愛染明王堂

 滞在しているホテルを出た楪たち一行は、駅前から上杉神社までの通称・米沢通りを跨ぎ、市街地を南下した。

 東北・北関東に展開する鳩のマークのスーパーを通り過ぎた辺りで、南東へ向かえば、住宅地の中に紛れるようにして、鳥居に仕切られた細い路地が見えてくる。


「この先が皇大神宮ですかあ」

「……伊勢神宮から分霊を戴いた上杉謙信によって、元々は新潟に建立されたのだけれど、上杉家の米沢転封に伴って、米沢城から見て巽――吉方位であるここに遷座されたのよ」


 ニコラの解説を聞きながら路地を行けば、境内の正面が見えてくる。そこにもまた木鳥居があり、傍に控えるように赤崩石の常夜灯が二基並んでいた。

 楪は常夜灯の台座に刻まれた文字をむむむと睨んで、読めないね、と紲那に笑いかけた。追い付いてきた相森に、東のものが『丁卯ひのとう』、西のものが『癸卯みずのとう』と読むことを教えられ、やはり読めないなと苦笑する。

 気を取り直し、いざ境内の中へ――そう意気込もうとした楪だったが、同行者たちが皆一様に境内へ入らず先へ進んでいくのに、慌てて引き返した。


「えっ、ここじゃないんですか?」

「……もう少し先よ。言ったでしょう、愛染明王へ参りに来たって。皇大神宮の御祭神は天照大神たちよ」


 上杉謙信って毘沙門天じゃなかったでしたっけ、と混乱に脳をオーバーフローさせながら、はぐれないように英の背中に付く。

 もうしばらく歩いたところに、四角の石碑がそびえているのが見えてくる。目を凝らすと、英が代わりに「金剛愛染明王」と読み上げてくれた。

 この奥にある社が、目的地・愛染明王堂である。

 ニコラと相森の先導で、カツラの大木をぐるっと回り込む。


「現在の社は、大正にあった米沢大火で消失したものを、昭和十一年に再建したものです。しかし元々は、上杉が米沢へ入った頃に建立されたそうですよ」

「……成程ね。この辺りが、『愛の前立て』が愛染明王説である一端になるわけだ」

「もっとも、兼続が建てたという資料は残っていないようですが……ん?」


 ニコラが険しい顔をしているのに気付いて、相森が心配げに覗き込む。


「お加減が優れませんか?」

「……気にしないで、いつものことなの。ほら、私魔女だから、神仏のテリトリーに入るといい顔をされないのよ」


 ついさっきも皇大神宮を抜けてきたばかりだしね、と肩を竦めたニコラは、気を遣わせまいとしてか、努めて表情を引き締めた。


「……個人的には、愛のルーツは愛宕権現説を推しているわ。『伊勢へ七たび、熊野へ三たび、愛宕さんには月参り』とされるくらい霊験あらたかな愛宕山白雲寺は、ご本尊が勝軍地蔵。軍神に戦勝祈願するならうってつけだもの」


 それに、芽瑠と英がああ、と頷いた。


「そう言われてみれば、愛染明王の方はズレてる気もするですね。ウチの患者なんかは、専ら出産周りの祈願で参ってますし」

水商売ふうぞく関係者も参拝するって聞くわね。どうしてかしら?」

「……愛染明王は、煩悩や愛欲を昇華して、悟りに導くからよ。一応、戦勝の御利益がないわけではないみたいだけれど……明王が悪を調伏するという関係上、どれもそうなんじゃないかしら」

「そうか、だから愛憎と聞いて、愛染明王に行き着いたんですね」


 感心している相森の一方で、楪は小首を傾げていた。


「煩悩や愛欲って……仏教的には悪いものですよね? 妊婦さんはともかく、風俗の人が参ったら怒られませんか?」

「それはね――」


 説明しようと口を開いたが、相森は自分が楪に説明することを憚られたのか、ニコラに視線で助けを求めた。後ろで芽瑠が「ガキ産んでる女に何を今さら遠慮してんですか」と腹を抱えようとして、英に小突かれている。


「……西洋の宗教を想像してもらえると解りやすいかもね。すべてを淫欲として排除してしまえば、そもそも子孫は残らないでしょう? ああいうのにも、表裏一体の善と悪があるのよ。色々と社会問題になっているけれど、ああいう業界も言い換えれば救済。だから、悪い使われ方をしない、あるいはさせないようにと愛染明王に参るのは、正解なの」

「はえー。色々と考えがあるんですねえ」


 ぽかんとあっぱ口を開けて頷いた楪は、ふと、出羽三山神社を訪れた時に紲に教えてもらったことを思い出した。


――いい機会だから覚えておくといい。詣でる時は決意表明をして、達成した暁には感謝を込めてお礼参りをする。成し遂げるのはあくまで自分だ。


 いわゆる『願掛け』や『験担ぎ』といわれる行為も、心持ち次第ではただいたずらに吐き散らした悪しき欲望へと成り下がる。

 勝てますようにとねだるのではなく、勝ちに行くから見守っていてくださいと願う。言葉を上手く挿げ替えただけのように見えて、その差は大きい。


「じゃあ紲那、お参りしよっか」

「だい!」


 気が付けば、自然と足が動いていた。腰を落とし、太ももの上に刹那のお尻を固定するようにして、一緒に手を合わせる。

 生き抜く。決意表明をするだけなら、どの神仏が相手かはさほど関係がないのかもしれない。

 前立ての説にはもう一つ、民愛説があるそうだ。民を愛するが故の一文字。兼続が『愛宕』でも『愛染』でもなく『愛』字のみを掲げたのは、存外そういう理由かもしれないと、楪は思った。あるいは、愛宕、愛染、民愛、すべてを包括した一文字であると。


