縁切寺

 鍋の中で温められた水の中からぽこぽこと立ち上ってくる気泡が、地面を伝わってくる微かな振動に揺れた。

 顔を上げれば、土手の開けたところに英の愛車が止まったところだった。淀みのない操作でバック駐車をし、英と芽瑠が降りてくる。


「やーごめん、遅くなった! 合歓も久しぶり!」


 掲げた肉の袋を振りながら、もう一方の手刀で拝むようにする英の後ろで、芽瑠が疲れた顔をして肩を回している。

 刹那たち子供+αねむの視線は、釣り餌のように揺れる肉の袋に釘付けだ。


「よっしゃ肉だー! お腹ぺこぺこ!」

「よく言うわ、アイス食べたんでしょ?」

「な、なんで知ってんだよハナ姉!?」

「そりゃあ、元々は私が食べたかったものだもの。軍資金を出したのも私」


 お分かり? と挑発するような笑みで紲那の額を小突き、肉を見せつけるように目の前をゆっくりと通過させてから、英は楪に袋を手渡した。


「お疲れ様です。事件はどうでした?」

「今のところなんとも。家族の喧嘩ゴタで父親が行方不明、以上」

「……えっ、それで何でハナ姉が出ることになるんだよ?」

「誰もいないはずの父親の部屋から足音がしたとかで、霊障じゃないかって」

「ほんと人騒がせですよ。しかも、行方不明だと通報したくせに霊障霊障騒ぐもんだから、『実は死んでいることを知っているんじゃないか』と二次捜査じゃ。付き合い切れねえからバックレてきたです」


 芽瑠は苦笑交じりの溜め息を吐きながら髪を結び、ポケットから新しい手袋を取り出すと、段ボールから事前に切り分けておいた野菜の袋を拾い上げた。

 それを合図に、子供たち+αも跳ねるように立ち上がる。


「よっし肉入れるぞー!」


 紲那は意気揚々と楪に飛びかかり、肉を奪い取ろうとしたが、さっと躱された挙句に手刀で面を打ち込まれてしまった。


「だーめ。こんにゃくと牛蒡、次にキノコとネギ。お肉は最後だよ」

「ちぇ。じゃあ味マルジュウは入れていいよな?」

「だーめ。それは一番最後」

「肉が最後って言ったじゃん……」


 揚げ足を取ろうと唇を尖らせてみたが、具と調味料は別でしょとあっけなく却下される。

 それでも何かを返そうと、紲那は頑張って頭を回してみるも、結局何も浮かばずに引き下がった。ガキの癇癪を装って暴れたところで、母という黄門様の両側からハナさんメルさんが飛んできて制圧されてしまうだろう。

 反抗期の突入に失敗した紲那は、山形名物の醤油風調味料『味マルジュウ』のボトルを指先でつつきながら、大人しく指示がくるのを待つことにした。


「そう気を落とすな。鍋奉行には誰も勝てないものさ」

「ま、負けてねえし!」


 満面の半笑いで茶化してくる合歓に、紲那はボトルの取っ手を掴んで冗談半分に殴る真似をしてみせたが、すぐに背後から膨れ上がった母の殺気に気付いて、慌てて取りやめた。

 肩を組んで口笛を吹きながら仲良しアピールをするジプシーたちに、咲希と結希の呆れた視線が突き刺さる。

 しばらくはしゃいでから、ふと合歓が言った。


「それにしても、随分和気藹々としているんだね。山形県民の芋煮に対する姿勢はクレイジーだと聞いたことがあるんだけれど」

「それは一部かつ、外部が絡んだ時でしょうね。お肉や味付けが違うってだけの話だから」

「ですです。東は濃い味、西は薄味ってのと似たようなもんですよ。郷に入って口を出せば、そりゃあ喧嘩になるですよ」

「良かった。縁切寺の目の前で大喧嘩とか見たくなかったからね」

「しないしない」


 笑って手を払う楪たちの中で、紲那は一人、合歓の横顔を見上げていた。


「縁切寺? 山寺って『立石寺』じゃないの?」

「悪縁を断つ御利益があるお寺を、縁切寺って言うんだよ」

「へえー」


 紲那は相槌を打ちながら、唸った。縁を切るという攻撃的な言葉が御利益になるということには驚いたが、悪縁が相手ならば、なるほどたしかにしあわせなことなのだろう。

 ならば、もしも。この願いが叶うのならば。


「――悩みでもあるのかい?」

「うん、ちょっとな」

「ほう、そこで『何でもない』とはぐらかさないのは良いことだ」


 不意に、すっと膝が曲げられて、合歓の顔が降りて来た。


「私で良ければ、聞くよ?」

「本当に大したことじゃないんだよ。ほら、オレんちって特殊な家庭じゃん? 父親が霊能者だったってのは、馬鹿たちにとっては格好のネタなんだ」

「ああ、わかるよ。私も遺顔絵師なんて生業をしているもんだから、その手の噂はしょっちゅうだ」

「俺にかかってくるだけならいいんだけどな。あいつら、咲希と結希を狙うんだよ」


 思わず、肩が丸くなる。仲間といれば固くなる強さもあるけれど、他人が――それも大切な友達が絡んでしまうことで、ぐっと弱くなってしまうこともある。

 その会話を聞くともなく聞いていた咲希がつかつかと歩み寄ってきて、「ん」とぶっきらぼうに塩の小瓶を押し付けてきた。


「なんだよ……塩を撒けって?」

「違う、味付け。やりたかったんでしょ?」

「お、おう……」


 優し気な口調とは裏腹に怒ったような顔をしている咲希と、その隣で同じようにむっとしている結希とを交互に見て、紲那は首を傾げながら塩を受け取った。


「言っておくけれど、私たちと縁切って独りになりたいとか言ったら、怒るからね」

「からね」

「言わねえよ。俺が縁を切りたいのはあのバカたちの方で――」


 そこで紲那は言葉を止めた。いや正確には、ぶんと目の前を虫が通ったような、視界が一瞬ブラックアウトする違和感に、言葉を止められたのだ。

 目を瞬かせる。生温い空気が襟や袖から潜り込んでくる。

 明らかな違和感があったというのに、どこか歓迎されているような……まるで冬場に帰宅した際、ストーブの温度を乗せた隙間風に出迎えられた時のような、奇妙な感覚。


「今、何か通った……?」


 それは咲希たちも感じていたようで、夏場だというのに、寒さを堪えるように腕をさすって周囲を見ている。

 そこで合歓が、拙いぞ、と低く唸った。


「見ろ。楪さんたちが消えている。……いやこの場合、消えたのは私たちの方なのかもしれないが」


 彼女の視線を追って振り返った紲那たちは、あっと声を上げた。

 そこには、しゅうしゅうと火のかかったままの芋煮鍋だけが、ぽつんと残っていた。




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