左から右には作り物な友好の視線が、ぶつかっている。

 少し遠い目で二人の成り行きを眺めていたが、私の考えがまとまってきたのと、これ以上対象を放置するのはあまり良くないと思ったので、二人に声をかける。



「はい、二人ともその辺にしといて。そろそろ本題に入りたいから」


「!……そうね、少し熱くなっていたわ。ごめんなさいね、マリ」

「僕もごめんね…ちょっと周りが見えてなかったよ」



 少し止めればこうしてわざわざ謝ってくれる。話を戻しやすくて非常に助かる。



「それで、これからこの子どうするの?マリ。この森から出て適当なところに預けに行くのか、それとも『あの街』に帰しに行くのか。私は帰しに行ったほうがいいと思うわ」



 そう言って『あの街』を指差す仲間。


 今言われた二つの案も考えなかったわけではないし、間違いなく安全択ではある。


 なぜ対象は落ちることになったのか。そもそもなぜ落ちれているのか。結界は発動しなかったのか。

 対象の親だって心配しているかもしれない。

 それに対象は本当に治療の必要はないのか。全くの無事なのか。


 考えれば考えるほど浮かび上がる疑問と不安。考えなくてもわかる只事じゃない事態。

 どうしても拭えない嫌な予感は、今回の件は深く関わるべきではないと示唆しているかのようにすら思える。



 

──だけど… 「いや、その二つとも違う…」




──それでも… 「私は対しょ…この子を…」




──もう、とっくに…




「私達の家に連れて行くべきだと思う」




 私の中での最善は決まっていた。




 驚きに目を動かされる仲間。面白いと口を笑わせる仲間。



「…理由を聞いても?」



 困惑を隠しきれてない声色で問いかけられる。



「あんなところから落ちてきたんだ。捜索隊の一つや二つは出てくるだろうから下手に森の外に連れてくより、森の中で待機していたほうが、その捜索隊に引き渡しやすい。あの街に連れて行くにしたって手続きとか諸々で面倒くさくなって引き渡すのに遅れるかもしれない。だったら私達の家に連れて帰って、この子と、街の対応を様子見するのが一番無駄がないし、この子のためにもなる」



 それらしい説得の言葉を長々と話し、まだ懸念を残す顔のままの仲間を見る。



「…あそこは『隠れ家』だってこと、忘れてないわよね?」


「その辺は大丈夫なんじゃない?ちゃんと結界張ってるし、街の人間にはバレないでしょ」



 私が答えなくとも、私の考えにおそらく賛成なのであろう口調で仲間がその疑問に答えてくれ、その答えに「まあ、確かに…」と仲間は理解を示してくれる。



「そんでこの子には隠れ家のことは喋らないように言っといて、街の人間が来そうになったら僕がその時言って、うまく引き渡しに行けば何も問題ない」



 もはやほとんど私の計画を見透かしていた仲間が、今後について補足してくれた。

 「確かに合理的だわねぇ…」と呟く声が聞こえる。

 …が、その声とは裏腹に、不機嫌な表情を貼り付けた顔の顎に握りこぶしを当て、考え込む姿をしている仲間が映る。



「でもそこまでする必要、あるかしら?家に関しては『バレにくい』ってだけで『バレない』って決まっているわけじゃないわ…それにこんな状況だもの、面倒事の可能性だって十分あるわよ」



