願いと誓い

「ごめんね、朝から呼び出しちゃって」


 壁一面に米沢各地の風景写真が飾られたフロントの前を、楪は英、相森とともに腕いっぱいの書籍類を抱えて通り過ぎた。


「依頼したのは僕なんだから、気にしないで。むしろ、出来ることがあって嬉しいんだ」


 エレベーターのボタンを押し、本を持ち直した相森は、「結局長南さんの力を借りることになったけれどね」と言って自嘲気味に笑う。

 これらの本やファイルは、米沢城址から程近くにある市立図書館のものだった。

 貸出カードの発行は置賜地方在住か、米沢市内に通勤・通学をしている者に限られる。そのため昨夜は閉館直前の図書館に駆け込み、相森にカードを作ってもらって、郷土史コーナーを物色したのだ。

 しかし急拵えのかき集めでは情報が足りず、こうして今朝も開館直後から図書館通いをしていた。女性陣と別れ自宅アパートで休んでいた相森を呼び出したまでは良かったのだが、貸出禁止書籍の持ち出しは相森のネームバリューでも叶わず、英の警察手帳で以てゴリ押す羽目になったのである。


「ただいま戻りました」


 英が支えてくれたドアを潜り、繋げたベッドの上に所狭しと開かれた本の中心で頭を抱えているニコラへと声をかける。

 熱に浮かされて唸るような返事とともに、後ろ手でベッドの端を指差されたが、見たところ置き場などどこにもない。仕方なしに肘で本を押しやり、空いたスペースにまた本を積み上げた。まるで見本市である。

 一方、ベッドを寄せたことで空いたスペースは絶好の遊び場と化していた。


「めるるん号、はっしーん!」


 刹那を背中に乗せた芽瑠が号令をかけると、幼い騎手はきゃっきゃと大喜びでお馬さんの背中をべちべちと鞭打つ。紲那の大好きな「めるるん号」という遊びである。

 四つん這いの体を前後左右に揺らしながら進んでいく芽瑠に笑いを堪えながら、英が備え付けポットでお茶を淹れ、楪と相森に差し出してくれた。


「朝から頑張ってるわね、芽瑠ママ?」

「同情すんなら代わってくれですよ。十を超えた辺りからは数えてねえ……」

「無理よ。私じゃ高すぎて、紲那が乗れないんだもの」

「だものー!」


 早うせいと手のひらで急かされた芽瑠は、げんなりとした顔でやけっぱち気味にひひんと嘶いた。


「身長的にはニコラでもいいんじゃねえです? 別にゴーレム人形じゃなくていいですから、オモチャを作ってくれい」

「……ええ、そうね。考えておくわ」


 生返事で返しながら、楪たちが持ってきた本をまさぐったニコラは、分厚いマガジンファイルの感触に気が付くと振り返り、あっと声を上げた。


「嘘、上杉家文書のコピーじゃない! よく持って来れたわね」

「桜の印籠でちょちょっとね。の方には職権濫用がバレちゃったけど」


 苦笑気味に舌を出した英の隣で、楪がお茶をすすりながら首を傾げる。


「有名な資料なんですか?」

「有名も有名、国宝よ! 鎌倉から明治に至るまでの、上杉家に関わる手紙やら年譜が残っているなんて、筆マメの最上義光公も真っ青なお家ぐるみのタイムカプセルなんだから。なんといっても、平成元年という現代に、当代の上杉家当主から寄贈されたって話がいいわよねえ!」


 ファイルを我が子のように抱き掲げ、うっとりと頬を赤らめるニコラに、楪たちは唖然と目を瞬かせる。


「……もしかして、ニコラさんは歴女ってやつですか?」

「でも昨日、山吉新八郎は知らなかったわよね?」

「まあ、マイナーですし、仕方がありませんよ」


 口々に論っていると、ニコラはハッと居住まいを正して、咳ばらいを一つした。


「……私は戦国専門なの。それに、忠臣蔵は価値観の不一致で余計詳しくないのよ」

「どこのバンドの解散理由よ」

「……だって。私にはどうしても、上官が乱痴気騒ぎを起こして処罰されたことに逆ギレをした四十七人のキの字たちが、刀持って押しかけたようにしか見えないんだもの。ああ、吉良を支持しているわけでもないわよ? パワハラがあったのは事実みたいだし」


 本当に興味がないのか、他人事のように言いながら、上杉家文書のコピーを手早く捲っていく。

 そこへ、ぜいぜいと大仰に息をしながら、恨みがましい目の芽瑠が戻って来て、楪へ紲那を押し付けるように抱えさせると、どっかと尻を付いた。


「つっかれたあ……そっちはどうです、収穫は」

「……解らない。そもそも何がとっかかりになるかも判ってない」

「現状維持、か」

「……お馬さんごっこ、代わってあげましょうか?」

「ウチが悪かった。どうぞ続けてくれ」


 代わろうにも、専門外が過ぎて力になれるか怪しい。

 神妙な面持ちで肩を竦めた芽瑠は、英からのお茶を受け取りながら、もう一方の手でリモコンを引っ張り込むと、テレビを点けた。

 昼前のワイドショーが流れているのをぼうっと眺めていると、ちょうど、新刊の特集と題して、二色根が紹介されるところだった。


「真知さん……」


 肩を抱くようにして呻く相森の表情が痛々しい。


「そういえば、取材のために東京に行くと仰っていましたね」


 楪たちも心なしか警戒態勢になり、前のめりになって画面に食い入った。今のところは、画面に『異なるもの』が映り込んでいる様子もないのが、一先ずの救いだった。

 ホラー作品の特集にはやや似つかわしくない満面の営業スマイルを浮かべたリポーターが、対面で楚々と座っている二色根に語り掛ける。


『現代に蔓延る悪意を鬼に擬え、救いを見出す人間ドラマ「百鬼夜行」! 私も拝読したのですが、他人ごとではない身近な怖さに震えながら、でも主人公の決意にも感動して……とても素敵でした!』

