金剛閣
相森の勧めもあり、チェックインをしていたホテルと、米沢城址とを頂点にして三角形を作ったところにある店で、楪たちが夕食を摂ることにした。
東京駅にも支店を構える老舗の米沢牛専門店直営レストランは、ちょっとした温泉宿かと見紛うほどの立派で落ち着いた外観に、赤い店章がシンプルに光っている。
二階へと上がれば、ペンダントライトが優しく照らすモダンな雰囲気に出迎えられた。
高級店の経験はせいぜい、成人式で会場となった天童の老舗旅館が関の山。ここは焼肉に特化したフロアで、三階がすき焼き・しゃぶしゃぶ、四階がステーキ特化と区分けしているこだわり様に、楪はびくびくとしながら、スタッフに通されるがままに個室へと向かう。
メニュー表の特選盛り合わせが一万円もすることにぎょっとすると、芽瑠から三人前だ、ビビり過ぎだと笑われたが、この時点で一人頭三千円超というだけで目が回りそうだった。
「米沢牛のお店はドレスコードが必要だと聞いていましたが……納得ですね」
「店にもよりけりだよ。それに、ドレスコードとはいえ、そんなに厳しくもないんだ。例えば、そうだな……Tシャツにダメージジーンズ、サンダル。このくらいのラフ過ぎる恰好じゃなきゃ大丈夫」
「遠方から観光客も来るってのに、いちいちスーツやドレスを強いてたんじゃ、米沢牛ブランドはとっくに滅びているですよ」
芽瑠はホルモンの盛り合わせを口に放り込んで、「ビールが欲しくなるぅ……」と目を蕩かせてから、ジンジャーエールをぐいと煽る。
その堂々たる食いっぷりに、楪の歯の震えは幾分か和らいだ。肉を小さく噛みちぎって、あにあにと軽く噛みほぐしてから、紲那の口へ「あーん」と運ぶ。
はじめは幼児連れであることが申し訳ないとまで思っていたが、店のサービスは柔らかく丁寧。むしろこちらのために、メニューにない、赤身肉の中でも脂身のないところを見繕ってくれたくらいだった。
「ほれ、しばらくウチが替わるから、ユズも自分の分を食いねえ」
いつの間にほぐした赤身肉を備蓄していた芽瑠が、楪の目前の皿といくつかの黒皿とをすり替えて、彼女の近くにある箸などを除けてから、紲那へと手を伸ばした。
「ありがとうございます。ほら紲那、芽瑠ママのところに行こっか?」
「だーい!」
初の米沢牛にご満悦の紲那は、まるでアトラクションのゴンドラに乗る子供のように、手から手へと運ばれていく。
相森が、肉を焼く手をわずかに止めた。
「不躾だったら申し訳ないんだけれど、芽瑠ママって?」
「あ、うん、私の目がこうだから、助けてもらっているんだ。ハナさんと、芽瑠さんと、私と紲那、四人で住んでるの」
「ウチらは側室みたいなもんですからねえ。同じ男を愛した女が正室の下へ押しかけて子供を調教する……小説のネタにしていいぞ」
「あはは、しませんよ。そういった線ならもっと上を行く既存作品がありますし」
「……マ?」
「はい。初恋の男性どころか、父親との関係まで親友に奪われた女性が、その親友と初恋の人の子供を調教して復讐するという、谷崎潤一郎の『痴人の愛』のアンサー作です。作者は直木賞受賞作家にして選考委員の――」
「幼児とはいえ子供の前でなんて話をしてるのよ、貴女たち」
いつの間にやってきていた英が、個室の入り口で半眼を向けてきていた。「どうしてこっちだけ見るですか」「どうせ起点は貴女でしょうが」「ちげーし、ユズだし」と小問答をする脇を、「……現場連れてっておいて何を今さら」と俗世に馴染む服装へ着替えたニコラがすり抜けて行く。
「お帰りなさい、ニコラさん。先にいただいています」
「……気にしないで。こっちこそ、我儘を聞いてくれてありがとう」
「ガワが新しくなったってのに、シャワーとか要るんけ?」
「……気分の問題。意識的にはぐっちゃぐちゃのびっちゃびちゃなの」
スタッフを呼んだ英がいくつかの追加注文をする傍ら、楪は焼き上がった自分の肉を食べてみて、おおよそ知っている肉の味ではないことに驚いた。