 そう、自分達の保身を考えるなら、このまま見なかったふりだってできる。わざわざ安全かどうかもわからないことに首を突っ込むのは愚か者のすること。




──でも私はね…


 助けなきゃと思った。

 助けれると思った。

 助けるべきだと思った。


──だから……




「大丈夫。そういうのは全部私がなんとかする。私はこの子を助けたい」



 合理的な理由なんて、結局のところ全部後付。

 理由なんてない。ただいたずらに、訴えかけてくる直感を信じ込んでいるだけなんだ。



「……そうね、あなたはそういう人だものね……マリ」



 なにかに納得して静かにうなずき、優しそうに薄目をあける仲間。



「僕としても、ぜひともこの子は手放してほしくはないね。間違いなくなにか面白いもの持ってるから、このまま関係終わらせちゃうのはもったいないよ」


「……あんた、今、ものすっごく性格悪く笑ってる自覚ある?」



 またもや、つぶやくようなため息混じりのツッコミの声がする。



「……わかったわ。そこまで言うならマリの言うとおり、この子は私達のとこで少し面倒見ましょ」



 青く澄んだ目がクイッと私に開き向けられる。

 私を信頼すると言わんばかりの調子で。

 私はその目に応えるように少し微笑んで見る。


 説得に成功したようでよかった。損得勘定でいつも冷静に対応してくるから、あんなに曖昧な言い方で納得してくれるかどうか心配だったんだ。


 私と仲間、お互いの懸念が晴れ、皆の不満がなくなったところで、チームの方針を確認する。

 少しの決意と覚悟を持って。




「私達『ノバイスゼロ』はこれより、正体不明の少女の救助を最優先事項の目的として行動していく。目標は少女を私達の隠れ家に連れていくこと。至急、行動を開始する」


「「了解!!」」




* * *




 未だに止まぬ雨の音、行けども変わらぬ森景色、それでもなぜか、気分は悪くない。

 行きに感じていた胸のざわめきは、北へと帰路を辿っていく中で少し収まってきたようだ。

 それはきっと、行きにはいなかった正体不明の少女の存在のおかげ。

 ふと背中の方に顔を向け、私におぶさっている当の少女を見てみる。


 どこか無機質な表情のまま動かない顔。

 こうしておぶさってみても、なにか違うと思わされる不思議な存在感。

 具体的に言えば、背中に乗っかっている感触に対してすごく軽く感じてしまう。

 それが物理的なものなのか、心理的なものなのか。


 今はその軽さに感謝してみる。

 よく気を失ってる人を運ぶのはきついと聞くのだが、今現在そこまで苦に感じていることはない。

 ……しかし、それとは別に私は非常に不満に思っていることがある。


 いや別この子を運ぶことを罰ゲームみたいに言うわけじゃないんだけどさ。


 ーなんで私が運んでんの??ー


 移動する上で役割分担が必要だという話になった。

 そこまではいい……。

 最初の一言が「じゃんけん負けた人がこの子運ぼう!」じゃなければね。

 自分で言うのもなんだけど私最年少だよ!そこはもっと合理的に決めていこうよ。

 ノリでじゃんけんしちゃった私も悪いけどさぁ!

 ……まあ結果的に見れば足の速さとか警戒力とかの関係上、割とベストなのかもしれないからいいけど。


 言い訳だとわかっていても背中のこの子へのとはまた別の『なにか違う』という思いが残る。

 せめてもの抵抗として、私の一歩前とその少し奥で走っている二人に不満だと視線を送る。

 心なしか二人の足取りが一瞬ぎこちなくなった気がした。



「……!警戒して、結構多い……」



 突然の仲間の報告で心を切り替え、感覚を研ぎ澄ます。




 緑の匂いをかき消し、鼻の奥に妙に残る独特な刺激臭。

 雨音のむこうにかすかに聞こえる草木の擦れ音。

 薄暗さだけじゃ誤魔化せないほどの葉の揺れ。

 不気味な森に負けない刺々しさをもつ空気。




 ──もう慣れているとはいえ、このタイミングであまり出会いたくなかったな…しかもこの数を。



「『怪物』…か……」



 自分に言い聞かせるように、わかりきったことを呟く。



「前に向かって右に魔物2、科物1、左に魔物1、科物2がくるかも。それ以外は無視してそのまま走って」



 いつもであったら一匹一匹を各個で狩るところだが、いかんせん気絶患者と、その運び手の私はまともに戦えないので、私のカバーに一人、先行して安全を確保するのに一人、それぞれ役割分担して早急に帰宅している。