『ありがとうございます、恐縮です』

『この作品は、いわゆる「ヒトコワ」というカテゴリーに属するとお伺いしたのですが、こうして二色根先生とお会いすると、とてもお美しい方で……作中のような悪意とは無縁のような。ええ、この方が? という驚きもありました』


 リポーターの一言に、二色根の頬がわずかに固まった。おそらく殆どの視聴者が気付かないだろう一瞬。しかし、昨日の彼女の態度を目の当たりにしていた楪たちに緊張が走るには十分な時間だった。

 リポーターは気が付いていない様子で、話を続ける。


『ちなみに、着想は何だったのでしょうか』

『はい。先ほどお褒め戴いた矢先でなんですが、私、学生時代にはクラスメイトから「エイリアン」や「バケモノ」と呼ばれていた時期があったんですよ』

『ええっ、そうなんですか!?』

『その頃から、人間こそが鬼なのではないかと思うようになりました。着想があったとすれば、あの日々でしょうか』


 失言に気付いて声の上擦るリポーターに向けた微笑みは、宥めるためのものだろうか。あるいは、嘲笑うものだろうか。


『しかし一方で、鬼や怪異にも良いモノはおります。私の故郷である山形に因んで例を挙げれば、「泣いた赤鬼」や「鶴の恩返し」などがそうですね。せっかく醜く生きるのならば、斯く在りたい、斯く在って欲しいというと願いも込めています』

『斯く在りたい、は解かるのですが、斯く在って欲しい……とは?』

『クス……そのままの意味ですよ。人が得体の知れない怪異に対してその怖さを想像するのは、裏を返せば、そう在って欲しいという願望です。恋をした人が相手に理想を見るのも、また願望です。のろいとまじないが表裏一体のように。愛憎とは、皮一枚隔てただけで転変してしまう』


 二色根の視線がカメラの方を向いている。それはまるで、画面越しにこちらを見透かしているかのようで――


『拙作を読んだ方が本から顔を上げた時、目前にいるのが鬼なのか、人なのか。よろしければ、こちらまでお教えくださいましね』


 かと思えば、急におどけたように可愛らしい笑みを浮かべて、エアーでテロップを差し示すような指先のジェスチャーをして見せる。『あっ、テロップ、出ますかね?』と便乗したリポーターに小さく舌を出す仕草は、無邪気な女性そのものだった。

 なんの悪意にも晒されていない、無垢な少女が進化した果てなのか。

 悪意に晒され続けて振り切れた、清濁併せ呑む女の深化なのか。


『それでは「百鬼夜行」の著者、二色根真知先生でしたー!』


 コーナーが締められ、お馴染みのスタジオ風景へと切り替わる。

 英が顎に指を当て、百鬼夜行、と咀嚼するように呟いた。


「……もしかして、あの遺体のような異形たちって、そういうこと?」

「あんなんがあと九十七もいるってことです?」

「白蛇のような例を考えれば、もっとかも」

「おいおい、ウチらみたいなのは対処もできますが、パンピーには無理じゃろアレ」


 英と芽瑠が顔を顰めて黙り込む。

 楪はふと、疑問に思ったことを尋ねてみた。


「でも、黒幕は高清水って人たちなんですよね? 二色根さんの仰ることも気になるかもしれませんが、彼女自身は被害者では?」


 どう思います、と楪たちはぐるりとニコラに視線を向けた。

 当の彼女はぶつぶつと、愛憎、愛憎、と呟いている。


「愛憎……そうか、明王! 何で気付かなかったのかしら、米沢、上杉、直江! ああもう!」


 神を掻き毟りながら立ち上がったニコラは、自分にむけられる視線に気付いてきょとんとした後、無言のまま腰を下ろし直すのだった。











――米沢市内、某所


 市内にあるアパートの一室で、部屋の主である女性の首が飛んだ。


 天井で跳ね返ってくる頭部は、ベッドシーツに受け止められて柔らかくバウンドする。恐怖に目を見開いた形相がずるずると物悲しく落ちていく。

 胴体の方の切断面に、血飛沫がいたずらに飛ばないよう枕で蓋をしたキズナが、共犯者を見やってほくそ笑む。


「ナイスキャッチ」

「ふふ、上手くなったものでしょう?」

「失敗作の数を考えれば、上手くなったってのも考えものだがな」


 キズナは肩を竦めると、高清水が丸めたシーツごと首を胴体の傍へ並べ、今しがた自分が屠った遺体に向かって手を合わせた。


「貧しき時も、病める時も――死せる時も。お前がそう誓ったんだ。恨むなよ」


 ポケットから一枚の紙を取り出し、ライターで火を点ける。

 生前の女性が笑顔で写っている半面に、落書きのような稚拙な線で描かれたヒトガタが寄り添うように並ぶ紙は、さながらブライダルフォト。そんな継ぎ接ぎの番が、ちりちりと燃え、赤茶に焦げた燃えカスと化していく。


「夫婦両殺の儀、これにて完了。これで三件全てか」

「そうね。ちょっと早いけれど、ランチにする?」

「ああ、それもいいな」


 燃え切った紙を鷲掴みにして粉にすると、キズナたちは腕を組み、何でもない帰り道かのようにアパートを後にした。

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