以前署内でバーベキューをした際、紲が見繕って来た中にはA5ランクの黒毛和牛などもあったが、比較にならない。『牛乳とヨーグルト』というよりも『牛乳とジュース』。カテゴリは同じでありながらまるで別種の何かがそこにあった。
「大変ですねえ。もしも
「……ふふ、その時はそうさせてもらうわ」
新鮮な魚介の獲れる港町に慣れると、内地の海鮮は食べられないという話を聞いたことがあるが、それに近いものがある。そういう意味では、米沢牛がおいそれと手を出せない値段であることに感謝すべきだろうか。
「それにしても、さっきのニコラさんが人形だったなんて、驚きました。ええと、何でしたっけ。ホーエン何とかというのが、お人形さんの名前ですか?」
「……惜しい。あれがフラメル・迩来良よ。ホーエンハイム・
「へえ、何かよく解らないけどスゴいのね。不老不死ってこと?」
英の問いに、ニコラは肉を咀嚼しながらゆっくりと首を横に振る。
「……すぐに移行できるところへ『殻娜』を用意していないと輪廻に還されてしまうし、そう簡単に造れるものでもない。さっきので在庫も尽きたから、次に殺されたら本当に死ぬわ」
「まあそう上手くは行かねえですよねえ……つか、今
「……内緒。ただ、あくまでチャーリーたちを飼うためにこう成っただけで、魂的な
「なんでい、五十以下かあ……ニコお婆ちゃんって呼んだら磔刑らしいですよー?」
少なめにつまんだシーザーサラダを紲那に食べさせながら、芽瑠が猫撫で声で物騒なことを語り掛けている。
注文の品を運んできたスタッフが困惑した眼差しで帰っていくのを申し訳ない気持ちで見送ってから、英は腕まくりをして、意気揚々と網に肉を並べ始めた。
「それで、ニコラから見てどう? あの偽者の正体は」
「……正直、さっぱりよ。今判っているのは二点。某かのヒトの魂を、明王様の力をつなぎにして練ったハンバーグだってことと、そこに紲の気配はないってこと。どうやってあのガワを取り繕っているのか、どうしてすぐに再生されるのかは不明よ」
楪はほっと胸を撫で下ろした。完全なる偽者だと信じてはいたが、本職の口から別物と断定されたことは、願ってもない情報だ。
「良かったね、楪さん」
「うん、本当に……」
相森の優しい視線に、楪は目尻を拭いながら頷いた。ぬっと両側からハンカチが伸びてきたかと思うと、ああお前が来ているなら帰るわと言わんばかりに同時に引き返していくのが可笑しくて、安心も相まって思い切り笑ってしまった。結局ハンカチは自分のものを使うことにした。
「何から何までキショかったですからねえ。『お前』じゃなくて『テメエ』と呼んでくるのがドグサレですよ」
ハンカチを仕舞いながら、芽瑠がぶーたれたように肘をついた。同じくハンカチを仕舞ってから、英が焼けてきた肉をタレに付けていく。
「私たちのこと苗字呼びしていたのも、高校時代の話よね」
「あー、それだわ。存外、高清水先生が高校時代のドグサレしか知らねえから、あんな風になってたりしてな」
「……先生? ちょっとそれ詳しく」
「詳しくといっても、一言よ。あの偽者の傍にいた女が、私たちの高校の時の担任なの」
英が頬を撫でながら肩を竦めた。石を当てられたところは、幸いにも大きな傷にはなっていなかった。今はファンデーションテープで隠し、凝視しなければ判らないくらいになっている。
「そう言われれば、彼女の方も何か妙なものが混ざっていたような気もするけれど、ごめんなさい、よく見ていなかったわ。その人は生者? 死者?」
「生きていると思うわ。一昨年だったかしら、新聞に掲載された教職員の異動の中に顔があったのを見た記憶があるから」
「そういや、赴任先ってウチらの母校じゃなかったです? なんで山形市の学校に勤めている奴が米沢でぷらぷらしとるんじゃ」
「……その教師、出身は?」