 安全確保役の仲間が戦闘態勢に入る。8本のナイフをそれぞれ指の間に挟んで。

 間髪入れずに、8本のナイフがほぼ同時に暗闇に投げ出される。

 「ぐぎゃ…」「ぐぎっ…」という断末魔を残して消えていく、大小様々な気配。数えて8つ、それも一撃必殺で狩られた理性なき獣の死体が出来上がっていた。

 それまでなかった『安全な道』を作り出すのに最適化された狩り具合には、こんな状況でも感心してしまう。

 すかさず、怪物に狙いを定めた無音のナイフが1つ2つと一直線に、時には攻撃耐性の先に、時には回避行動の先に飛び貫く。



「……!やっべ…1本外した……」



 …が百発百中とはいかなかったようだ。


 案の定、右斜め前方から仲間が狩りそこねたであろう、狼型の魔物がこちらにきている。

 私より一回り大きい獣は、私に狙いを定め、牙を向かせ、前足を上げる。

 しかし、その前足が私に届くことはなく、次の瞬間には首が切れ、すべての力を失い、血を撒き散らすだけの死体になっていた。


 カバーに移る体の動き。

 首を下からなぞるような剣筋。

 一連のことに、音は感じられなかった。

 左からの仲間の支援は頼もしかった。



「私がいるからって半端な仕事するんじゃないわよ!」


「ごめん、ミスった!頼りにしてるよ!」



 カバーした位置から私の一歩前の位置に戻った仲間が、まだ奥でナイフを投げ続けている仲間に厳しい声を上げる。

 しかしこの悪環境、蠢く怪物達相手に大量の木に阻まれている中で1本2本外すのも無理はない。むしろそんな中、投げナイフのほとんどのナイフを相手に合わせて適確に急所を突き刺しているだけでもすごいことだ。


 スムーズにカバーしてくれた仲間と合わせて、二人の活躍のおかげでここまで一切足を止めることなく楽に少女を運べて感謝している。


 「あんたに頼りにされたところで嬉しくないわ」なんて呟き声が聞こえるぐらいに不服に思ってる人もいるわけなのだが。



「こっから僕もさばききれなくなる!そっちに何体かいくだろうからカバー役よろしく!」


「!…わかったわ、あんたは厄介そうな敵だけに集中しといて。残りは私でどうにかする」



 進めば進むほど、怪物達の瘴気が強くなってくる。

 警戒はしていたものの、襲ってくることはなく、むしろほとんどを無視して走ってきたところだが、ここからはそうはいかないようだ。



「マリはそのまま走ってて大丈夫。一応何があっても避けれる準備だけしといて」



 …がそんな心配も無駄だと言わんばかりの声と、目の前の光景。


 勢いに任せた前からの突進に一撃。

 不意をついた後ろからの噛みつきにまた一撃。

 挟み撃ちを狙った横から同時のひっかきに一閃。


 どれも私に攻撃が届く直前に繰り広げられた鮮やかな一瞬の動き。


 1体、2体と斬るたびに怪物の吐瀉物で赤に、緑に、紫に、染められていく仲間の剣が輝いて見える。


 この調子なら割と簡単にこの状況を切り抜けられそうだ。



「え、まじ?急所刺してるのに倒れてない奴いる……」



 …なんて思った矢先に、不穏な気配がしてきた。



「ごめん二人共!1体厄介そうな奴行った」


「っっ──どっから来る!?割とこっちきつい!」


「左から熊型!急所のとこちゃんとナイフで貫いてるのに動き速い。僕もカバー行く?」


「…いや、あんたはそのまま前の方の奴らお願い。そいつは私が対処する」


「いやでも結構タフそうな感じするし、倒しきれないかもよ!」


「っ!──ああもう、なんでこういうときに限って面倒くさそうなやつがくるの!」



 緊張感が場を支配し始めていく。


 いくらここまで順調にことが進んでいったからといって、慣れない脱出行動をしていれば自然と精神は削れていく。

 今の二人の焦り声と、行き場のない怒り声を聞けばその様子もよくわかる。




 であるならば…



「二人共!その厄介そうな奴は無視していいよ」




 私が二人の精神に余裕をもたせればいい。




「!…マリっ!それはあなたが危険だわ」


「大丈夫!二人は前で道作っといて」




 私のできる範囲で。




「私はそいつの攻撃を避けるから」




 一瞬戸惑う二人。



「……まったく、随分自信家ときたねぇ…了解」

「わかったわ…すぐこっちに来るんだよ」



 …だが即座に理解してくれた二人から了承をもらう。

 二人は少し加速し、私から離れる。

 それを見届けたところで、心を集中させる。




 ──音も、光も、味も、匂いも、感触も、何もない、たった一つでたった一人の空間を作るように…


 ──無駄に考えない…ただ直感に任せるように…意識を……




 ──醒ます!




「安心して…君は私が守るから」



 を、聞こえるはずもないのに、背中で未だに眠る少女にむけてかける。支えるこの手に力を込めて。



 ー来る…左!ー


 五感にはまだ反応してないものの、直感では捉えられた。

 すぐさまその方角に顔を向ける。

 迫ってくるのは体長3,4mはある、ドス黒い毛皮とオーラに包まれた熊型。

 対象が4足で走っていることを知覚したときには既に、対象は二足で立ち、右手を振り上げている。

 その勢いを表すかのような、怒り狂い、理性をなくした形相が目に入る。




 目が合う。狩る側の目。一挙も許さないと本能で捉える目。




 ならば本能で描かれたその目論見に抗ってみせよう。

 生存への道は既に導かれてる!