「(ふふっ、欲張りだなあ)」


 そうだったら可愛いなと、思わず笑みが零れる。


 顔を上げたところで、ふと、障子張りの格子の一角が空いているのに気付いた。破かれたというわけではなく、ちょうど鈴の緒の向こう辺りの下側の縁。

 覗き窓だろうか、と寄って行ったところで、楪はぞわり、と背筋が総毛立つのを感じた。


「ニコラさん! ご、ご本尊が何かに覆われています!」

「……ああ、よくあることよ。神仏の御姿はみだりに見るものではないとして、御開帳まで隠しておくの。そこから覗ける分、布で覆っているんでしょう?」

「でもあれ……真っ黒で……」

「……あまり打敷やとばりには使われない色だけれど、そういうこともあるんじゃない?」


 宥めるように言いながらも足を早めて駆け付けてくれたニコラは、楪と入れ替わって中を覗き込むや否や、唖然とした顔で固まった。


「ちぃ、やけに重い日だとは思っていたけれど、原因はコレね――メリー!」

『私メリー、マスターの後ろにいるの』


 ぬうっと現れた赤いゴシックドレスのビスクドールに、ニコラは逼迫した表情で指示を飛ばした。


「あの中に入って、ご本尊に巻かれている異物を取って来れる?」

『うん、やってみる』


 メリーは浮遊する体を頷くように上下すると、パッと姿を消した。固唾を飲んで待つこと数秒、再び現れたメリーは、鎌の先に臭いものを引っかけるようにして遠ざけながら、ナニカを持ち帰って来た。

 一枚の紙だった。本尊に巻かれていたためか随分とくたびれている。


『これ、ヤバいよ。とんでもない呪物』

「ありがとう、しんどいでしょう。ゆっくり休んで」


 穢れに触れたせいで黒ずんでいるメリーの腕を撫でて、ニコラは彼女を還した。

 受け取った紙を裏返すなり、ニコラは見るに堪えないというように目を瞑り、一度大きく深呼吸をした。


「ビンゴ、引いちゃったみたい」


 ひっくり返された紙には、大きく絵が描かれていた。――否、よく見ればそれは、切り貼りした写真画像をプリントしたもののようだった。

 右側には白無垢を着た高清水の姿が。本来新郎が立っているだろう左側には、どこかの壁にもたれて本を読む、学生服姿の紲を撮影したものらしい写真が。


「……こいつは笑えねえ冗談ですね。」

「これ、多分学校の屋上よね。芽瑠に追っかけられて逃げ込む先は、いつもここだったもの」

「後半言う必要あったか……?」


 顔を突き合わせて情報を汲み取ろうとする二人とは裏腹に、楪は眩暈がするような怖気に立ち尽くしていた。


「楪さん、気を確かに。大丈夫、紲さんの伴侶は君なんだから」

「うん、ありがとう……」


 相森の気遣いに、力なく首を振る。

 しかし楪は自覚があった。全身を逆撫でしてくるのは、愛する夫を勝手に利用する高清水への怒りではない。当然、奪われたという悔しさや激情でもない。


「なんだろう、この写真、どこかで……」


 学生時代の紲の姿を見るのは初めてだというのに、嫌な既視感があった。

 その正体を掴みあぐねたまま、心配して頭を撫でてくれる紲那の小さな手のひらの温もりに身を委ねていると、不意に、大きな音がした。電話の着信音だった。


「ごめんなさい、私――」


 軽く片手で拝みながら、少し距離を置いたところで電話をとった英は、何度かの言葉を交わした後で、「はあっ!?」と飛び上がらんばかりに叫んだ。


「私たちが重要参考人? 何かの間違いでしょう――それはこちらも今――いいえ結構です。それに、ブツが必要なら、それこそ一度私の車を取りに行く必要がありますし――だから、逃げませんってば! むしろこっちが乗り込みたいくらいです! では!」


 叩きつけんばかりの勢いで電話を切った英は、ひどく取り乱した様子で、肩を上下させながら戻って来た。


「貸出禁止図書の強盗パクったことでパクられるんか?」

「いいえ、もっと最悪……ああでも、見方によっては朗報でもあるのかしら」


 そんな玉虫色の回答とともに戻ってきた英は、嘆息してから切り出した。


「ここのところ市内で発生しているコロシがあるらしいんだけど、その被害者の体に残っていた鉄粉が、紲くんの刀のものと一致したんですって」

「でも、鬼王丸はハナさんが持っているんじゃ……?」

「まあ十中八九、あのパチモンですわなあ……」

「というわけで、私たちはこれから、急遽米沢警察署へ出頭することになりました!」


 引率の教師のように手を拍ち合わせてみせる英に、楪たちは重苦しい返事をするしかないのだった。

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