「確か、ええと、岩手だったかしら」
英の回答に、ニコラがげっ、とコーラを飲みかけた手を止めた。
「それ、遠野じゃないでしょうね」
「えっ、なんか拙いの?」
「……『遠野物語』って知らない? 百十九もの伝承をまとめた明治の説話集なのだけれど」
顔を顰めるニコラの対面で、楪たちは一様に首を横に振る。頷いたのは相森だけだった。
「柳田国男の初期三部作ですね。民俗学の先駆けで、怪談好きの間では伝説の作品。現地の博物館では、怪異や呪術と銘打って、今も企画展が催されているのだとか」
「……あら、詳しいのね? ミステリー畑と聞いていたのだけれど」
「今回依頼したきっかけの真知さん――二色根先生がホラーの名手で。何度か話を伺ったことがあるんです」
相森は少し気恥ずかしそうに、そして同時に寂しそうに、想い出を口にした。
「じゃあ、もしも遠野の生まれなら、『遠野物語』に何かヒントがあるかもしれないのね」
「……断定はできないけれどね。そもそも遠野出身と決まったわけでもないし」
改めてコーラに口を付けてから、話を戻しましょう、とニコラは言った。
「……あの偽者に混ぜられたナニカについても、手掛かりが欲しいわ」
「手掛かりってもなあ……ウチはさーっぱり」
「私も、あの素早い動きが義経の八艘飛びのようだったなあ、くらいしか」
うとうとし始めた紲那を芽瑠から引き取りながら、楪も白旗を揚げた。源義経という人物は歴史で触れた程度の知識しかなく、何がどう山形に纏わってくるのかは知らなかった。
「……確かに義経に――というより『義経記』に焦点を当てると、解らないでもないのよ。頼朝の目から逃れるために熊野修験の恰好をしていた義経一行が、現地の大内という男に請われて彼の子供の病が治るよう祈願し、病が治ったという逸話があるのだけれど。
この話は見方にもよれば、『出羽三山に祈ってもダメだったけど、熊野に祈願したら治った』という当て擦りのようにも受け取れるのよ」
「熊野……そうか、紲くんの里も熊野の系譜だったわね」
「……そういうこと。そんな風に、悪意を混ぜれば繋げる術はある。もっともあの偽者の気配は、各地の史跡に残る残滓と被らなかったから、アレは私の知らない人ね」
そもそも一般人ならお手上げ、と肩を竦めて、ニコラは小さな口にそっと肉を戴いた。
「あのアマ公が米沢に来ているってのにも理由がありそうですねえ。先生、この辺りに誰か有名な偉人とかいないんです?」
タレの付いた箸先に御指名され、相森はううむ、と唸った。
「小野小町に、伊達、上杉。ほとんど皆さんがご存知の通りかと思いますが……」
暫く腕を組んでから、彼ははたと動きを止めた。
「山吉新八郎などは、如何でしょう」
「ええと、ごめんなさい。それは誰?」
「『鬼山吉』とも呼ばれた上杉家の家臣です。当時の上杉家は、吉良上野介との繋がりがあり……かの赤穂浪士の討ち入りの際は吉良方の剣客として大立ち回りをしたという剣の達人ですよ」
「ちょっ、ま、えっ……山形は忠臣蔵にも所縁があるんけ!?」
何でもアリだなと、芽瑠が目を見張った。
「もっとも、吉良方なので。あまり大々的に触れ込まれたりはしていないのですけどね。市内の寺院にお墓もありますが、おおよそ他の家庭の墓と変わりありませんし」
「……成程。堀部、不破、奥田をはじめとした赤穂浪士と渡り合ったのなら、十分な剣の腕でしょう。清水一学以外にも、そんな隠し玉があったのね」
「何か見えた?」
「……今はまだ、変わらずね。山吉某だったとして何? という感じ。五里霧中よ。こういう時、紲がいてくれればまた違う見解をくれたのかもしれないけれど」
無力感を噛みしめるように、ニコラが睫毛を伏せる。
肉の焼けるしゅうしゅうという音が、パチンと弾けた。
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