 すぐさま私は左足を近くの木に移動させる。

 同時に対象の右手の爪が私を引き裂かんと振り下ろされ始める。


 …だが、焦ってはならない。

 一瞬の逃避行を成功させるための一瞬を待とう。

 コンマ何秒の世界を落ち着いて感じ取る……。

 狙うは対象の身体が動ききる瞬間。


 私と爪に3,40cmの距離感。




 ー…今!!ー




 心の声を身体に反響させるように、左足を蹴る。

 木と垂直を成していた左足から伝わる反発力で対象の身体の向きと垂直右方向に身体を地面と水平にして跳ぶ。


 その勢いだけでは避けきれない。

 そもそもの勢いが少女を担いでいる状態の影響で落ちているから。


 空中で、反発を多く受けた左足を右向きの力を増幅させるようにひき、上半身をひねって体の向きを再度正面に向かせる。


 左耳に『ブゥゥン』と低音で響く風切り音が伝わる。


 初撃を躱し切れたところで、2撃目の対象の左手が進行方向を潰すように動き始める。



 勢いを殺さず左足を背中の少女の足にひっかけ、固定する。

 右足を近くの木にもっていく。

 力を込めるのではなく流すように右足を蹴る。

 右方向の力を失うことなく前方向の力が加わり、身体が右前方に跳ぶ。


 対象はその動きに反応し、左手を限界まで伸ばす。


 爪がぎりぎり私に届きそう。


 身体全体を使って右回転をし、背中側に加わった力を右へと流す。

 一度も地面に足をつけなかった勢いそのまま、私の身体の前面が対象の左手の爪とすれすれの位置を通る。


 おそらく全力の攻撃の失敗で怯んでいるであろう対象を置き去りにし、すぐさま仲間と合流するため、直感を頼りに森を駆け抜ける。




 ー…いた!ー




 安堵感からだろうか。


 その心の声を機に、徐々に感覚が戻っていく。

 『私』が現実に帰ってくるような…『』ことが確定していくような感覚が。



「二人共!逃げるよ!!」



 私だけの声がよく響く。



「オッケ〜!」「わかったわ!」



 二人の返答がちゃんと聞こえる。


 既にかなりの数の怪物達に囲まれている中、見える一筋の死体の道。

 二人がおそらく作り出したであろうその道を全速力で三人一斉に突破する。


 気配が遠ざかっていく。

 怪物達の嵐から抜け出せたようだ。




 静かになった。




「いや〜中々手強かったね〜」


「そうね、久しぶりの緊張感ある戦闘だったわ」



 落ち着いてきたところで各々が感想を言う。

 どうやら戦闘中で疲弊していた心はちゃんと持ち直したようだ。



「──にしてもマリはよく逃げ切れたね。すごい自信満々な顔で『任せて』なんていっててちょっと僕焦りそうだったけど…やっぱ杞憂だったか」


「二人の負担を少しでも軽くしたかったから私でもできることをやっただけだよ」



 心配していたと言わんばかりの声色に申し訳なく感じながら答える。

 今考えてみれば、二人の力になりたかったとはいえ、人を担ぎながら怪物の攻撃をすれすれで避けようだなんて発想は、無茶だったかもしれない。



「『だけ』っていうけどこっちは十分助かってたわよ。ありがとう、マリ」


「むしろこっちこそ、適確に対応して私が楽になれるように頑張ってくれてありがとうだよ」



 両隣で共に走り続けている二人に感謝を述べる。

 二人が優しそうに笑ったのが横目に見えた。

 その二人の笑顔を見てか、自然と私も笑みがこぼれた気がする。



「……そういえば、あの熊型どうなったんだろう」



 熊型の怪物のことが不意に気になった。



「あ〜、そいつ死んでたよ。元々僕が急所ぶっ刺してたから、それで力尽きた感じかな。追いかけてこないか気配探ってたんだけど、ちょうどマリがきたタイミングで気配消えてた」



 仲間の答えを聞いて思わず「よかったぁ」と呟く。



「ねぇマリ。その怪物ってどんな感じだった?話聞く限り手強そうだけど、私でも倒せたかしら……」



 質問の声に自信をなくした気持ちが伝わる。

 自分で対応できなかったことに不甲斐なさを感じているみたいだ。



「う〜ん…戦ったわけじゃないから倒せたかどうかは正直判断できないけど──少なくとも戦えるだろうし、あんまり苦戦もしないんじゃないかな──まあ実際に戦ってみないとわかんないけどね、お互いに」



 実際、あの素早さは侮れないと感じた。

 常人だったら間違い無く反応すらできずにやられるだろうし、反応できても雑に避ければそこを狩ってくるぐらいには知性もありそうだったから。

 色々なギリギリを狙って、たまたまうまくいったからからこその無傷の逃避行なのだ。



「いやいや、あんだけ速いやつ相手に使で逃げ切った人がよく言うよ。もう僕よりもすばしっこくなってんじゃない?」



 あいも変わらず楽しそうにして、けたけた笑いながらそうつっこむ仲間。


 最小限の力で最大限の結果を起こすことを意識して逃げていたことが気づかれていたことに少し驚かされる。


 まあ、相手は急所を貫かれても生きてるような奴だから戦うのは分が悪いと思って避けてただけなんだけどね。



「こいつがすばしっこいっていうなら相当速いみたいね……。ほんとによく成長したわねぇ……」なんて母親みたいな呟き声がもう一方の仲間から聞こえて、少し照れくさかったのはナイショ。



「そういえばマリ、ずっと聞き忘れてたけど、元々の任務はどうするの?こんな状況では少し厳しい気がすると思うけど──」



 その質問に「あ〜…」っと、とっさに声を出して仲間の声を遮り、伝え損ねていた私の考えを話す。



「そういえば伝えてなかったね。任務は続行不能で通すつもり」



 そっけない感じに言ったのが気になったのか、仲間は話を続けようとする。



「それだと初任務なのに失敗扱いされてしまうわ…いいの?」



 その問いに仲間の心配事が何かを察せた。



「別にいいよ。初任務だからこそ失敗してもそこまで評価とかには響かないだろうし、一応言い訳もあるしね」



 未だに起きる気配が感じられない背中の少女を少し見る。



「まあ、続けようと思えば続けられるけど…中途半端にやるぐらいなら潔くやめてこの子に専念したい」



 私の覚悟はそんな半端なものじゃないと伝えるように思いを口にする。



「それだけ考えているなら無駄な質問だったわね」



 おそらく今の会話で口にした献身的な考えとは裏腹にもあることを察したのであろう……。

 仲間はそれ以上追求してこなかった。






 何かが欠けていた。

 『欠けている』ことから無意識に目を逸らしてきた。

 そんなことになぜか気づいていた。

 今までも私は私であり続けてきた。

 うまくいったことも、いかなかったこともあった。

 そうやって私は間違いなく『人生』を歩んできた。


 足りないと感じたことはない。

 『不安定』を感じていたわけでもない。

 ただ単に『欠けている』と理解していただけ。

 いつしか普通のことだと思うようになった。

 しいていうなら時々、この状態を漠然と、純粋に、不思議と思っていた。



 先程まで気配すらなかった私達の家を覆う結界が、突如現れたかのように見えてくる。



 あの瞬間、こぼれ落ちていく人影を感じたあの一瞬。

 何かがかすかに、それでもたしかにハマった。

 、そんな感覚を体が、心が、思い出すかのようにしびれた。


 誰かがそういうふうに創ったかのように仕掛けられた運命いたずらのような出会い。

 理由なんてないのだろうし、そもそもそんなものいらない。



 走る足の動きが速くなる。

 近づく結界の濁りが徐々に無くなり、透明になっていく。



 この子が一体何者なのかはわからないし、ここにきて私が結局何者なのかもわからなくなってきた。



 体が結界と重なる。

 一瞬、淀み揺らめき、透明に濁る壁。



 それでも抗おう、私が望まない運命から。

 今たしかに掴みかかった私を見失わないようにして。

 無意識に探し求めていた『何か』を見つけるために。




 心の霧が晴れてくる。




 体が結界を通り過ぎる。


 神秘的な大自然を感じさせる光景が眼前に広がる。


 超自然とすら思える美しさを持つ1本の大樹に、その奥一面に広がる妙にキラキラして映る水面を持つ湖。


 先程までの魔境の地とは一変して、光明に包まれている見慣れた『私達の家』が、迎えてくれる。






 雨はとっくに止んでいた。

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